番外編 ふたりの速度


「暑い…」
「夏だもの」
「暑い暑い暑い!あつーい!」

ジリジリと刺すような太陽を不愉快そうな表情では、着ている体操着をパタパタとさせる。

「うるさい!こっちまで暑くなるでしょ!」
「だってー!ー!」

晴れた真昼間にグラウンドでの体育の授業。
相当体力が奪われる上、どんどん汗が出てくる。

「そんなに暑いなら、黙ってサッカーでも見てれば?!」
「え?サッカー?うちらはソフトでしょ?」

今もまさにの目の前でソフトボールの試合が行われている。

「なんだ。気付いてなかったの?ほれ、あそこ」

が指をさす方を見ると、どうやら向かいでも別の学年が体育の授業をしているようだ。

「あれって…」
「一年の男子が体育の授業でサッカーしてんの」
「って、言うことは?」
「いると思うよ。生意気少年が」

は、目を細めてある人物を目で探す。 ちょうどその時、聞こえてきた声の方には反応する。

「おい越前!ボールいったぞー!」

クラスメートの声に、リョーマは飛んできたボールを上手く足元でピタリと止める。

「越前!パスだせ!」
「させるか!」

ちらりとリョーマはパスを求める堀尾の方を見るが、ボールを取りに来た相手を軽くフェイントを掛けてかわし、 そのまま空いたスペースを駆け抜けて一人でゴールに向かい、ゴール前でシュートを蹴ると見事にゴールが決まった。
そしてその直後、リョーマのチームが優勢のまま試合終了の笛が鳴り響いた。

「あいつが誰かにパスをするなんて高度なコミュニケーション出来るわけないわよねー。
「あ、はは…。でも上手く決まったし」

まぁ、リョーマも馬鹿じゃないから上手くいくと考えての行動だったんだろうけど…とは思う。 でも運動神経の良いリョーマだからこそ出来た行動だろう。
が呆れつつもリョーマの方をじっと見つめていると、 そんな視線に気づいたかのように振り返ったリョーマとぱちりと目が合う。

「!」

思いもしなかった出来事に驚いたは、咄嗟に体を後ろにそらす。

「……」

すると、そんなの方を見て、 リョーマはをあざ笑うかのような表情でに頬笑み掛けるなり、なにやら口パクでに話しかける。 ベッと舌を出して見せた後、に背を向けて歩き出した。

