30話 前日の空模様


。呼んでるぜ」
「ふぇ?」

は、お弁当のから揚げを口に含んだと同時に、そんな桃城の言葉に振り返りドアの方を見た。

「だれ?あの子?」

教室のドアの所にいる彼を横目に、私は桃に尋ねる。見たところ一年生のようだ。

「野球部の一年だってよ」
「野球部?…私なにかしたかな?」
「俺に聞くなよ」
「…それもそうか」

は、食べかけのお弁当にふたをして立ち上がる。 ゆっくり教室のドアを開けると、目の前にいた少し緊張気味の男の子が礼儀正しくお辞儀をした。


「あれ?桃ちゃん先輩、こんなところで何やってるんスか?」
「ぁあ…ちょっとな」
「?」

廊下の柱の隙間から桃城が、達の様子を眺めているところに一年生である堀尾とリョーマが通りかかる。

「…

リョーマが桃城の見ているものに気がつくと、ぼそりと呟く。 つい家での呼び方をしてしまい、しまった。と気付きリョーマは口を塞ぐも特に気付かなかった様子の堀尾が声を上げたことに息を吐く。

「あ!本当だ!先輩とあれは、うちのクラスの…」

堀尾が呟くと、野球部の一年生と別れた後、首をかしげながら真っ直ぐとはこっちへ向かってきた。

「隠れろ!お前ら!」
「…うーん」

がこちらにまっすぐ歩いてくることで慌てる桃城達とは裏腹に、 はそんな桃城たちが見ていたことにも気がつかず、どこか真剣に悩んでいるようだ。 思わず桃城達は顔を見合わせてゆっくりとそんなに近づいた。

「お、おい…
「ん?ぁあ。桃」
「なんだったんだ?」
「…よくわかんない」
「あいつ、お前に用があったんだろ?」
「それが今日、部活が終わったら一緒に帰って欲しいって言われたの」
「ぁあ?!お前、それどうしたんだよ!」
「一緒に帰れるわけないでしょ!」
「まぁ…それもそうだよな」

桃城は、今、が住んでいる家のことを思い出し、思わず後ろにいるリョーマの方をちらりと見た。

「だから何か用があるなら今聞くって言ったら今度、野球部の練習試合があって自分が出るから見に来て欲しいって言われちゃったのよね」
「それで、なんて答えたんだよ」
「私、テニス部のマネージャーだけど野球までそんなに詳しくないからやめた方がいいよって」
「…は?」
「だって私なんかの素人が見るより野球に詳しい人に見て貰った方がいいに決まってるじゃん」

のどこかずれた回答に桃城だけでなく、その後ろにいて話を聞いていたリョーマも堀尾も声を失った。

「そりゃあ野球も見るのは好きだけど、やるとなれば初心者なのにどうして頼んだのかな?そんなに詳しいとか思われてたのかしら?」

誰が考えても、その彼は少なからずに好意を抱いていたからこそを誘ったのだろうということが明白なのに、 当の本人は、全く理解しておらず、自分が彼にどれだけ酷いことしたのかということにも気付いていないに、リョーマは思わずため息がでた。

「…鈍感」
「え?」
「なんでもないっス」

リョーマが、それだけ言い放ち去ろうとした瞬間ガラリと教室の扉が開いた。

「あ。
「遅いから来てみれば…」

一緒にお昼ご飯を食べていたは、なかなか戻ってこない私を心配して教室から迎えにきてくれたようだ。

「奇遇ね。越前リョーマ君」

が真っ直ぐとリョーマを睨むと、リョーマはその視線に気づき何も言わずに振り返った瞬間、 は、リョーマからへと視線を変えた。

!早く残りのお弁当食べないと次の授業始まっちゃうよ」
「あ!本当だ!」

は、時計を見て急いで教室へと入って行った。

「…これ以上、に変なこと吹き込まないでよね」

は、が出て行くのを見計らったように、リョーマを睨みつける。

「以前のは、あそこまで鈍くなかったわよ」
「そういえば…そうだな」

桃は、の意見に納得するように口元に手をのせて考えるのとは裏腹に、はリョーマに向かって指を差す。

「あんたが来てからよ!越前リョーマ!」
「…は?」
「私は、あんたなんか認めない」
「意味わかんないんスけど」
「分かんないかどうか、いい加減に自分の目で確かめてみたら?」

は教室へ入ると乱暴にバン!と音を立ててドアを閉めた。

「お前、相当嫌われてんな」
「…越前、先輩になにやったんだよ」
「別に」
「ま、まてよ!越前ー!」

堀尾の言葉を受け流してリョーマはスタスタと歩き出した。

「はぁ…」

リョーマは、には悪いが、どうもあの人との相性は、最悪のようだと悟った。


それからの放課後が大変だった。一周遅れたら、乾先輩お手製のペナル茶。真っ赤な毒々しい色に誰もが奮起したランニング。
そして…

「ランニング後の紅白戦なんて、意地悪ですね」
「疲れ切った時こそ、真価を問う機会だ」

時計を見て、乾先輩は得意げに私に言い放った。 先日の聖ルドルフ戦から、持久が鍵となった青学テニス部はどうやら今日は、紅白戦を行うようです。
始めは、リョーマと不二先輩…その試合は、すでにヒートアップしていた。

