21話 少女の名前
「えーっと、後これもお願いします!」
「いつも熱心だねー。ちゃん」
「いえ!都大会も近いので!」
「じゃあ、これ注文しておくね」
「お願いします!」
うちの学校のお得意さんであるスポーツ店に、私は竜崎先生に頼まれて新しいボールとネットを注文しに来ていた。
「あんまり無理して体壊しちゃだめだよ」
「おじさんこそ、お店が忙しすぎて倒れないで下さいよ!」
「あはは、ありがとう!」
「それじゃ」
私は、スポーツ店を出て再び、まだ部活中である学校へと戻ろうとしていた時、事件は起こった。
「ぁあ?車がパンクだー?」
「は、はい…申し訳ございません」
「仕方ねー、電話で迎えを…」
「じ、じつは、向こうの電波の調子が可笑しい様でして」
「電話が繋がらねーって言いたいのか?」
「本当に、申し訳ございません!」
いつものスポーツ店を出たところで目に留まったのは、高級車に執事。
こんな所には不釣り合いなほどに綺麗な黒が光っており周りを歩いている人達もそんな彼らに目を止める。
「すごいお金持ち…」
私は、周りをきょろきょろと見渡しどうやら道端で困っているらしい彼らにゆっくりと近づく。
「あのー。パンクなら、近くにガソリンスタンドがありますよ」
私がそういうと車の後部座席の窓から、制服をきた男は私を睨みつける。
「…なんだ、てめぇは」
「車がパンクして困ってるんですよね?」
「随分なお節介だな。俺様から、金でも上手いことせしめとろうってか?」
「お、お金?!私、そんなの取ろうなんて思ってません!」
「なら、とっとと失せろ」
偉そう上から物をいう彼の言葉に私は、とっさの勢いで言い返す。
「人が困ってるって分かってるのに、黙って放っておけるわけないでしょ!」
「ぁあ?!」
偉そうに座って私を見るムカつく男だけど、このままでは執事さんが可哀想だ。
私は、制服を着たその男を無視して執事さんの方を向いて話す。
「私が近くのガソリンスタンドでここの場所伝えてきますからじっとしてて下さい」
「いや、しかしそんなご迷惑は…」
「通り道なんで、気にしないでください」
「お前の言うことなんざ信用できねーなぁ」
あざ笑うかのように鼻で笑いながらそういう彼を私は睨みつけた。
「さっきから聞いてれば…!"お前"とか、"てめぇ"とか失礼ですよ!私には、…。っていう名前がちゃんとあるんです!」
「…?」
「そう。。だからもう"お前"とか"てめぇ"とか呼ばないでくださいね」
の姓に、彼はなにか思い当たる節があるのかピクリと微かであるが眉を寄せた反応を見せるもは言葉を進める。
「もし暫く待ってもガソリンスタンドの人が来なかったら、私に文句でも言いに来たらどうですか?名前が分かってるなら、私のこと調べるのなんて簡単ですよね」
「…上等だ。その名前忘れねぇぞ」
私も、むかつく男の顔をしっかりと頭の記憶に叩き込んだ後、近くのガソリンスタンドに寄り、彼らの車のパンクを知らせるとすぐに対処してくるらしく安心して私は学校へと戻った。
「すぐに直りますので」
「ありがとうございます!」
執事は、が去った代わりに来た車業者の男に頭を下げる。
「おい…」
そんな様子をただ見ていた制服の男は、パチンと指をならすと黒い服を着た長身の男が近くに現れる。
「お呼びで御座いましょう?」
「さっきの女を徹底的に調べ上げろ」
「…分かりました、景吾様」
「か…」
男は、甲高い声を出して笑った。
「なんでわざわざ名乗ったわけ?その上、調べろとかさ」
「だっていくらお金持ちでも、あんなに偉そうに言われたら頭にきたんだもん!」
部活が終わった帰り道、桃とも別れてリョーマと二人で帰りながら先ほどのムカつく金持ち男のことをリョーマに話していた。
「いつか、痛い目みるよ」
「そうかな?私は普通の女の子より図太いから大丈夫だよ」
自分で言うのも悲しいけど、私はちょっと男の人に脅されたくらいじゃ退かないし、人より図太くないとうちの男子テニス部のマネージャーは務まらないと思っているだけに どこか他の女の子より多少は強いという何の根拠もないくせに、妙な自信を持っていた。そんな私を見透かしているかのように、リョーマは深くため息をつく。
「そう言うのが一番危ないと思うけど?」
口では冷たいことを言っているが、おそらくリョーマは、私のことを心配してくれてるのだろう。 右手で頭を抱えてそう言ったリョーマに、私はにんまりと口角を上げてリョーマの顔を正面から見つめる。
「やっぱり私は、平気だよ。だって今も一緒にリョーマがいてくれてるじゃない」
「は?なにそれ」
「心配してくれる人がいるなら大丈夫ってこと」
リョーマに気付いてほしいけど、気付いてほしくない気持ちもある複雑な恋心を、私は取り払うかのように冷静を装って言ってのけた。
「…別にそんなんじゃないし、に何があっても俺は知らないから」
「えー!リョーマつめたい!」
「前にも言ったけど多少は危機感持ちなよ」
「はいはい」
「はぁ…」
が本当に、分かっているのかは謎だが、これだけ自分が言っているのだから多少は気をつけるだろうとリョーマは、妥協するかのようにため息をつく。
ただ、が言った言葉…俺がいるから平気という言葉に秘められた意味が気になる。 表情と声はポーカーフェイスを気取っているが、内心では、どこかの言葉に期待してしまう自分がいた。
「(俺も…まだまだだね)」
「何してんの、リョーマ!早く帰ろうよ!」
リョーマと少し離れた距離から、後ろ向きでリョーマを見ながら歩き無邪気に叫ぶ。 そんなを見ていると、どこか考え込んでしまっていた自分が馬鹿馬鹿しくなり、小さく笑みがこぼれた。
「。こけるよ」
「私、そこまで子供じゃないよ」
「どうだか」
「生意気!リョーマの方が年下のくせに!」
「一つしか変わんないじゃん」
「それでも年上は年上よ!身長も私の方が勝ってるし」
「の身長なんてすぐに追い抜くよ」
「リョーマは毎日、牛乳飲んでるもんね」
「…本当、口だけは達者だよね」
「あははは!頑張れ!青少年!ってね。南次郎さんの真似よ」
たったこれだけの日常のやりとり。だけど、たったこれだけ…たったこれだけで自分の不安や嫉妬、焦りさえも全て消えてしまうのだ。
「似てない」
「うるさい!」
お前は単純だと言われても構わない。俺が欲しいと願っている彼女は今、目の前で俺に笑顔を向けているから。
「じゃあ、リョーマがやってみてよ」
「やだ」
「あいたっ!」
リョーマは自分を覗き込んでいるの額を指で弾くと、相当痛かったらしいは思わず手で少しだけ赤くなった額の箇所を擦る。 そんなやりとりをしていた二人の方向にゆっくりと黒い高級車向かってくるが、その車は軽快にその横を抜き去った。
「見つけたぜ…」
男は、車内でそんな二人を見てほくそ笑む。出会いは、必然か偶然か…。
この時、彼とまた再び深く関わり合うことになるなんて知りもしなかった私にとって、これが思いもしない彼との最初の出会いだった。