29話 不器用の裏側
「カチロー君と荒井君おそいなぁ」
ボール係である二人を倉庫で待っているが、ラストの二箱を取りに行ったきり戻ってこない荒井君とカチロー君だけに、なにかあったんじゃないかと心配になる。 「はぁ…仕方ない」
二人の様子を見に行くため、私は、一旦倉庫のドアを閉めた。
私は、きょろきょろとあたりを見渡しながら二人を捜していると、甲高く慌てたような聞き覚えのある声がする。
「リョーマ君!!」
「この声…カチロー君?」
私は、声の聞こえた方向へと足を進め、校舎の角を曲がると、 銀髪で背の高い見知らぬ他校生の横を私と行き違うかのように通り過ぎる。
「リョーマ!」
自分の目の前に広がる光景に、私は目を奪われた。 なにかで裂けたように額や頬、頭から血が出て地面に手をついて座り込んでいるリョーマと心配そうに寄り添うカチロー君と傍にいる荒井君の頬からも傷が出ている。
「ちょっと、どいて!」
「先輩!リョーマ君が!荒井先輩が!」
「分かってる!何があったの?」
私が青ざめた表情のカチロー君の代わりにリョーマが私の質問に答える。
「転んだ」
「はぁ?!」
「リョーマ君…」
誰がどこをどう見ても、転んだっていう傷じゃない。 私に何があったか言えないっていうことなのだろうかと思うと、だんだん腹がたってくる。
「いい?三人とも」
私は、すっと立ち上がり怪我をして座り込んでいる三人を睨みつける。
「各自今すぐ傷を水で洗い流しなさい!治療はその後だからね!それと!」
ビシッと私はリョーマの方を指さす。
「何があったか部長を含め、私にもきっちり説明しなさい!」
「「…は、はい」」
「はぁ…」
私の言葉に頷く二人を余所に、めんどくさそうにため息をつくリョーマ いろいろ聞きたいことは山ほどあるが、まずは傷を洗い流さないといけない。私たちは、保健室へと急ぐ。
「亜久津?本当に、そう言ったの?」
「は、はい。都大会決勝まで上がってこいってリョーマ君に…」
「そう…カチロー君、話してくれてありがとう」
「い、いえ!僕の方こそ、手当てしてもらってすいません」
怪我がひどいリョーマの手当てを竜崎先生に任せて、私はカチロー君と荒井君の手当をしていた。
カチロー君は私に亜久津と名乗る山吹中の3年生がなぜか襲ってきて、 リョーマはそんな自分達をかばって怪我をしたのだということを、ゆっくりと話をしてくれた。
カチロー君の言う亜久津という人物の説明から、私は薄っすらと入れ違った他校生の彼が頭に思い浮かんだ。
「あの、先輩」
「なに?」
「僕、リョーマ君は、先輩に心配かけない為にあんな嘘ついたんだと思うんです」
「…分かってるよ」
きっと、リョーマは自分で全てカタをつけるつもりなんだろう。 自分からは何にも言わないのだって、リョーマの私たちへの優しさだと知っている。
「不器用だよね。リョーマは」
「先輩…」
「本当、可愛げのないスーパールーキーだ。ってまた皆に言われるよ」
「リョーマ君ですから」
「そう…なんだよね」
リョーマが私の力など必要ないくらい強いのだって充分知ってる。
「だけど、少しくらい頼ってくれてもいいのになぁ…」
と私がため息をついて保健室の椅子に座りこむと、 ガラリと保健室のドアが開き、聞きなれた声に思わず体をびくつかせる。
「後輩に愚痴はいてどうすんだよ!」
「桃!」
「終わったなら、さっさと着替えて帰ろうぜ」
「あ!堀尾君達待たせてたんだった!」
カチロー君は、時計を見ると慌てて立ち上がり頭を下げると保健室から急いで出て行った。
「英二先輩に奢ってもらうんだけどよ、お前も行くだろ?」
「へ?あー…やめとく。先に帰ってて」
「なんでだよ?」
「ちょっと行くところがあるから」
「買い物か?」
「とね」
私はは、桃と一緒に保健室を出た。
「薬局で絆創膏と包帯の買い溜めをする女の子ってどうなの?」
「だってリョーマまた怪我してたし、この分だとすぐになくなっちゃうよ。それにだっていつも私に貰いに来てる癖に!」
