過去編 中学時代の幼馴染み
「、またなんか作くんの?」
「うーん、まだ勉強中。卵がね、焼いてたら黒焦げになっちゃって」
「どれ?」
「これ」
「旨そう!」
「あはは。うまくできたら作ってくるんだけど…まだ時間掛かるかなぁ」
料理雑誌の一ページを指さし、田島と笑顔でが会話をしている。
田島と二人で話をしている時のは、よく笑っているし純粋に楽しそうだ。
人懐っこい田島の性格もあるのだろうけども、他の部員達よりも距離も近い気がする。
「い、ずみくん」
「ん?」
「あ、と…ど、どうか、した?」
「え?なんで?」
三橋と話をしていた横目で、田島とが話をしているのに目がいっていると、 そんな泉の様子をうかがうように三橋がそう尋ねてきた。
「か、考え、ごと?」
質問に対して質問で返され、答えにはなってはいないが三橋が言いたいことは伝わってきた。
「(…三橋にバレるってよっぽどだな。俺も)」
「?」
「あー…確かにちょっと考え事かも」
いつものようにキョドキョドしつつも心配そうに三橋は泉を見ている。 そんな三橋に吹き出すように泉が笑う。
「大したことじゃねぇって。なぁ、今日のおにぎりの具、何だと思う?」
「!さ、鮭缶、まだあるって言ってた、よ。あ、とは…なに、かな」
「に聞いてみるか」
「う、うん!」
適当な言い訳を見つけて、 見慣れた風景ではあるが、やっぱり二人で話をしているのは面白くない。 三橋を連れて田島との間に割って入るように近づく。
いつからなんて分からない。
思い返せば中学の時、もっと早く素直になれていればとっくに自分たちの関係は変われていたのかもしれないと泉は少し後悔をする。
「ちゃん、今日も元気だったなぁ」
野球部の部室で一人の男子がそう呟いた。それに返すように他の中学生男子達が会話に加わる。
「最近ちょっとだけどバットに当たるようになってきたしな」
「それにやっぱ可愛い」
「お前、ちゃん好きだな」
「いいだろ、別に。つか俺以外にも狙ってる奴、絶対いるって」
「まぁ、野球ばっかやってる俺らが周りで話せる女の子はちゃんくらい…っていうのもあるんだろうけど、普通に可愛いからな」
「なー、泉、家近いんだろ?ちゃんの写真持ってねぇの?」
部室で着替えている時に、突然声を掛けられた泉はピタリと動きを止めて振り返る。
ずっと話は聞こえていた。だけど誰がの話をしていようが自分には関係がないと思い、なにも言わなかった。
「そんなのどうすんだよ」
「え。そんな野暮なこと聞いちゃだめだろ」
「っ!持ってねぇよ!」
部活仲間の言葉に、泉は反射的にそう叫んで乱暴に鞄を持ち上げる。
「そんな怒んなくていいじゃんか。冗談だよ」
「いや、今のはお前が悪いだろ」
「だって俺、ちゃんの写真集なら買うぜ」
「…確かにそれなら俺も欲しい」
「だろ?」
そんな話に付き合ってられるかというように泉は部室を出た。
「泉ってちゃんのことどう思ってんのかな」
「さぁ、親が仲良いらしいけど」
「ちゃんがさー」
「ああ。どうみても泉のこと好きだもんな」
「俺が何言ってもスルーなんだよ。口説いてもかわされまくり」
「それさ、泉がどうのっていうよりお前が嫌われてるだけなんじゃねぇ?」
「まじ?!ショックだなぁ」
泉はただ苛ついていた。だけど自分でもどうしてここまで苛つくかは分かっていない。 そんな時、「孝ちゃん」と聞こえてきた声に…先ほどまでの噂の人物が駆け寄ってくる。
「…なんだよ。つかお前、まだ帰ってなかったのか」
「一緒に帰ろうと思って孝ちゃん待ってたの」
「待たなくていいっつの」
「孝ちゃん、冷たい」
「お前に優しくする必要がどこにあるんだよ」
バチンとの額を叩き、の横を通り過ぎる。
するとパタパタと駆け寄ってくに「家来るだろ」というと「うん」と頷き笑顔を見せる。
腕に抱きついてくるに、「離せよ」といい振り払う。
「えー。私と孝ちゃんの仲なのに?!」
「誤解されるようなこと言うんじゃねぇよ。つか、抱きつくのはやめろって言っただろうが」
