02話 合宿開始
「孝ちゃんは、どう思うの?」
「なにが」
「三橋君のこと」
「あー、そのことか。まだよくわかんねー」
「だよね」
中学の時、三星学園でいじめを受けていたという三橋君。
その三橋君に、うじうじとした性格を変えなくちゃエースは渡さないと宣言をした監督。
だけど捕手の阿部君は、九分割のコントロールが正確に出来る三橋君の投球をえらく気にいっていたようだけど…。
このチームがどうなるかはまだ誰にもわからない。
「っていうか、お前は三橋より自分の心配しろよ」
「なんで?」
「合宿」
「あー!そうだね。行く準備しなくちゃね」
「いや、そういうことじゃなくてさ…」
GWは野球部で合宿をすることになっている。
篠岡千代ちゃんという女の子もマネージャーに入ってきたし。
「千代ちゃんと仲良くなれるといいなー」
「…ま、いいや。お前はそういう奴だよ」
「それ、どういう意味?」
「なんにもねーから気にすんな」
「到着」と言って、孝ちゃんは家の前で自転車を止める。
私は孝ちゃんの自転車の荷台から降りて、鞄を抱える。
「寄って行くか?」
「ううん。今日はいいや。お母さんもう帰って来てるから」
「最近、早いな」
「4月中は早く帰ってくるんじゃないかな?多分、お母さんなりに一応気を使ってるつもりなんだよ。私が新生活に慣れるまでは早く帰ってくるって言ってたから。別にいいのに」
「そう言うなよ。おばさん寂しがるぞ」
「えへへ。だって私、孝ちゃんの家、好きだよ」
共働きである私の親が居ないときは、よく孝ちゃんの家でお世話になっている。
なんて言ったって家が目の前…。こういう時、幼馴染であることが有り難いとつくづく思う。
孝ちゃんに手を振って、私は家へと入った。
「おかえり。孝介。あら?今日、ちゃんは?」
「おばさん、もう帰って来てるんだってさ」
「そう。合宿用のお洋服、孝介のと一緒に買ったから合わせてもらおうと思ったのに」
「あー…明日寄るように言っとく」
「お願いねー」
そう言うとご機嫌になって台所へと向かっていく自分の母。
いつものことだが、自分の息子よりの方が可愛いんだから性質が悪い。
ま、男兄弟しかいないだけに気持は分かるが…。
「ただいまー。あれ?孝介。今日は、ちゃんいないのか?」
「っ!だからー!」
自分より後に帰ってきた兄貴と父親が、母親と同じことを聞くもんだから、思わず声をあげてしまった。
そしてふと二人の手元を見ると、それぞれが何かしら包み紙とビニール袋を手にしている。
「いや、会社の人に海外のお土産でチョコレート貰ったんだけど、ちゃんチョコレート好きだっただろ」
「俺は、あいつが見たがってた映画のDVD返ってきたからさ。渡そうと思ったんだよ」
「…明日寄るように言っとくって」
「「よろしくなー」」
うちの家族は全員、に甘過ぎるとつくづく思う。
昔から当たり前のように一緒だったから、幼馴染というより、もはや家族みたいなものだった。
だから恋愛感情なんて芽生えない。
そう思っていたのに…。
変わったのは野球部に入ったばかりの中学1年の時だった。
男はつくづく馬鹿な生き物だと思う。身近な女の子に優しくされるとすぐにその気になる。
当然だが、周りは俺とは違う目であいつを見ていたんだ。
そのことに気づいてからは、日が経つにつれて、じわじわと溢れてきたのは嫉妬と恐怖だった。
完全にへの見方が変わってしまった。うちの家族とだけ居た時には気付けなかった感情だった。
中学野球部の男ばかりの中に、女の子が一人混ざるという周りの環境がそうさせたんだろう。
見事にハマってしまった。毎日のように聞くの声が…。さらに俺の独占欲を加速させていった。
その域に達した時に、ようやく気付く。
この感情は、恋というものが当てはまるのだと。
俺はご飯を食べて、お風呂からあがるとそのまま部屋のベッドへと寝転び、目を閉じた。
「なにか忘れ物?」
「なんも!!」
「女いんだから気をつけろよ!」
「だってよ~!!」
「んん…」
「あ。ちゃん、起きちゃった?」