「そうなんだけどさ…はたから見ると、怪しいわよ。」
「いるんだから仕方ないじゃない。それに今日、安いんだもん」
は、薬局の店員さんから購入した商品を受け取ると、 と共に薬局を出る。
「ありがとうございました!」
そして商店街を抜けたところでと別れた。
「さてと…帰ろっかな」
英二先輩におごってもらうと言うようなことを桃が言っていたから、 おそらくまだリョーマも家に戻っていないだろうと思いつつ、住宅街の方へ足を進めていると…。
「や、やめろ!」
「てめぇから仕掛けてきたんだろうが」
人気が少ない路地裏から、聞こえる声の方に視線をおくると、いかにも悪そうな男が二人。 嫌な光景を目にしてしまったとは、とっさに顔を歪める。
「わ、悪かった!亜久津!」
顔から血が出ている一人の男は、背の高い男がさらに殴りかかろうとしたところにそう言った。
「…亜久津?」
は、思わずその言葉に声を失う。亜久津…たしかに、男はそう言った。
カチロー君の言っていた特徴とも合致する上、髪が短い銀髪の長身である彼に私はかすかだが見覚えがある。
いくらなんでも喧嘩の真っ最中である現場に行くなんて危険だということは、私でも分かる。 勿論、今すぐに立ち去るべきだということも頭では把握している。
しかし、その彼がリョーマたちを襲った亜久津で今も平然と誰かを傷つけているのだとしたら… 黙って見ているのは嫌だ!
危機感を持った方がいいと、リョーマには散々言われているが、今回はどうも進む足を止めることが出来ない。
「…ぁあ?」
自分の方向に向かっていているに気がつくと、 亜久津は、まさに今殴ろうとしていた男性からへと目を向けた。
「ひぃい!」
もう一人の男は、その一瞬で亜久津の手を払い、とっさに逃げ出してしまった。
「…てめぇ、どういうつもりだ」
「ただ聞きたいことがあっただけです」
男は、不機嫌そうにを睨みつける。
「貴方がリョーマ達に怪我をさせた亜久津君ですか?」
「リョーマ…だと」
がリョーマの名前を出した途端、亜久津はさらに顔をしかめて睨みつける。
「…てめぇも青学か」
「青学テニス部マネージャーのです」
「なにしにきた?」
「別に。帰り道にたまたま通りかかっただけ」
「だったら、もう気が済んだだろ。怪我する前に帰りやがれ」
「勿論、そのつもりです。でも、はい。これ」
「ぁあ?」
は、制服のポケットから一つ絆創膏を取り出すと亜久津に差し出した。
「手が切れて、血が出てる」
受け取らない亜久津の手をとって無理矢理手渡すと、は、立ち去ろうと亜久津から方向を変える。
「別に優しくした訳じゃないですよ。私、貴方のこと怒ってるんだから」
亜久津は、タバコに火をつけて口に咥えると、立ち去ろうとしているに後ろから一歩ずつ近づくと、 ガッ!との肩を自分の方に向けるとの胸倉を掴む。
「どういうつもりだ」
「きゃっ!」
「この俺が、礼でも言うと思ったか?」
「…中学生が、タバコなんて体に良くない」
は、冷静に真っ直ぐに亜久津を睨みつけながらそう言うと、 そんなの態度が、気に入らなかったのか、亜久津はタバコを地面に捨てて足で踏みつけて 今度は、両手での首を締め付ける。
「っ!」
「てめぇのその目も態度も、気にいらねぇな」
そう言い放った瞬間、の体はゆっくりと宙に浮き、亜久津がさらにの首を締め付ける。 もはや、息をすることができず、頭が朦朧とし出した瞬間…。
「くっ!」
亜久津はから手を離すとの体は力が抜けたように倒れこみ、首元を抑えて肩で荒く息をする。
「はぁ…はぁ…」
「これに懲りたら、もう俺に構うな」
そう言うと、亜久津はを置いて路地の奥へと足を進めて行った。
「っ~!もう!なんなのよ!あいつは!」
は、怒り奮闘で家のドアを開けた。
「なにが?」
「わっ!リョーマ!帰ってたんだ」
私服でカルピンを腕に抱えて階段から下りてきたリョーマに、 まだ誰も帰っていないだろうと思っていたは驚いて思わず体を後ろに逸らす。
「…」
「な、なに?どうしたの?」
リョーマは、顔をしかめて黙って、の方をじっと睨む様に見る。