「私は孝ちゃん好きだから抱きつきたい!」
「うるせ。勝手に言ってろ」
今思い返せば、さっさと素直に自分の気持ちを認めていれば、 ここまで関係が拗れることはなかっただろう。
「ほら、ひざ曲げろよ」
「わっ!バットで突かないでよー」
「下手くそが文句言うな」
こんな風にの練習に付き合うこともよくあった。 しかしどうしてここまで鈍いのかというほど運動音痴のせいもあり、なかなか上達しなかったものの、 続けてみると意外にもそこそこ打てるようにはなったし、 ボールを捕る分には問題が無くなったのだから続けてみるものだと思う。
「私、野球やるの好きだけど、孝ちゃんの見てる方が好きだなぁ」
だがある日、そう言うと突然マネージャーもやりたいと言い出した日には不安しかなかったが、 顧問の先生的にはがそっちで居てくれる方が都合がよかったらしくその要望はすんなり受け入れられた。
しかし高校になってもマネージャーをやると言い、 それなりに上手くやっているのだから、元々そっちの方が合っていたのかもしれない。
「お前はやらないのか?」
「うーん。私、見てるだけでいいや。あ、でもキャッチボール付き合うよ」
「よく言うよ。届かねぇくせに」
「距離縮めてくれたらできるもん!」
一緒に練習していても、いつしかこういうやりとりが増えていた。 だけど、いつもはすごく楽しそうだった。
その反面、徐々に違いに気付きだした。明確には自分との体力と力の差だ。 さらに言えば、意識するようになっていった。が女の子だということを。
「わっ!」
「おい。大丈夫か?」
「いたた…小石に躓いた」
転けたに手を差し出し、力を入れて引っ張りあげるように起き上がらせる。
足に力が入らずに「わっ」とよろけたを抱き留めると、 柔らかな感触に襲われたことで、初めての感覚に陥る。自身の体が熱を持ちだした。
「!」
「あはは。ごめん、孝ちゃん…孝ちゃん?」
動きが止まっている泉を不思議そうに首をかしげて見上げると至近距離で目が合う。
ドクンと鼓動が高なり、その時に自分はをただの幼馴染として見ていないということに気づいた。
「大丈夫?はっ!私のせいで、どこか痛めた?!」
「あ、いや、違う」
「そう?無理してない?」
「してない…つか…顔近ぇよ」
「あ。ごめん」
ゆっくりと離れるにぐらりと泉の感情が揺れていた。
あれほど寄るなと言ってきたくせに、自分勝手すぎる。の体に触れたくなってるのだから…。
これが男の嵯峨だというのなら最低だと言い聞かせるように、泉はから手を離した。
「また当たったー!」
「最近、これくらいのスピードならよく当たるようになってきたな」
「うん!」
バッティングセンターの110キロくらいのスピードの球ならバットに当たるようになってきたようだ。
が「ほら、褒めて!褒めて!」と冗談めかしたように言って嬉しそうに笑顔を向ける。
「知るか」
「もう。連れないなぁ。孝ちゃん冷たーい」
バッターボックスから出た後、ふいっと泉から顔を背けて拗ねた様子のに泉が軽くの頭を手を乗せると、 驚いたようにが泉の方を振り向く。
「なんだよ」
「ううん。なんでもない」
少し嬉しそうに笑うに釣られるように泉は思わず目線を逸らす。
振り払おうとも伝えられる言葉と視線が次第に泉を苦しめだした。
鎌を掛けてみたこともあった。
「そういえばお前、好きな奴いるのか」
「なに?今更?私は孝ちゃんが好きだよ。恥ずかしいから言わせないでー!」
「あー…。聞いた俺が馬鹿だった」
恥ずかしげにそういいながらも、どうも意識されている気にはやはりなれない。
「えー!本当だよ!そもそも孝ちゃんが好きじゃなきゃ私、一緒に野球なんてやってないよ。中学にもなって」
「(…まぁ、それは分かってるけどな)」
正直不覚ながら、その時は少し期待をしていた。に好かれている自信はあったからだ。
だけど自分が分かりだしていたへの好きとが伝えていた好きが違ったことに気付くのに時間が掛らなかった。
