03話 合宿二日目
「泉君と仲良いよね」
「まぁ、幼馴染だからねー」
今日何度も言われた言葉に慣れたように私も千代ちゃんに返事をする。
「なんかいいなぁ。そういうの」
「千代ちゃんって、同中の子って…」
「いるよー。栄口君と阿部君」
「あ、そっか!二人とも同中なんだっけ!」
お風呂上がりに部屋に戻り、布団を引きながら、千代ちゃんと互いに中学の時のことを話す。
どうやら中学の時に千代ちゃんはソフト部で、栄口君や阿部君もシニアで別々に野球をやっていたから、今以上に絡みはなかったようだ。
「あ、あのね!私、ずっとちゃんに聞きたいことがあって…」
「うん?」
布団を引き終わり寝転がる私に、千代ちゃんは言いづらそうにしながらも興味津々な表情で近づいてくると、私の耳元でこそっと耳打ちをするように言う。
「泉君のこと、どう思ってるのかなって」
きらきらとした瞳で千代ちゃんが私を見ている。
あー…これは、女子特有の恋愛話だと瞬時に見抜けないほど、私もそこまで鈍くない。
「好き、だけど…。千代ちゃんが期待するようなことは何もないよー。私も幼馴染としてしか見たことないし」
「え。でも、泉君ってちゃんのこと好きなんじゃない?」
「へ?」
「…あれ?」
千代ちゃんの言葉に思わず頭がフリーズしてしまったが…。
「それは…ないかな。うん。絶対ない。むしろ私が付きまとうから、ウザがられてる気がする」
「そ、そうかな」
「私はこんなに孝ちゃんのことを好きだって伝えてるのに、冷たくあしらわれるし。そういう意味では、幼馴染として私の片思いだよ。ま、気にしてないからいいんだけど」
「(…それは泉君がちゃんのことをただの幼馴染として見てないからこそだと思うんだけど。って言いたいけど、私が言っちゃ駄目だよね)」
部屋でマネージャーの二人がとそんな話をしているのを、実は隠れて部屋の外で聞いていた百枝は一人可笑しくて笑いそうになるのを必死で押さえていた。
「(なるほどねー…ちゃんは気付いてなかったか。どうもかみ合ってない気がしてたのよね。ちゃんが無自覚なことも泉君は分かってるから、なかなか踏み込めないってとこかな)」
隣の男子部屋が先程までにぎやかだったのに大人しくなったのを感じると、私と千代ちゃんが顔を見合わせてクスリと笑い合う。「私達も寝ようか」と言って、布団に入り直した。
こうして合宿の一日目が終わり、二日目の朝を迎えた。 朝の準備から始まり、合宿所の近くの敷地で、まずは硬球に慣れることを主体とした練習が行われていた。
「ー!見てて!」
「え?」
「田島君、いくよ!」
「はい!」
監督の声で、バットを構える田島君に声を掛けられ、ボールを運んでいた手を止める。
すると、田島君がバットを振るうと全打球綺麗にいい音を立てて高くボールが上がっていた。「OK!」と監督が言うと、田島君は頭を下げ私の方に駆け寄ってくる。
「田島君、すごい!」
「へへーん!わざと全部高く上げたんだ。綺麗だっただろ?」
「うん!格好良かった!」
と私がいうと、田島君は大きな目をぱちくりとさせた後、ニカッと笑い、「そうだろー!」と言って私の肩を抱く。
最初は驚いたけど、田島君のスキンシップが多いのも私は数日で慣れてしまっていたから、田島君とは気兼ねせずに話せるのでうれしい。
「あ。ドリンク足さなきゃ」
「俺、手伝おうか?篠岡いないし」
「ありがと!でも大丈夫ー!」
千代ちゃんは皆が練習している間に志賀先生と買い出しに行って、洗濯物と台所の下準備をしてくれている。