合宿所にむかうバスの中で、賑やかな声で私はゆっくりと目を覚ました。
隣に座っていた千代ちゃんの声に、私は小さく頷く。
くすりと笑う千代ちゃんがすごく女の子らしい。
「皆、元気だねー」という千代ちゃんに「そうだね」と私も笑って返す。
すると、後ろの席から「あ。さん、起きた?」という栄口君の声が聞こえて後ろを振り返る。
「賑やかで目が覚めちゃった」
「あはは、そうだよね。ねぇ、眠気覚ましにこっちきてトランプでもしない?」
「やりたい!」
千代ちゃんも誘ってみるも、疲れて酔っちゃうといけないから。といって断られてしまったので、私は栄口君の隣の席へと移動する。
「俺もやるー」
という水谷君も入れて、トランプを配る栄口君。
ババ抜きを開始してカードを抜く手を進めながらも、暫くして他愛のない話に会話が展開していく。
「あのさ、さんも野球が好きでマネージャーになったの?ほら、篠岡もソフトやってたって言ってたから」
「私?うーん…。あ、野球好きだよー」
水谷くんからの質問に私は少し考えた後で答える。
「え、なにその間!」
「あはは、ごめん。野球は好きだけど、私がマネージャーになったのは、千代ちゃんとはちょっと違うから」
「そうなの?」
「うん。孝ちゃんの試合が見たかったんだ」
「え!それが理由なの?!」
驚いた表情の栄口君に対して、水谷君は首をかしげる。
「待って。孝ちゃんってだれ?」
「泉のことだよ」
私の代わりに答えてくれる栄口君に水谷君がぴたりと止まった。
「え?!!なにそれ!二人ってどういう関係?!あれ。そういえば、一緒に帰って…」
「ただの幼馴染だよ。家が、向かいなんだー」
「そ、そう、なんだ」
「さんって泉のこと好きなんだ」
「うん。だって幼馴染だもの。試合も練習も見たいよ!特に私、高校野球は楽しみにしてたんだー!」
「「(…ん?)」」
私の次の発言を待つように二人の動きが停止した。
「それなのに孝ちゃん、人のことストーカー呼ばわりするんだからひどいよね」
「あ、そーなんだ…。(あれ?もしかして…)」
「…あー…あのさ!二人は、幼馴染というだけで、恋人…ってわけじゃないんだよね?」
水谷君は、頭を片手で押えながら考えるように私に尋ねる。
「あはは!それ昔から、よく聞かれるんだよね。でも、びっくりするくらい何もないよ」
「へ、へー…」
「あ。でも、初恋は孝ちゃんなのかな?ずっと一緒に居たから、そういうのわかんないんだよねー」
「(あー…なるほどー…)」
「(気付いてないだけだとしても、これは…)」
「「(本気でただの幼馴染としか思ってないパターンだな…)」」
先程まで悩ましい表情をしていた栄口君と水谷君だったが、私が二人の顔を見ると急に笑顔になり、「さ!続きしよう!」とトランプが再開された。
「(うーん…なんだろう。この、ほっとしたような安心感。俺、性格わるいのかな…)」
栄口君は、再び難しそうな表情で私の手からトランプを一枚引いた。
「さぁ、ついたわよ!」
そう言われてきたのは、いかにも…というようなドヨンとした雰囲気のある木造りの民家。
入ってみるとほこりだらけで、とても人が生活出来る環境じゃないのは確かだ…。
「さぁ、着替えてお掃除!お掃除!掃除済んだら山菜採ってきてね。夕食も自分らで作るんだよ!」
笑顔の監督にたいして、皆はため息をついた。
「(雑巾、バケツ…用意できた。あ。あと、ほうき)」
「ちゃん、私、台所の方いくね」
「ありがとう!じゃあ、私、お部屋の方いくよ」
パン!と千代ちゃんと笑顔でハイタッチをして、それぞれ別の方角へと向かう。
「雑巾あるー?」
「はい。田島君」
「サンキュー!」
私から雑巾を受け取ると、掛け出すように雑巾を持って廊下へ飛び出す。
「(田島君、今日も元気だなぁ…)」
なんて思いながらも私も掃除へと取りかかる。
「よいしょ」と台を置き、埃が大量の電球を拭いた後で電球を取り変えようと手を伸ばす。
「んんー…と」
腕を思いっきり伸ばし、電球に手を触れる。
「おー、。あぶねーぞ」
「え?う、わっ!」
「おい!」
ガタン!
