09話 勝利と敗北の決意


「ただいまでーす!」
さん、おかえりなさい」
「あれ、リョーマもう帰ってるんですか?」
「ええ。今は、お寺の方でおじさまと」

菜々子さんと話しているところにちょうど玄関が開き、聞きなれた声が聞こえてきた。

「ただいま」
「あ。噂をすれば」
「ですね」

くすくすと菜々子さんと顔を見合わせて笑う。

「おかえり。リョーマ」
「なんだ。遅かったじゃん」
「竜崎先生と明日のランキング戦の打ち合わせをしてたから。南次郎さんと打ってたんだって?」
「まぁね」
「お疲れ様」

いくらランキング戦で部活が早く終わったからといえ、部活で散々試合をした後にもテニスなんて。よくそんな体力が残っているものだと感心してしまう。

「ねぇ、ちょっと付き合ってよ」
「え?私が?」
「そう。軽く流す程度でいいから」
「たしかに、まだ夕飯まで時間はあるけど…」
「じゃあ、いいじゃん」
「でもさっきも打ってきたんでしょ?リョーマだってさすがに体、休めないと…」
「親父相手だと終わった後スッキリしないんだよね。それにまだの相手くらいなら出来る」
「失礼ね!これでも、元ダブルスプレイヤーよ!」
「じゃあ、その実力を証明してみせてよ」
「いいわよ!着替えて、ラケット持ってくるから待ってなさい!」
「(単純…)」

急いで階段を駆け上がるを横目にリョーマは、自分でもの扱いが上手くなっているのが分かった。



「いい?リョーマ、手加減しないでよ!」
「するわけないじゃん」
「時間がないから、3ゲームで勝負ね」
じゃ、1ゲームも取れないと思うけど?」
「そんなのやってみなきゃ、分からないでしょ」
「じゃあ、そっちからサーブでいいよ」
「サービスプレイね」

のサーブは、リョーマも以前、部活で目にしているが、この距離でみても、やはりフォームに乱れは感じない。

パン!

のボールは綺麗にリョーマのコートに決まる。

パシン!

リョーマは、軽くの球を返す。今、打ち合っていても、のフォームはやはり綺麗だと感じる。 ボール自体の力は普通だし、いうほど速くもない。ただ、拾える球にはくらいついてくるし、上手に決めるところには決めてくる。

「わっ!」

スパン!!

リョーマのボールは、が反応するよりも速くの横をすり抜けた。

「40-0。次で、3ゲーム取れちゃうけど?」
「あーもう!くやしいけど、リョーマやっぱ強いね。私じゃ全然敵わないもの」
「1ゲーム取ってるくせに」
「流石に完封負けなんて笑えないでしょ」
「でも、って分かりやすいよね。行動が読みやすい」
「う、うるさいなー!」
「まぁ、練習にはちょうどいいけど」
「うっ…」
「なに?」
「それ、部活でいつも言われるの」
「だろうね」
「あーあ。やっぱり私じゃ、リョーマの相手は無理だなぁ」

リョーマの挑発にのせられて、始めた勝負だったけど軽く打ち合っただけで、実力の差はあきらかに見えてしまう。 正直、そんなリョーマから1ゲームを取れたのは奇跡…いや、意地に近い。

の球は、ちょうどいいと思うけど?」
「なにが?」
「速さも普通だし、コントロールも悪くないから、ボールがコートでいい感じに乱れる」
「つまり、それって…」
「精密な機械で練習するより、マシ」
「リョーマ!それって、思いっきり私のこと馬鹿にしてるでしょ!」
「要するに、は言うほど下手じゃないってこと」
「だからー…って、あ、あれ?それ、褒めてる?」
「バーカ」
「生意気ー!とにかく、後一球リョーマの番よ!」
「やるんだ」
「やるわよ!勝負は最後まで分からないでしょ!」
「ほんとのそういうとこ、嫌いじゃない」
「え?」

スパン!

