23話 常識外れの大富豪
「だ、大丈夫?リョーマ?」
「…気持ち悪い」
私は、水道の水で口の中を必死で洗い流しているリョーマの背中をさする。
5ラリー対決で惜しくも、菊丸先輩に敗れたリョーマは我らの名物とも言えるだろう乾先輩特製野菜汁を飲まされてしまい、真っ青な顔をしている。
「大丈夫かよ、越前」
「結構イケると思うんだけどな」
そんなことを笑顔で言うのは不二先輩くらいだろう。
「リョーマ、自販機で買ってきたよ」
「…ん」
私は自販機で買ってきた缶ジュースをリョーマに手渡すと、一気にリョーマは飲みほしてしまった。
「(そんなに、すごいんだ…乾汁)」
未だに飲んだことのない私には、分からないけど大石先輩や海堂君もまだ気持ち悪そうにしている。
「大石先輩もどうぞ」
「あ、ありがとう…」
「はい。海堂君」
「…悪ぃ」
大石先輩も海堂君にも渡すと、同じように一気に缶ジュースを飲みほした。
「はぁ…」
「おチビー!練習再開するよー!」
「今行くっス」
「頑張ってね」
私は、リョーマから空になった缶を受け取りやっと少し元気になったリョーマを見送った。
カラン カラン
私は3人分の空になった缶をゴミ箱へと捨てた。
「よし!早く戻らなきゃ!」
コートへと戻ろうと方向を変えて振り返った瞬間、あり得ない人物を目の前に私は思わず息を飲む。
「久しぶりだな。」
「え…」
「俺様のことは、覚えているか?」
背が高くて、俺様口調に態度、そして高そうな制服に身を包む彼のことなんて忘れろと言う方が無理だろう。
「…パンクした車はどうなりましたか?」
以前パンクして困っていた執事さんを助けるために、私はつい喧嘩腰で名前を名乗ったのを思い出す。 目の前の彼を下からジッと睨みつけると、彼は突然私に深く頭を下げた。
「あの時は助かった。素直に礼を言う」
「え?あ。いえ…そんな、頭を下げられるようなこと…」
プライドの高そうな彼が予想外にも素直な反応を見せられて、思わず驚き彼に頭を上げるように促すと、彼はすくりと顔をあげて私を見つめる。
「それより、一体どうしてうちの学校にいるんですか?」
文句があるなら私のところまで言いに来いとは言ったが、現に私に謝罪をのべている上、直ったのならなんの文句もないだろう。 制服の違う彼がわざわざうちの学校まで来たことに私は首をかしげた。
「決まってるだろ。礼をしに来た」
「え…。わ、わざわざですか?!」
「俺様は、貸しを作るのは嫌いでな」
「私、貸しなんて思ってません!気にしないでください」
「何が欲しい?お前の欲しいものをくれてやるぞ」
「いやいや、私の話聞いてます?!」
彼がお金持ちなのは、充分目にしているだけに何かを言おうものなら本当にされてしまそうで恐ろしい。
できれば、さっさとこんな自分勝手な王子様とは縁を切りたいところだ。
「まさか、欲しいものがねぇのか?」
「そもそも突然言われても困りますよ」
「じゃあ…そうだな」
私がそう言うと彼は、困ったようになにかを真剣に考えているようだ。
「あの、本当に気にしないでください。お気持ちだけで嬉しいですから。あと私、時間ないんでそろそろ…」
「」
「はい?」
その場を去ろうとした瞬間、突然、名前を呼ばれた私はピタリと動きを止めて返事をする。
「俺様の女になれ」
「…はぁ?!」
「決定だ。それなら貸しも返せる。お前も文句は無いだろ?」
「大有りです!!」
彼の俺様っぷりに、思わず頭を抱えたくになる。
「なんだ。まだ足りねーか?」
「いや、そうじゃなくて!」
「俺様の彼女にしてやるって言ってんだ、何が不満だ?」
「そもそも私は、あなたのお名前すら知らないですから!」
「ああん?…そうか。お前はなにも知らねぇのか」
「え?」
“お前は?”