「ひ、ひどい!」
「え?なにが?」

突然声を上げたの様子を隣で見ていたが驚いたように言う。

「"バーカ"って言われた!」
「あぁ。なるほど」
「もう!悔しいから、大きいの打ってくる」
「おう。頑張れー」

打つ順番が回ってきたは、バットを持ちバッターボックスに立つ。

「(まぁ、照れ隠しかな。ずっとこっち見てたし…)」

ちらりと越前の方を見た後、呆れるようにが深くため息を付いた後、カーン!といい音が鳴り響いた。

「やったー!2点ゲットー!」
「本当に大きいの打って帰ってきた…」

もう2アウトで自分に出番が回ってくるはずがないと思っていたのにも関わらず、 回ってきてしまった出番にはため息をついてバッターボックスへと向かった。


授業を終えるチャイムが校内に鳴り響く。

「終わった、終わったー!」
先輩!」
「あ!堀尾君!」

授業が終わり、が教室へと戻ろうとしていた時に堀尾が走っての元へやってきた。

「見てたっすよ!さっきのホームラン!流石っスね!」
「あはは!半分はマグレなんだけどね。ありがとう」

運動神経は悪い方じゃないとはいえ、あんなの完全に出会い頭の偶然だ。 堀尾君と喋っていると、ドン!と何か固いものがの後頭部に激突した。

「痛っ!」
先輩?!」

足元を見ると、黄色いテニスボール…。
まさか、と思いつつもは自身の後頭部を直撃して地面を転がるテニスボールを直ぐに拾い上げて後ろを振り向く。

「ちょっと…!」
「バーカ」
「越前!」

思惑通りのリョーマの姿に、は手に持つテニスボールをリョーマに投げつける。

「痛いじゃない!」
「そんな所でボーっと立ってるからじゃん」

リョーマは軽くから投げつけられたテニスボールを左手で払うようにキャッチすると、ゆっくりに近づく。

「……」
「へ?」

リョーマが何も言わずにの隣にいる堀尾を冷たく睨みつける。

「あ、ああー。じゃあ俺、先行くっス!先輩!」
「え?あ、うん」
「じゃあ、また!」

堀尾は、リョーマの視線から何かを察して逃げるように走る。
そんな堀尾の様子を見てはちらりとリョーマの方をみて話しかける。

「…友達なんだし、なにも睨まなくてもいいじゃない?」
「なにそれ。関係ない」
「もう…。それで?なにか私に用事でもあったの?」
「は?そんなのあるわけないじゃん」
「え!じゃあ、なんで?!」
「ムカついたから」

相変わらずの唯我独尊ぶりを発揮するリョーマにはガクッと肩を落とした。

「(まぁ、私もリョーマの気持ちが分からないでもないか…)」

誰であろうとも女の子が自分の目の前でリョーマと仲良く話していたら、そりゃあ、ムカつく! 今、こうして考えているだけでも嫉妬してしまいそうだ。

「困ったなぁ…」
「何が?」
「そんな風に言われちゃうと、怒るに怒れない」

が真剣に悩んだような仕草をしてそう言うと、 リョーマはそんなを目を細めて優しげな表情で見る。

「俺とって意外と似た者思考だからね」
「そうなのよねー…」

正反対に見えて、どこか似た者思考な所があるのは事実だ。 しかし、それは良い面で有ると同時に悪い面でもある。
こうして少し話してくれればお互い言いたいことを分かるのが早い分、 時々、似た者思考同士だからこそ、意地の張り合いが続き喧嘩をすれば長丁場になると言う事だ。

「仕方ない。今回は大目に見てあげる」
「やけに上から目線だね」
「私の方が先輩だもん」
「一つ年上なだけじゃん」
「でも、年上なのは事実よ!」
「そんなこと言って、それくらいしか俺に勝てないからじゃないの?」
「本当、リョーマって時々すごく意地悪!」

の大きな声がグランドに響き渡った。

「いつまで経っても、生意気なとこは変わらないだから」

がうなっていると隣の桃城が呆れたような表情で見る。

「お前らなー、餓鬼の喧嘩じゃねぇんだからいい加減にしとけよ」
「…なんでいつもこういう展開になるのかな?」
「俺に聞くなよ!」

でもこれもある意味、自分達らしいと言えばその通りなのだが…。

「私…色気が足りない?」
「…は?」
「というより、女子力不足?」
「いや、なんでそうなるんだよ」

のぶっ飛んだ発想に思わず桃城は突っ込む。

「だって、私がもう少し女の子らしかったらいくらリョーマでも、それなりの対処があると思うのよね」
「そうか?」
「じゃあ、桃はリョーマが桜乃ちゃん達相手にテニスボールをぶつける所を見たことある?」
「そりゃあ!…いや、流石にテニスボールぶつけるまではねぇか…」
「そうでしょう!」

いくら手加減してくれてるとはいえ、距離があるだけに正直あれは結構痛かった…。
リョーマにぶつけられた後頭部をは無意識に擦る。

「まぁ、あいつがそんなことするのはお前だからなんだろうけどな」
「それどういう意味?」
「越前の性格考えてみりゃ分かるだろ」
「リョーマの…性格?」
「あいつは分かりにくいようで、分かりやすい性格だからな」

授業開始のチャイムがなり、席に着く桃城。 は、考えるような仕草でつまらない古典の授業を聞いていた。


「(リョーマの性格、ねぇ…)」

分かりにくいようで、分かりやすい性格。
一体どういう意味だろうとは桃城に言われたことを考えながら、 授業が終わり、お昼の保健委員の仕事に向かうために廊下を歩く。

「失礼しまーす」
さん。ちょうどよかったわ」
「はい?」

が保健室の扉を開けると、 待ちかまえていたように保険室の先生がの元へとやってくる。

「私、ちょっと出なきゃいけなくなっちゃったのよ。この時間一人でお願いしてもいいかしら?」
「あ、はい。大丈夫です」
「十分前には戻るから、もし何かあったら職員室まできてね!」
「はい」