綺麗なフォームですばやく打たれたテニスボールは、の横を抜き去った。リョーマは不敵な笑みを浮かべて、飛んでいったボールの先を指差す。

「俺の勝ち」
「…あああー!」

滅多に言わないようなリョーマの言葉に固まっていると、不意をつかれてサーブを決められてしまった。

「今のずるい!」
「ぼーっとしてるが悪い」
「意地悪」
「なんとでも」
「あーあ。悔しい」
「…」

実力がリョーマに及ばないのは分かっていたが、にとってはそれも含めて、ここまで簡単にリョーマにゲームに負けてしまうとは…。実力差は明らかだ。

「言っておくけど、今度は1ゲームも取らせないから」
「ええー!またやるの?!」
「へー。珍しく逃げる気?」
「に、逃げるとかじゃなくて…」
「じゃあ、なに?」
「私じゃ、リョーマの練習にならないじゃない」
「自信ないんだ」
「あのねー!」
「俺はが負けたままでも別にいいけど」
「うっ…そりゃ、リベンジしたいけど…」

そこまでリョーマに言われたまま黙ってられるでもない。 だけど、ここで言い返して話に乗ると完全にリョーマのペース通りになってしまう。リョーマの真意が見えていながら、跳ね返すことが出来ない。

「もうー仕方ないな…。たまにでいいなら練習付き合うから…今度リベンジさせて?」
「ん。決まり」
「本当、生意気―…。でも、やっぱり優しいから許しちゃうじゃない」

私が力が抜けて座り込み、リョーマの方を見上げてそう言うと、リョーマは目をぱちくりさせて驚いたような表情をする。

「全く話の流れがみえないんだけど?」
「私のこと、気遣ってくれたんでしょ」
「そんなんじゃない」
「あはは。リョーマらしい」
「勝手に言っとけば?」
「うん!そうする!」

は立ちあがって、帰ろうとするリョーマの後ろを走って追いかける。リョーマの横に並ぶと、にっこりと笑うにリョーマは思わず目を逸らした。

「はぁ…俺の負け」

リョーマは、自分の気持ちに敗北を認めざるを得ないと思った。相変わらず鼓動が煩い。そして何度振り払おうとも消えない。拭いとれない初めての感情が渦巻いている。

「へ?なんか言った?」
「なんでもない」
「あ。そういえば今日の晩御飯、なんだろうね?」
っていつも食べ物の話するよね」
「だって、毎日楽しみなんだもん」
「そう」
「私、今日も洋食だと思うのよねー」
「ふーん…」

先ほどまで、自分が話の主導権を握っていたつもりが、いつの間にかのペースだ。 は、本当に自分のことをよく見ていると思う。 だからこそ、自分はにいつも驚かされて、さらりと人を喜ばせるような台詞を言い逃げする。 の言葉が、行動が…。一体どれほど自分の心に影響を与えているのか分かっているのか聞いてみたくなる。 リョーマは、一つ深い息をつくと、何かを決心したように前を向く。

「言っとくけどさ…」
「ん?」
「俺、負けるの嫌いなんだよね」
「そりゃ、負けるのが好きな人はいないんじゃない?」
「だから、絶対に負けるつもりないから」
「えー?あ、分かった!次のランキング戦の話?」
って鈍いよね」
「そんなことないと思うけど?」
「よく言うよ…」
「?」

は、首をかしげてリョーマの言ったことの意味が分からないと言うようにリョーマの方を見ると、リョーマが口を開く。

「今はわかんなくていいけどね」
「ふーん?」

いつもよりどこか優しくそういうリョーマになぜかは納得するしかなかった。



「ただいま帰りましたー!」
「二人とも、おかえりなさい」
「早く手洗って来なさい。先にご飯にしましょ」
「やったー!今日はなんですかー?!」
「シーフードグラタンですよ」
「…また洋食?」
「ね!私の言った通りでしょ!リョーマ!」
って、そういう読みだけはいいよね」
「だけって言わない!」
「おー、リョーマ。あんまり虐めると嫌われるぞ」
「南次郎さん!」
「親父…」
「ほら、ちゃん。早く手洗って、食おうぜ」
「あ、はい!」

は南次郎に肩に手を置かれて、無理矢理背中を押されるかのように、リビングへと連れて行かれた。

「…はぁ」

リョーマは、そんな南次郎に腹が立つのはいつものことだが、どうも今回はまた違ったむしゃくしゃとした感情。 だが、自分でこの感情がなんなのか分かってしまったからこそ、ため息しか出ない。

「まだまだだね…」

ぼそりと自分に言い聞かせるかのように。リョーマも家に上がった。