01話 新設野球部
カキーン!
金属音が鳴り響く。その音と共に、白いボールは空高く舞い上がった。落ちる方向に向かってまっすぐに走る。
ポスン
空に向かって腕を上げたグローブの中にボールが収まる。スタンドにいた幼い私に向かって、彼は手を突き出し、ほらみろと言わんばかりに笑って見せた。
全ては野球から始まった。
「相変わらず狂ってるよなぁ。お前の思考は」
「照れてる?」
「ちげーよ、馬鹿。本当にいいんだな?」
ニッと笑う私に、孝ちゃんは身構えるように私の回答を待っている。
「うん。野球部入って、マネージャーやるの」
「でも、ちょっともったいねぇな。やっと打率上がったのに」
「あはは。野球するの好きだよ。だけど孝ちゃん、私が野球やってた理由知ってるくせに」
「…ストーカーめ」
「えー!幼馴染に向かってひどい!仕事はちゃんとやるよ?」
「お前、馬鹿の癖に変に真面目だからな」
「褒めてるのか貶されてるのかわかんないよ。孝ちゃん」
「言っとくけど、俺は責任もたねーぞ」
「大丈夫。私が孝ちゃんの野球を近くで見たいだけだから」
私がそう言うと、孝ちゃんはふいっと私から目を逸らしてグラウンドのドアを開ける。
西浦高校野球部。今年から硬式になり、新設された部だ。
既に数名いたグラウンドに私達は足を踏み入れた。
「ちわーっ…」
「いらっしゃい!」
「「え」」
グラウンドに一歩入り、私達が挨拶をし終える前に、女の人がキラキラとした瞳で私達の前に立ち塞がる。
「私、野球部の監督やらせてもらってます。百枝です!」
「(監督?!わー!女の人だー!綺麗な人!)」
早速だけど、名前は?経験は?ポジションは?と孝ちゃんに詰め寄る女監督さんの勢いに押されながらも孝ちゃんは質問に答える。
孝ちゃんへの質問を粗方終えると、監督さんの視線は私の方へと向いた。
「えっと。あなたは、もしかして…」
「あ。はじめまして!です。マネージャー希ぼ…」
「やっったーーー!あ。もしかして、マネジ経験者?!」
「え。えーっと、中学の時、部活で選手とマネージャーの掛け持ちを…」
「オーケー!!大歓迎!」
監督は、ぽんぽんと私の肩を叩き、「みんなー!」とグラウンドに居る人達に大きく声を掛ける。
「女の子だー!」
「マネージャー?」
数名いる同学年であろう男の子たちの視線が一気に私に集まる。
野球は男の子が多いから、昔からこういう視線を向けられていることには慣れているが…。
突然、じっと真正面から私の顔を伺うそばかすの男の子に思わず、体を後ろに逸らす。
「(ち、近い…!)」
私があまりの至近距離にドキドキと心臓を高鳴らせていると、その男の子はニカッと笑う。
「俺、田島ってんだ!よろしくな!」
「う、うん。私、」
「おう!あっちでキャッチボールやってるからお前らも来いよー!」
といってグラウンドを走っていってしまった。
怖そうな子じゃなくて、安心したー!と私が深く息を吐くと、突如、後ろから首を締められる。
「ぐえ!!く、苦しい…!孝ちゃん、苦しいよ!」
私の首を絞めつけている孝ちゃんの腕をペチペチと叩く。逃れようとするも、孝ちゃんの力の方が強くてビクともしない。
「隙だらけなんだよ!お前は!」
「だからって、死ぬ死ぬ!死んじゃうから!」
ぱっと腕を離された私の体は、ガクンと力が抜け、地面に手をついた。
「し、死ぬかと思った…!」
「ちょっとは危機感でただろ」
「出まくったよ!」
座り込んで睨む私に、孝ちゃんは私と視線を合わせるようにしゃがむ。
「まじで気を付けろ」
「え?」
「わかったな」
「う、うん」
「なら良し」といって立ち上がると孝ちゃんも田島君が向かった方向へと走りだし、キャッチボールをしている皆の輪の中に入っていった。
「…珍しいな。孝ちゃんがあんな風に言うの」
そこまで心配性な性格でもないはずなんだけど…。
少しだけ疑問に感じながらも、私はベンチから皆がキャッチボールしている姿を見守っていると、優しそうな笑顔の男の子が声を掛けてきた。
「えっと、さんだっけ?」
「へっ?う、うん」
「さっき監督から名前聞いたんだー。あ、俺、栄口。よろしくー」
栄口君の柔らかい笑顔につられるように、私もよろしくと微笑む。
「暑いからちょっと休憩ー」といって私の隣に腰掛ける栄口君。
「あ、飲む?さっき自販機でジュース買ったんだけど、当たりで二本ゲットしたんだ」
「え!いいの?」
「うん。どうぞー」
「わー!ありがとう!」
後で孝ちゃんにあげようかと思ったけど、まだ皆と話してるみたいだし。どうせなら冷ている時に飲んだ方がいいもんね。
「おいしー!」と笑顔で飲む栄口君に、私も嬉しくなってしまう。
「さんもやらない?キャッチボール。中学の時、部活でやってたんでしょ」
「栄口君、よく知ってるね!」
「あはは。それもさっき監督が言ってたから。俺はシニアでやってたんだ」
「そうなんだ。うーん。やってたって言っても、孝ちゃんの影響だし」
「(孝ちゃん…?)」
なにかを言いたげな表情の栄口君に私はクスリと笑い、話を持ちかけてみる。
「下手だけどいい?」
「!!も、もちろん!俺とやろう!キャッチボール!」
嬉しそうな表情を浮かべて栄口君に誘われるように私もベンチから立ち上がった。
パシン!
「おーけー!さん、上手いじゃん!」
「ほんとう?!」
「うん。そんなに下手じゃないと思うよ」
「栄口君、やさしい…」
「え。そんなことないと思うけど」
私がそういうと、少し照れたような表情を見せる栄口君。
なんだろう。栄口君と話してると、めちゃくちゃ癒やされる…!!
「だって、孝ちゃんとやるとこうはいかないよ!」
「(また…"孝ちゃん"。聞いてみるか?)ね、ねぇ、その孝ちゃんって…」
ボカッ!
「痛っ!!」
「さん?!」
私の後頭部にボールが直撃した。心配そうに駆け寄ってきてくれた栄口君をよそに、悪いと思っていないだろうと思うような淡々とした声のトーンが私の背後から聞こえてきた。
「痛いよ!孝ちゃん!!」
「え!ええ!」
栄口君は驚いたように私と孝ちゃんの顔を見ている。
「悪い。手元狂っちまってさ」
「(え。いや、俺からは見えてたけど、完全に狙ってたような…)」
いたた…と頭を押さえながら孝ちゃんを睨む。
「帰りになんかおごってやるから。そんなに睨むなよ」
「…本当?」
「本当、本当」
「じゃあ、許す」
「単純」と言って笑う孝ちゃんと私のやりとりを見ていた栄口君が口を開く。
「孝ちゃんって、泉のことだったんだ」
「うん。幼馴染なんだ」
「なるほどねー」
三人でそんな他意もない話をしていると監督が興奮気味に私達に声を掛ける。
「皆ー!投手がきたよー!」
おどおどとした男の子は、涙をこらえながら私達の前に立っていた。
こうして出会った私達の暑い夏が始まりを迎えた。