「あのさ…もしだけど、俺がお前を好きだって言ったらどうする?」
「え?どうしたの?突然。すっごく嬉しいよ」
「なら…さ。付き合うか?」
「?練習するの?」
「は?」
「私、孝ちゃんの練習相手ならいつでも付き合うよ。今更気をつかわなくていいのに」
「いや、そういう意味じゃなくてさ」
「あれ?違うの?孝ちゃんが私を好きって言うなんて、てっきりキャッチボールの相手が誰もいないから私につきあって貰いたいんだと思ったんだけど」
この時に、初めてが鈍いということ。
そして当然と言えば当然なわけだが、は自分がのことを女の子として見ているという発想がまるでないのだということに気付いた。
好きと発してくれていた言葉も、本当にただの幼馴染みとしてでしかなかったんだ。
「…仮定の話だって言ったろ。そもそもあり得ないから忘れろ」
「なにそれ!嬉しかったのにー。ちょっと意地悪すぎない?」
「でもちょうどいいや。キャッチボールは付き合えよ」
「あ!やっぱり練習相手欲しかっただけなんじゃない!もうちょっと素直にお願いしてくれれば付き合うのに」
気付いた時から、この自分の感情に蓋をした。気付かれてはいけないと思った。
が自分のことを家族や幼馴染みとしてしか見ていないのだとしたら、 自分の気持ちが一人でも誰かにバレると、一緒にいられなくなると瞬時に察したからだ。
だけどその選択は間違いだったということに、二年以上が立ってから初めての言葉で気付かされる。 それは家でと高校の進路について話していた時だった。
「うーん、じゃあ私も西浦にしようかな」
「え」
「孝ちゃんと離れたら、孝ちゃんがする野球見れなくなっちゃうもんね。そんなの嫌だよ。ついて行ってもいい?」
中学三年間隠し通してきたが、友達や部員達と別の高校を選ぶ決意をして、からそう言われる瞬間まで、 離ればなれになるということに気が付かないなんて、やっぱり餓鬼だったんだろう。
実際、家は目の前な訳で…。自然といつも傍にいる気になっていた。
「ちゃん、高校どうするの?」
「西浦」
「えー、私と一緒のとこ行こうよ!一緒に見学行ったとこ!」
「うん。それも考えたんだけどね。女子校だと甲子園行けないから」
「あ。ちゃん、野球好きだよね。またやるの?」
「野球部のマネージャーやりたいんだ」
「へー。ソフト部かと思ってた。そんなに好きだったんだ。あ、泉君と一緒?」
「そう。今回も私が一方的に決めたんだけどね」
よくそんな話をクラスメイトの女子としているのことも横目で見ていた。
考えてみればが鈍いおかげで、今まで誰かに盗られずに済んでいただけだ。
が野球を好きになっていなければ、このラッキーも生まれなかった。
「でも懲りないねぇ。ちゃんの幼馴染み好きは」
「だって格好いいんだよ。私、全然できないのに孝ちゃん凄いの」
「はいはい。ごちそうさまです」
「なにそれー!ねぇ、馬鹿にしてないー?」
「あはは。でも相変わらず、全く相手にされてないよね」
「そうなの。私の片思い」
「でたでた。幼馴染み片思い宣言。うーん。でもさ、それって恋にはならないわけ?ちゃんよく幼馴染みだからって言ってるけど」
「恋?」
「うん。ちゃんの言うことも分かるけど、幼馴染みって括りは取っ払えないもんなの?」
「…幼馴染みってだけでもウザがられてるのに恋なんてしちゃうと辛いよ。それに孝ちゃんは私に一切興味ないしね」
「へー。幼馴染みって憧れるけど、なにもないもんなんだ」
「あはは。ないない。孝ちゃんは私の我がままに付き合ってくれてるだけだもん」
そもそも幼馴染みという立場じゃなければ、こんな風にが自分のことを好きだといってはくれなかっただろう。
だからがいつか自分以外の誰かに視線を向けるのではないかと思うと苛立ちと恐怖を感じた。
「えー!ちゃんも高校、西浦?あそこ新設だろ?甲子園行きたいなら常連校にしなよ」
「俺のとこは?結構居るよ。うちの学校から志望してる奴」
「そうなの?」
「そうそう。あ、パンフレットあげるよ」
「ありがとう」