その間に私は、監督と皆の練習のサポートだ。あ、あと間に監督の犬のアイちゃんの散歩も頼まれてたんだ。ということを思い出す。
やることを分担していても、まだまだたくさんある。
練習が終盤に差し掛かったところで私は少しだけ皆より先に帰り、合宿所の台所へと直行する。
「千代ちゃん!」
「ちゃん!お疲れ様!」
「準備ありがとう」
「ううん!ちゃんも暑かったでしょ。あ、ボトル貰うよ」
「うん。ありがとう!私もすぐに手伝うね」
手を洗い、エプロンをする。食事の準備にすぐ取りかかれるように食器やらを確認する。 そうしていると、皆の「疲れたー!」という声が響いてくる。今日も皆で食事の準備も皆で行うという監督の指示で、食事の準備にそれぞれが自主的に取りかかる。
孝ちゃんの声が聞こえて、ピタリと私は動きを止める。
「、箸あるか?」
「はい」
「サンキュ。これ、もう鍋入れるぞ」
「ありがと。あ、ねぇ。孝ちゃん、これもう少し薄く切って入れた方が良いかな?」
「別にいいんじゃねぇか?食えればなんでもいい奴らばっかだし」
私と孝ちゃんが山菜を焼く準備に取り掛かっていると、周囲からの視線を感じる。
「えーっと…。やっぱ薄く切った方が、良いのかな?」
「馬鹿。ちげーだろ。…なんだよ。お前ら」
孝ちゃんが視線の感じた方を睨むと、「いや…」「なんでもないです」といって皆が顔を逸らす中、 私達のやり取りを一番近くで凝視するように見ていた田島君が声を上げる。
「俺はね、泉だけずりーなーって思ってさ」
「はぁ?」
「呼び方だよ。俺もに呼ばれてぇし、呼びてぇよ!」
「呼び方って…あ、名前のこと?」
私がそう言うと、田島君が前のめりになって「そう!」と私たちを指で指す。
「え。好きに名前で呼んでくれていいよ?」
「本当?!」
私が頷くと、田島君は嬉しそうな表情を浮かべて叫ぶ。孝ちゃんは隣で呆れたように息をついた。
「じゃあ、俺もって呼ぶー!」
「あ!ずりぃ!田島!!」
「皆も呼んでいいよ」
「まじでー?!」
「もちろん!」
水谷君に返すと、それを聞いていた他の部員も「じゃあ、おれもー」と言ってそれぞれが私の名前を呼んでくれる。
「!!あとさ!俺のことも泉呼ぶみたいに呼んで!」
「え?うーん…じゃあ、悠君…で、いい?」
「家で呼ばれてるみてぇ!それがいい!!」
田島君…もとい、悠君はそういうと満足げに走って花井君達が山菜を洗っているところへと走って行ってしまった。
私も名前で呼ばれるのは仲良くなれた様で確かに嬉しいかもしれない。
「田島の下の名前知ってたのか」
「そりゃ、マネージャーだからね」
「ふーん」
という孝ちゃんだが、声のトーンが低くどこか少し不機嫌そうな感じがする。
「…孝ちゃん、なんか不機嫌?」
「は?別にそうでもないだろ」
「えー!嘘だー!」
私がそう言うと、チッと舌打ちをする孝ちゃん。
それでも淡々と山菜を揚げる準備を進めている孝ちゃんの顔を私が覗き込むと、「なに見てんだよ」と言ってぺシッ!と左手でおでこを叩かれた。
「あいたっ」
「ったく…」
「だって孝ちゃんの様子がなんか変だったから心配してあげたのにー」
すると孝ちゃんは息を吐き、お箸をその場に置くと、ちょいちょいと人差し指を立てて私に自分の方へ近づくよう催促をする仕草をする。
「?」
私が孝ちゃんの方に顔を近づけると、ガシッと頭を掴まれたあと、私の耳元に孝ちゃんが顔を近づけた。
「ほかの野郎に名前呼ばれて喜んでんじゃねーぞ。あとこれ以上隙見せんな。まじで襲うぞ」
