19話 閉ざされた扉


皆さん、私は今日、地獄へ落ちるかもしれません。

「俺も寝るから」

静かにそう言って翼が部屋に入ろうとドアノブに手を置いた。

「え?!ちょっ!待って!」

それじゃ、私がここまで頑張って来た甲斐が無い!

「なんだよ」

な、何故か凄く怒っていらっしゃる…!こわい!本音を言えば、今すぐここから逃げ出したい…! まさに今、現在の状況を例えると、蛇に睨まれた蛙。いつもの倍の黒いオーラを放つ翼にたじろぐ。

「あ、の、えーっと…」
「…早く用件言ってくれない?」
「ご、ごめんなさい!」

いや、わかってる。分かってるんだよ。私にも!! けどね、私…そもそも何しに来たんでしたっけ?やばい。あまりの恐怖に頭の中が真っ白になった。

「いや、だから…」
「だから?」
「だ、だからー!よ、用件がないと来ちゃ行けないのかな?」
「はぁ?」

その瞬間、何言ってんだ、こいつ馬鹿?こいつが本当の馬鹿か? というようなあり得ないほど悲惨な瞳で翼から睨まれた。

「ゴメンなさい!嘘です!引き止めてすいません!用件、忘れました!」
「……」
「む、無言やだー!」
「はぁー…ドジ、間抜け」
「うっ…そこまで言わなくても…」
「ないの?」
「あります!超あります!私は馬鹿でドジで間抜けです!」

反論したいけど出来ないってこのことだね。うん。

「それで?なんで藤代と居たわけ?」
「え?いや別にあれはー」

…どうしよう。迷子になりました。なんていうと、また馬鹿にされそうだ。言葉を詰まらせた私に翼が詰め寄る。

「俺は何でかって聞いてるんだけど!」
「迷子になりました!!」
「はぁ?!」

翼の怖さに、つい本当のことを!くそっ!私の正直者!! 私はあまりの翼の気迫の怖さで、自分の頭でストップをかけようとしているのとは裏腹に、 恐ろしいくらいペラペラと気づいたときには全部喋ってしまっていた。私の馬鹿!こんなの言ったら…。

「バッカじゃないの!」
「言われると思ったー!」
「ったく…ほら、帰るよ」

そう言って翼は私に手を出す。

「?」
「お前、どうせ此処から一人じゃ帰れないんだろ?部屋まで送ってやるよ」
「…ありがとうございます」

私は大人しく翼の手を取った。まぁ確かに一人じゃ部屋まで戻れそうにない。本当、私…何しに来たんだ?

「自分が情けない…」
「今更だろ?」
「あー!翼、酷いんだー!」
「お前ねー、自分の立場分かってんの?」
「え?」
「俺は別にを此処に放って、自分の部屋に戻ってもいいんだけど?」
「ごめんなさい。それは嫌です。部屋に戻りたいです」
「馬鹿もここまでくると表彰ものだよ」
「うっ…」

そりゃあこんなとこまで来て、迷子になる奴だけどさ。そんなに呆れた目で私を見ないで!

「自分が何で俺のとこに来たかも忘れる。来る途中で迷子になる。おまけに一人で帰れない。正真正銘の大馬鹿だよ」
「馬鹿に大がついたよね!レベル確実に上がってるんだけど?!」

どうせ私は馬鹿ですよ!大馬鹿ですよー!

「…でも俺は」
「え?何?」

頬を膨らませて拗ねる私に、翼が小さく何かを言う。

「それでもお前が好きだ」
「え」

……今何言った?私の間違いか?
立ち止まり、振り向くいた翼に私は思わず肩を掴む。

「つ、翼、熱でもある?!それとも何か拾い食いでもした?!」
「…お前なー」
「翼が私のこと褒めることすらないのに…まさか!」

ありえない!絶対にありえない!!だって私、超迷惑な迷子だよ! 散々、翼に迷惑を掛けている自覚がある。
それなのに…うん。やっぱり聞き間違いだ。そうに決まってる!! あの翼が私を少しでも褒める台詞をいうわけがない!

「そうじゃなきゃ、天変地異…?」
「お前は人が恥を忍んで……っ!」

下を向いて肩を震わせる翼が、急に顔を上げて私を見る。

「つば、さ…?」
「死ねばその悪い頭も治るんじゃない?どこかにハンマーあるなら、俺がかち割ってやるから持って来い」
「え。いやいや、何言ってんの。流石にそんな物騒なものはないよ?!」

ゴン!

「いっつ!!!」

私は、翼に思い切り頭を拳で殴られ、頭を手で押さえてその場に座り込む。

「なら、さっさと寝ろ!この馬鹿!!」

そう言い放ち、立ち去る翼に「待って…」と声を掛けようとするも、 パッと顔を上げて部屋のプレートを見る。あ、これ私の部屋だ。本当に部屋まで送ってくれたんだ…。

「つ、翼!送ってくれてありがとう!」
「まだ叩かれ足りないならいつでも言えよ。殴ってやるから」
「いや、いいです!遠慮します!」
「…おやすみ、
「あ、うん。おやすみ」

そういって私は翼が去って言った後も、なぜか体が硬直したようにその場で動くことが出来なかった。

「(び、びっくりした…!)」

翼の言葉を思い出し、トクン…トクン…と心臓の音が高まる。

――「それでもお前が好きだ」

私は顔が熱く、心臓が大きくなっているのがはっきり分かる。 違う。絶対に、違う。…こんな感情はありえない。

パン!

私は思いっきり自分の頬を叩いた。

「…よし!早く寝よう!」

そう。あれは幻聴。聞き間違いだ。
このドキドキも、きっと、あまりに予想外だったから吃驚しただけに過ぎない。 立ち上がり、自分の部屋のドアを開けようとした時、私はふと食堂での出来事が頭を過ぎる。

「あ!思い出した!私、翼に将とか明日のこと聞きに行ったんだ!」

ああ!もう!と私は、自分の馬鹿さにため息をつき、部屋に戻った。


「おう、翼」
「何処行ってたんだよ?」
「馬鹿をこの辺で見つけたから部屋に送ってきた」
「ああ、か」
「え?でもあいつの部屋、反対方向だろ。なんでこんなとこまで…」
「迷子だってさ」
らしい!」

ゲラゲラと笑う柾輝達と軽く会話をしながら、俺は自分のベッドの中に潜りこむ。

「……」

ありえない。俺があの一言いうのにどれくらい苦労してるか、あの馬鹿は、絶対に分かってない。
本気でハンマーで殴ってやろうかと思ったくらいだ。 深いため息を布団の中でつく。

「(俺は、本当にお前が…が好きなんだよ…!)」

その場でそう言いたかったが、やはりあの反応を見ると躊躇してしまった。 あんなことも、本当は言うつもりなかった。 だけど、藤代が…あいつがと一緒にいたもんだから、前に藤代が言ったこと思い出してしまったんだ。

――「椎名はが可愛いって思ってねぇの?」

可愛いに決まってる…。そんなのあいつらよりずっと前から自分は知ってる。 ぐるぐるとする思考に、翼は疲れたように目を閉じてそのまま眠りについた。