下から掛けられた声に反応しようとした瞬間、足場が不安定でぐらりと体が揺れる。
倒れそうになったその背中を支えるように手が伸びてくる。
「あぶねーって言ったそばからこれかよ…」
「あ、あはは…。阿部君、ありがとう」
互いに安堵したように息を吐く。
阿部君が、そっと私の体を支えながら台の上からおろし、手を引いた。
「俺がやるよ。、危なっかしいし。代わりにこれ頼む」
と言ってハタキを手渡される。
「…阿部君て、優しいね!」
「はぁ?!」
「あれ?言われない?」
「言われねーよ!気持ち悪いこと言ってんじゃねーぞ」
「えー!褒めてるのにー!」
「うるせぇ!さっさと他行ってろ」
「はーい。でも、本当にありがと」
と言って、私は阿部君から受け渡されたハタキを持ったまま、偶然にも視界に入った孝ちゃんの元へと駆け寄った。
「平気か?すげー音してなかったか?」
「ん。電球のお掃除しようと思ったら台から落ちかけちゃって、阿部君が助けてくれた」
「は?呼べよ。危ねーな」
「あはは、ごめん。あ。じゃあ、孝ちゃん、女子部屋の電球変えてよ」
「まじかよ。ったく…しょうがねーな」
「やった」
「(あー…。確か、泉の幼馴染なんだっけか。まぁ、女子でも流石に物怖じしねぇから助かるな)」
ただストレートすぎるのは性格だな…と心の中で付けたし、阿部は会話をしていると泉に視線を移した後、掃除を再開させた。
「さぁ!皆で山菜採りにいくよ」
掃除が終わり、志賀先生の声に誘導されながら私も千代ちゃんも一緒に山菜採りへと向かう。
「二人は別メニューね」
監督と三橋君と阿部君は、私達とは逆のグラウンドへと向かっていった。
ちらりと私がそちらを見ていると、それに気付いた花井君が首をかしげた。
「…」
「ん?どうした?」
「あ。花井君…ううん。まだ私、三橋君とちゃんと話してないなーって思って」
「まぁ、三橋があんな調子だしな。今は阿部に任せた方がいいだろ」
「そうなんだけどさー」
確かにバッテリー間の関係を深める方が優先だと頭では分かっているが、私も三橋君と仲良くなりたい…!合宿中に話できるといいな。という希望を抱きながら、私も山菜採りへと向かった。
「って、泉と一緒に部活で野球やってたんだろ?」
「うん。そうだよ」
山菜を採りながら花井君の質問に応える。
「ポジションは?」
「レフト。男の子に交って女の子が私一人だったから、監督が過保護でさー。初心者だったし、接触も少ないからってそこしかさせてもらえなかったんだよね」
「まぁ、そうなるか」
「実はその時にね、マネージャーもやってたんだよ」
「え。そうなの?」
「うん。元々、私、ポジション争いしたいわけじゃなかったしね。孝ちゃん見てたら、私もやってみたかっただけだし」
「お前ら見てて思ってたけど、まじで仲いいんだな」
「あはは、悪くはないかな。でも、今回も私が一方的に孝ちゃんに付いてきただけなんだけどさ」
「(幼馴染…って、居たことねーからわかんねぇけど、こんな執着するもんなのか?)」
「どうしても近くで見たかったんだー」
花井君と二人だけでこんなに長く話すのは初めてかもしれない。
だけど内容が明確だからかすごく話しやすい。
「だけど皆すごいよね。私なんか運動音痴だし力足りないから、全然ボールが前に飛ばないんだもの」
「まぁ、数こなすしかねーからなぁ」
「そうなの。だから昔バット振りすぎたおかげで、マメ潰れちゃったもの」
「痛かったぁ。ほら。まだちょっと残ってる」といって私が手を見せると、花井君が驚いたように目を見開く。
「え…」
「なに?」
「い、いや、がんばったん、だな」
「そりゃそうだよ。やる以上は全力じゃないと。だから私、今回も頑張るからね」
「(なんだ…こいつ…。見れればいいとか言ってたくせに…)」
「皆の為に、マネージャー頑張るよ。目指せ甲子園!」
「っ!(女のくせにマメつぶれるまでバット振るうって…。めちゃくちゃ野球好きだっつーの!)」
「花井君?どうかした?」
急に黙ってしまった花井君の表情を覗き込むと、はっと気付いたように花井君は顔を上げて私を見る。
「頼むぜ!」
「うん!」
花井君と話していると、後ろから聞きなれた声で名前を呼ばれていることに気が付く。
「孝ちゃん?」
「お前、これ貸してやるから被っとけ」
「え、わっ。孝ちゃん、なんで」
孝ちゃんが、ポスっと私の頭に帽子が被せる。
「え!いいよー!持ってきたなら、孝ちゃん使いなよ!」
「貧血でぶっ倒れて注意されてる前科ある奴が何もなしに迂路ついてんじゃねーよ!」
「昔の話だってばー!」
「(変な奴だけど…。まぁ、構いたくなる理由も、わからなくねーか)」
花井君は私達を見ながら呆れるように深く息を吐いていた。
そこから皆で宿舎に戻り、食事の準備を始める。
そこで志賀先生からのドーパミンの講義を受けながら、皆は食事に取りかかった。
「うまそう!」
「「うまそう!!!」」
ご飯を見るとホルモンが活発になるよう反射を作る訓練をするとのことで、 志賀先生のかけ声とともに、発した言葉を合図でテーブルに広げられた食事は一瞬でなくなっていたのだった…。