笑顔で同じ部活の奴ら数名から学校のパンフレットを受け取りつつも、 なにか言いたげな表情をしていたのも知っていた。
「お前、本当に西浦でいいのか?」
「孝ちゃんがいない野球部に行っても意味ないもん」
「まぁ、お前がいいならいいけどな」
「いいの。それに甲子園は、孝ちゃんが選んだ学校なら新設だって行けると思ってるから何にも心配してないよ。私」
「…やっぱ俺もお前と一緒がいいや」
「え」
「なんだよ。その吃驚した顔は」
「いや、だって…ウザいって言わないの?」
「言わねぇよ」
嬉しそうに笑って腕に抱きついてくるに思わず口元が緩んだ。 この瞬間、この関係を終わらせる決意をした。
「(まじで過去の自分に言ってやりてぇよ。すっげー苦労するからやめろって…)」
だけどまぁ、ここでやめられるなら三年間気持ちを隠し通したりしない。
「…ちゃん、孝ちゃん?」
「あ…。ん?なに?」
「もう!聞いてなかったでしょー!」
「悪い悪い。そんで何?」
「今ね、卵焼きの作り方恵子さんに教えて貰ってるんだ」
「卵焼き?まさか昨日の黒焦げの奴のこと言ってんのか?」
「う、うまく焼けなかっただけだもんー!それに孝ちゃんが勝手に食べたんだよ!失敗だから駄目っていったのにー!」
相変わらず作る姿勢はあるようなのだが、料理下手でよく失敗をするをからかうように泉が笑う。
「それでそれがどうした?」
の持っていた料理雑誌で「うまそう!」と盛り上がっている田島と三橋を他所に、 泉がの機嫌を取るように、の頭に手を乗せる。
「ん?」とを顔を覗き込むように様子をうかがうと、照れたような表情を見せながら、「あ、あのね…」と口を開く。
「まだ時間掛かるけど他も上手くできるようになったら、お弁当とか作りたくて…」
「へぇ…。おにぎり以外にも増やす気か?」
大抵が苦手なお菓子作りに取り組むようになったのも、マネージャーになってからだ。 だから今回も、その関係だろうと思っていたが…ふるふるとが首を振る。
「違うの!部活の話じゃなくて…!その、これはすごく個人的な話というか…」
「個人的?」
個人的…それは、誰かに作って渡したいということなのだとすぐ分かった。
の言葉で、泉は咄嗟に楽しげに三橋と話をしている田島の方を見る。
廊下の方から「三橋ー!」と聞こえてきた浜田の声に三橋だけでなく田島も反応して、浜田の方に駆け寄って会話をしだした。
普段と変わった雰囲気は感じない。も特に田島の行動を気にしている様子もない。
むしろ…。
「あ、あのね!孝ちゃん、は…私からお弁当渡されるのは…その、嫌かなぁ?」
気のせいかも知れないが、視線が自分に対して向けられているようにも感じる。
その言葉と視線に、ドクンと泉の鼓動が高鳴る。期待したくなる…。
きっと昔の自分なら、適当な言葉でなにも気にしてないように振る舞っただろう。
だけどもう形振りかまっていられない…。
「…嫌じゃねぇよ。むしろ嬉しい」
「え?」
「どうせ持ってきた弁当なんて昼にはとっくにねぇよ。お前も知ってるだろうが」
「あ…そ、そっか。うん!じゃあ頑張る!」
「あの黒焦げの次はなに作るつもりだよ」
「く、黒焦げって言わないで!卵焼きだよ!孝ちゃん、何がいい?」
「俺?うーん…。食えればなんでもいいや」
「言うと思ったー!いいもん。私が好きなの作るから」
「好きにしろよ。俺はお前が作るならまじでなんでもいいしな」
「っ!こ、孝ちゃん、そういうのさらっと言わないで…心臓に悪いよー」
「本当のこと言っただけだけだろうが」
「でも私、ときめいちゃった」
「へぇ、そりゃいいこと聞いたな。なら今のうちに口説いとくか」
をからかうように泉は口角を釣り上げると、 の耳元に顔を近付ける。
「!こ、孝ちゃん!」
「嘘じゃねぇぞ。ちゃんと頭に入れてろよ」
泉から囁かれた言葉に頬を赤くするの手の上に泉が手を添えた。
--「俺がお前を好きだから欲しいんだからな」
自分はこの手を離したくないと気付いてしまったから…。 握る手に自然と力が入った。