「え」
聞こえてきた孝ちゃんのいつもより低いトーンの声に、驚きすぎて思わず固まってしまった。
「孝ちゃ…」
「…って言ったらどうするよ」
孝ちゃんは、いつもの明るい声のトーンでそう言うと、ポンと私の頭を軽く叩く。
「だ、騙した?!」
「騙したって人聞き悪ぃな」
――「でも、泉君ってちゃんのこと好きなんじゃない?」
合宿の夜に言われた千代ちゃんの言葉を思い出してしまい、少しだけ染まった赤い頬を隠すように私がそっぽを向き、いや、ないない。あれは千代ちゃんの勘違いだから。と首を振って思考を振り払っていると、孝ちゃんが先程の不機嫌そうな表情とは打って変わって楽しげな表情を見せる。
「なに赤くなってんだよ」
「何にもない!びっくりしただけ!」
「ほーう」
これは、完全に遊ばれている…!悔しい気持ちを込めながら、孝ちゃんに切った山菜を突き付けた。
「(あいつ思ったより、反応よかったな…)」
泉自身、この合宿であまりにも苛々したのが溜まっていたせいで、いつもより少し攻めてみたつもりだったが…。 自分の言葉に対して、赤くなるは初めて見たかもしれない。好機とみて、このままもう少し攻めた方がいいか…?いや、あまり攻めすぎると危険だ。逃げられる可能性がある。
と思考を巡らせながら風呂に浸かっていると、次第に泉は頭が呆けてきたところで一端思考をストップさせて周りを見渡す。
「あれ、田島はー?」
「さっき上がったぜ」
「じゃあ、俺も先行くわ」
「おーう。あ、泉。先に布団頼むわ」
「はいよ」
花井やまだ大浴場にいる部員たちを残して先に、風呂場をでた。
「(でもやっぱ攻めなきゃ変わらねーよな…。反応見つつギリギリのとこまで攻めてみるか)」
再び思考を再開させ、泉は一つの結論にたどり着く。
着替えを終えて外へ出ると聞こえてきた声の方向に目をやった。
「んで、その時引っかけたのが…」
人が決意をした途端にこれか…。と泉は目の前の光景に思わず眉を寄せた。
お風呂上がりのが田島となにやら廊下で立ったまま話をしているのが聞こえてくる。 どうしたものかと考えていると、田島の方が先に自分の存在に気がついたようだ。
「おー!泉!」
大きく手を振るう田島に思わず息をつく。
「なにしてんだよ」
「たまたまと会ってさ。も風呂上がって部屋戻るっつーから送ってこうと思ってたんだ」
「じゃあ早く戻れよ。こんなとこいると湯冷めするぞ」
「そうなんだけどさー」
「最初は星が綺麗で見てたんだけど、悠君の話が面白すぎてそれどころじゃなくなったんだよね」
あはは!とお腹を抱えて笑うに追い打ちを掛けるように、田島も会話を進めている。
一体何の話かは知らないが、高校生の男女二人が夜中に星を見て、星そっちのけでよくこんなムードもかけらもない展開になれるなとも思うが、人のことを言えた義理でもなければ、なられても頭にくるわけだが…。
実際、楽しげに話す二人を今、見ているだけでも腹が立ってくる。
「ほら、部屋戻るぞ」
「そうだな」
おやすみ。と手を振り、が部屋に戻るのを見送った後で、田島と泉も部屋に戻る。
「田島、と一体なんの話してんたんだよ?」
「ああ。俺が昔、練習で飛んできた球避けるの失敗してキンタマぶつけた話だよ」
「…は?」
「また今度、泉にも詳しく話してやるよ」
「いや、いらねーよ」
つーか、星見ながら女にする話じゃないだろ…。逆に星に同情を覚えるぞ。苛立つ前にすっかり力が抜けてしまった泉だった。