私は、彼のどこか引っ掛かりを見せる言葉を疑問に思いつつも、おもむろに制服のポケットから出した携帯で電話をかけだした彼の行動にじっと目をやる。
「仕方ねぇ。なら今日のところは大人しく帰ってやる」
「…はい?」
携帯の通話ボタンを切ると、彼は私の方を向いてそう言った。
「俺様はお前をよく知ってるが、お前が俺様を全く知らねぇっていうなら話は変わってくるからな」
私を…よく知ってる?
それは一体、どういう意味なのだろうか…。調べたとか、そういうことだろうか。彼はさらに続けて言う。
「でも、それなら話は簡単だ」
彼は、右手を大きく上に上げてパチン!と指を鳴らす。
「これからお前に、跡部景吾っていう男を嫌ってほど分からせてやるぜ」
彼がそう言って甲高い笑い声を上げたてやっと私から去っていく…。
私は、話の展開に全く付いていけずに力が抜けてその場にペタンと座り込んだ。
「な、なに。あれ」
たしか今、跡部景吾って…。
「ん?跡部?どこかで聞いたことあるけど…どこだっけ?」
お金持ちみたいだし、家だってもちろん有名なんだろうから、CMとか会社の名前とかで聞いたことがあるのだろうか?
というか、どこかで見たことあるような…。うーん…。思い出せない。
そもそも私、マネージャーになったのも去年の冬からだから、 別の学校の生徒とか、テニスの大会に出てた人とかそんなに詳しくないんだよね…。 でも見たことがあるってことは、どこかのテニスの大会で見かけたのかな?
「って!そんなことより、早く戻らないと怒られる!」
私は、急いで皆が練習しているコートへと走った。
「彼女にお伝えしなくて良かったのですか?」
「ぁあ。構わねぇ」
跡部は、後部座席にドカッと座る。
「…」
「本当に、あの医師の娘だってのか?」
「間違いありません」
「娘の話はよく聞いていたが…そうか。通りでな」
跡部は可笑しそうに声を高くして笑う。
「面白いことになったもんだ…。俺様の元専属医の娘とはな」
アメリカの大病院での一大プロジェクトに携わることになり、惜しくも手放さなければならなくなった専属医。
ただ向こう研究に興味があるというだけで、給料を弾むと何度もこちらが引き止めても「既に決めた」といい、こっちの言うことなど全く聞く耳を持たずに辞めた。
その娘が同時期に現れるなんて、跡部にとってこれは思ってもみなかったことだった。
「…懐かしい写真だな」
「彼女を調べていたら、思い出しまして」
跡部は、執事によって机の上に並べられた医師と幼い自分が写る写真に目を細める。 明るくて温かくて気さくな性格の医者に、幼いころからどこか安心し、心を許していた。
「俺様は、二度は手放さねぇ」
欲しいものは、全て手にしてきた。自分の手で奪い、勝ち取ってきたのだ。 これはもはや、跡部の執着心…自分と出会った瞬間から時間を重ねるたびに自分の知る医師に似た性格や表情を見せ出した。 跡部にとって、興味がないはずがなかった。
「これからが本番だ」
跡部は、再び自分の手中へと収める誓いを心に刻みつけたのだった。
「ちゃん、遅いぞー!何してたのさー」
「ごめんなさい!菊丸先輩!」
「遅かったじゃないか」
「すみません!大石先輩!」
戻るのが遅くなってしまったは、レギュラー陣の先輩たちに頭を下げる。
「声がしていたが、何かあったのか?」
「い、いえ!何でもないんです!手塚部長!」
「ならいいが…」
「あ!私、ボール片づけてきます!」
「ぁあ、頼む」
「はい!」
は、逃げるように自分の仕事に戻った。あんな常識外れの話、人にできるはずがない…。
は頭を抱えるはめになった。
「(あの人のせいだ!もう最悪!)」
私が再び出会ったのは、常識外れのお金持ちでした。