「よろしくね!」と言われたは、椅子に腰かけて一人誰もいない保健室の机に寝そべる。

「…気持ちいい」

暫く目を閉じていると、の中で穏やかに時間が流れ、眠りに落ちた。


「う、ん…」

寝てしまっていたは、ゆっくりと目を開けると、眠たい目をこすりながら体勢を起き上がらせる。

「おはよ」
「…おはよう…って!」

突如の目の前に居たのは、 が寝ていた机に腰掛けながらこっちを見ているリョーマ。 は、驚き体を後ろにそらす。

「なっ!なんでリョーマがここにいるのよ!」
「たまたま外から見えたから」

そういってリョーマは、カーテンが閉まっているの横にある窓を指さす。 先ほどまでは全開だったはずの窓だ。おそらくここへ来たときにリョーマが閉めたのだろう。

「保健室ってさ、怪我してもすぐ対処が出来るようにグラウンドの見渡しがいいように出来てるらしいんだよね」
「へ?」
「裏を返せば、グラウンドからも保健室がよく見えるってこと」
「そ、そうだね」

リョーマの出す独特な空気に戸惑いつつもがそう答えると、 リョーマはの頬に優しく右手をそえると真っ直ぐにの目を上から見つめる。

「不用心」
「ご、ごめん」
「……

名前を呼ばれただけでの心臓の音がドキン!と大きく跳ね上がる。

「いい?」
「な、なにが?」
「もっと、俺が触れてもいい?」
「え?あ…ちょっ」

腰掛けていた机にリョーマはさらに左足をのせて身を乗り出し、椅子に座るとの距離を詰める。

「わ、私、怒ってるんだよ?」
「なにを?」

リョーマはそんなの言葉とはお構いなしにの耳に指を触れさせる。 胸を高鳴らせつつもはなんでも無いようにリョーマを睨みつける。

「っ!リョーマ、いつも私に意地悪ばっかりじゃない。今日だって…」
「仕方ないじゃん」
「ちょっ!」

頬から耳、そして、そっと撫でる様に手をの首元に持って行く。
流石にくすぐったいはたまらずに身をよじらせる。

「俺だって止めたくても、止められないんだからさ…」
「え」
「ほら、ぼーっとしてると本当に襲うよ」
「あ。ちょっと!リョーマ!」
「……」

好きな子程、苛めたいとはよく言ったものだが、半分は照れ隠し。
半分は、素直で明るいだからこそ返ってくる反応の面白さ。
片思いの時なら気を引くためにまだしも…互いの思いが通じている今では、彼女を一方的に怒らせるだけでやる必要性が全くない行動だ。
しかし、止めようと思っても止められない。今でもこうして怒っている彼女を宥めるのすら、楽しみに感じてくる始末だ。

「ん…」

リョーマが指での肌に触れる度に擽ったそうに頬を赤く染めて目を瞑る
そんなの顎を持ち上げて、上を向かせるとリョーマはそっとの唇を指で触れる。

…」

リョーマは、そっとの耳元でいつもより少し低い声で小さく囁く。

「……愛してる」

滅多に聞けない貴重なリョーマの言葉に頬を熱くさせたままがリョーマの体を離して勢いよく顔を上げる。

「えっ!」

すると、リョーマは憎たらしい程余裕な笑みでを見る。

「リョーマ…」
「なに?」
「…浮気してる?」
「はぁ?!なんでそんな発想になるのさ」
「だってリョーマが変に優しいんだもん。疚しいことでもあるんじゃ…」
「あのさ、さっきまで散々人のこと意地悪だって言ってたのは誰?」
「え。いや、それはそうなんだけど…」

急に変に優しくされるのも、やはり妙な気分だ。

「うん…なんかごめんね。リョーマ」
「え?」
「私達は、普段の私達らしいのが一番だね」

そう言って椅子から立ち上がるとは大きく背伸びをした後、 目の前に立ち意味が分からないと言ったように首をかしげるリョーマを見るとちょうど、先生が保健室の扉を開けて入ってきた。