「首、どうしたの?」
「へ?」
「赤くなってる」
「え…嘘?!」
リョーマにそう言われたは、急いで靴を脱ぎ捨てて洗面所へと向かって鏡を見る。
「うわぁ…痛いと思った…」
くっきりと、亜久津に絞められた跡が首元に残っている。
「それ、絞められた痕だよね」
「リョーマ!」
「そんなに強く、誰にやられたわけ?」
リョーマは、洗面台を背にするに一歩ずつ近づいてくる。
「き、気にしないで!大丈夫だから!」
には、リョーマが今、凄く怒っているということが、自分を冷たく見つめる視線からはっきりと分かる。
「それ、答えになってないんだけど」
「(どうしよう…!)」
「もう一回訊くから、答えなよ」
亜久津にやられたなんていうと、散々リョーマに忠告されていたことを聞かなかったことがばれてしまい、リョーマをさらに怒らせてしまうことになる。
がどうしようかと戸惑っていると、リョーマは、の赤くなった首元にそっと手を添えると優しい声でに尋ねる。
「誰にやられたの?」
「…ごめん、なさい」
「なにが?」
「無視するなんて嫌だったの…!」
親に心配をかけた子供のように、今にも泣き出しそうな表情のが、リョーマの胸元に抱きついた。
「ねぇ、本当に何があったわけ?」
そんなに驚きつつもリョーマは、そっとの頭に手をのせた。
「…じ、実は」
観念したようには、リョーマにゆっくりと亜久津にされたことを話した。
「俺、何回もに言ったよね」
「だから、ごめんってば…」
リョーマの部屋のベッドの上でペタンと座りながらは、呆れるようにの前に立つリョーマを見る。
「なんでそんな無茶したわけ?」
「それは、リョーマも同じでしょ。私と同じ理由だと思うよ」
座ったままは、顔をあげてリョーマの方を一回睨みつけた後、そっと絆創膏を貼っているリョーマの頬に手を添えて言う。
「ぁーあ。こんなに怪我しちゃって…」
「別に、大したことない」
「嘘」
「嘘じゃない」
「ひどい怪我のくせに、強がらない」
私がそう言うと、リョーマは私から視線をそらしてぼそりと呟く。
「はぁ…ホントたち悪い」
「へ?」
「の前じゃ、余裕持てない」
そんな風に言うリョーマに、思わず私は目をぱちくりさせる。
「リョーマ?」
「でもさ、」
「な、なに…」
「今回は引き分けだよね」
「え?…え?!」
話は、完全にリョーマのペースで、ベッドの上で私があたふたとしていると、トンとリョーマに肩を押されて思わず後ろに手をつく。
「脱いで」
「…はぁ?!」
「上着、脱いで」
「いや!ちょっと!」
私の制止の声も聞かず、リョーマは私の制服のリボンと一番上のボタンをはずすと、ピトッと私の首にリョーマの手が触れる。
「…やっぱり、まだ熱持ってる」
「へ?ぁあ、まぁ…暫くは仕方ないよ」
亜久津君に絞められて、赤くなった首元に触れるリョーマの冷たい手が気持ちよくなって、私は思わず目を閉じる。
「ちゃんと、冷やした方がいいんじゃない?」
「大丈夫。本当に大したことないから」
「そういう問題じゃない」
「そういう問題だよ」
「は分かってない」
「分かってるよ。いつもありがとう、リョーマ」
すると、リョーマはその言葉に驚いたように目をパチクリさせる。
「…その言い方、ずるい」
「そう?」
「俺、もう何も言えないじゃん」
「じゃあ、私の勝ち」
はリョーマに優しくほほ笑むと、リョーマはため息を一つついてベッドから立ち上がる。
「待ってて、なにか冷やすもの持ってくる」
「え?!いいよ!」
「駄目。こんなに熱持ってると後で腫れるかもしれないし」
「それは、そうだけど…でも、リョーマだって怪我してるのに」
「そんなに病院行きたいの?」
「やだ!行きたくない」
「だったら、大人しくしてなよ」
リョーマは、パタンとドアをしめて廊下を降りる足音が部屋に響く。
「…ずるいのは、どっちよ」
いつもリョーマのぶっきらぼうな優しさに惑わされる。
そんな彼だからこそ甘えてしまう
「あつい…」
は、ベッドに横たわり目を閉じた。