「ごめんなさい!ありがとう。さん」
「あ。いえ!」

先生が戻ってくるともうすぐ授業が始まるからと言われ、仕事を終えたとリョーマは保健室を後にした。

「じゃあ、あとでね。リョーマ」

が手を振り、教室へと戻ろうとするとリョーマがの手を掴む。

「ちょっと待った」
「ど、どうしたの?リョーマ」
「…今日、部活無いよね?」
「うん。職員会議の日だから」
「じゃあ、終わったら校門の前で待ってて」
「え?なんで?」
「鈍い。二人で一緒に帰ろうって言ってんの」
「いいけど…本当にどうしたの?リョーマ」

部活が無い時は、いつもバラバラだし、二人だけで一緒に帰ろうだなんて滅多にないお誘いだ。 そんなとは裏腹に、リョーマは呆れたように深くため息を付くと、 少しだけ頬を染めたリョーマが睨むようにしてを見る。

「後で甘えさせてあげるって言ってんの」
「ええ?!」
「さっき怒ってるって言ってなかったっけ?」
「ああ。その話か。って、あれ?まさかずっと気にしてた?」

どうやら、が先ほど言った言葉を意外にもリョーマは結構気にしていたらしい。

「ついでにジュースくらい奢ってあげようと思ったけどいらないなら、俺は別にいいけど」
「いるいる!一緒に帰ろう!」
「単純」

がリョーマの手を握り返すと、リョーマはそんなを見て可笑しそうに小さく笑う。

「じゃあ…あとで」
「うん」

いつもは生意気で、ぶっきら棒ですっごく意地悪なことばかり言うけれど…。
たまに優しいからずるいとは思う。


「あ、忘れてた。これ」
「なに?」

帰り道に二人で公園のベンチに座り、買ったジュースを飲んでいると リョーマが何やら思い出したように制服のポケットから何かを出してに渡す。

「桃先輩とゲーセン行った時に取った奴」
「へ?あ、かわいい!」

どこかカルピンに似た猫のキーホルダーをに差し出す。

「家でに渡すの忘れてたんだよね」
「え?!これ、私にくれるの?」

リョーマは何も言わずに首を縦に振る。

「ありがとう。リョーマ」
「どういたしまして」
「ねぇ、これまだあるのかな?」

明るい表情では、グッと手の中にリョーマから貰ったキーホルダーを握りしめる。

「さぁ?分かんないけど、あるんじゃない?」
「今から行こうか」
「は?なんで」
「今度は私が取ってリョーマにプレゼントしてあげる」
「別に俺が貰っても…」
「いいから、いいから!」
「ちょっと!」

は無理矢理リョーマの腕を引っ張り走りだす。
本当の君は、優しくて、心配性で…真っ直ぐな瞳をしていることを自分は知っている。だから…。

「…へたくそ」
「う、うるさいなー」
「そのままもっと奥入れて」
「え?」
「いいから、俺の言う通りにボタン押して」

が苦戦していると、見ていられなくなったリョーマが支持を出す。
すると嘘のように簡単に対象物を掴み、下に落ちてきた。

「とれたー!はい!リョーマ!」

はゲットしたキーホルダーをリョーマに渡す。

「ほとんど俺が自分で取ったようなもんじゃん」
「こういうのは、気持ちの問題!」
「あ、そう」

納得いかないような表情をしつつもリョーマは、が取った猫のキーホルダーを受け取る。 するとは、さっきリョーマから貰ったやつを学生鞄に付ける。

「私とお揃いなんだから、ちゃんと持っててよ」
「は?まさか、それがしたかったわけ?」
「もっちろん!」

リョーマは呆れたようにため息をつきつつも、自分の携帯を取り出してその場で取りつける。

「…これでいい?」
「うん!上等!」

満足げに微笑むに、釣られるようにリョーマは目を細める。
これから、ゆっくり自分達のペースで進んでいければそれでいい。

そう思わせてくれたのは、やっぱり大好きな君でした。