「あんなとこ狙うか…普通」

不二先輩のスマッシュを無効化できる技に気がつくと、リョーマはあえて誰もが無謀だと思うスマッシュを何度も打っていた。

「アウト!」
「おチビの奴、スマッシュの軌道をネットに当てて強引にズラすなんて…」
「乾先輩、時間です」
「…先生、次の二人を」

疲れがくる選手たちそれぞれの時間を見計らい、練習試合を始めて10分が経った。その時…

「きゃ!」
「あ、雨だ!」
「終了じゃ!引き上げろ!」

突然の雨が激しく降り出し、他のメンバーも試合を中断させたのにも関わらず一つのコートからテニスボールの音が響いていた。

「まさか逃げないよね?」
「この程度なら、できるよ」
「リョーマ、不二先輩…」
「いつまでやっとんじゃ!バカモンがー!!」

竜崎先生の激怒で、試合はやっぱり中断。は、急いでタオルを持ちコートへと走り出した。

「お、おい!!濡れるぞ!」
「私より濡れちゃだめな人達がいるでしょ!」

桃城にそんな一言をかけて、は真っ直ぐとリョーマの元へと向かう。

「(…あー…そういうこと、なぁ)」
「リョーマ!不二先輩!」

は、リョーマの頭に無理矢理タオルをかぶせた。

「折角、顔の傷が治り掛けてるんだから、濡らさないでよ!」
だって、喉の後遺症治ったばかりのくせに濡れていいわけ?」
「そう思ってくれるなら、早くこっちにきて!不二先輩もですよ!」
「ぁあ、僕は大丈夫だから」
「駄目です!」
「…敵わないな。ちゃんには」

部活では、人の感情や変化にも敏感のマネージャーである。 しっかりもので学校の成績だって決して悪くない。そんな彼女が、なぜあんな簡単な一年生の男の子の気持ちに気がつかなかったのだろうと考えてしまう。 だが、今、見ていて言えるとすれば…。

「(越前しか、見えてねーってことか…)」

恋を知ってしまった今の彼女にとって、他の男になにを言われようが好意をむけられようが気付くはずがなかったのだろうとも取れるが、 それ以上にきっと彼女は今、自分に向けられた人の好意に気が付ける程の余裕が全くないのだろう。 もちろん本人は自分がそんなことになっているなどと気にも留めていないだろうが…

「お互い、早く気付けっつーの」

桃城は、雨の中リョーマと不二の腕を引っ張ってこちらへと向かってくるの元へ近づき、自分のレギュラージャージを羽織らせた。

「お前も羽織っとけよ」
「ありがとう、桃」

彼女の鈍感の理由。 それは、無意識の内に秘めれた彼への愛情表現だった。


「リョーマ!空見て!空!」
「空?」
「ほら、虹だよ!虹!」

突然の大雨で紅白戦も部活も中止になってしまったが、ただの通り雨だったようで、家に帰った時にはもうすっかり晴れ、 リョーマの部屋の窓から眺めると、夕方前の空に綺麗な虹がかかっていた。

「虹くらいで大袈裟すぎ」
「だって、虹のふもとには宝物があるってよく言うじゃない」
…まさか、未だに信じてるわけじゃないよね?」
「あはは!まっさかー!」

でも、本当にそうだったら素敵だなって思うから、虹を見ると、子供みたいにわくわくしてしまうんだ。

「わー…涼しい」

私は、リョーマのベッドの上に跪いて、開けた窓から身を乗り出すと、雨上がりの後の涼しい風が流れ込んでくる。 あまりに風が気持よくて私が外の景色に完全に意識がいっていた時…。

「ひゃっ!」

突然、私の耳元がペロリと舐められたのを感じ、思わず背筋がぞくっとして後ろを振り向く。

「ほぁら~!」
「カ、カルピン?!」
「びっくりした?」

リョーマは、私の顔の前にカルピンを差し出しながら、そう言って口角を上げにんまりと笑う。

「リョーマ!」
、無防備すぎ」
「い、いいでしょ!別に!」
「俺の前ならね」
「へ?」
「なんでもない」

手に抱えていたカルピンをゆっくり床に下ろして、リョーマはベッドに腰掛ける。 私は、そんなリョーマにベッドの上で手をついて近づいた。

「ね、ねぇ!リョーマ!」
「なに?」
「明日の決勝が終わったら、ね」
「終わったら…なに?」
「い、一緒に、映画見に行かない?」

断られるのを覚悟で、私は勇気を出してリョーマに言うと、リョーマからの答えは、意外なものだった。

「別にいいけど」
「ほ、本当?!」
「また見たいものでもあるわけ?」
「ううん。そういうわけじゃなくて…」

私はリョーマの横に腰掛けて床でごろごろと寝転がっているカルピンを抱きかかえて、リョーマに見せつけるようにカルピンの手を手招きさせる。

「私がリョーマと二人で遊びに行きたいだけ」
「ほぁらー!」

リョーマは、驚いたように目を丸くして私の方を見ると、ふいっと私から視線をそらして顔を隠すように下を向く。

「ちょっと!目、逸らさないでよー!なんだか、私が馬鹿みたいじゃない!」
「…実際、馬鹿じゃん」
「私は思ったことを言っただけなのに、ひどい御主人様だねー!カルピン」

よしよしと、私はカルピンの頭を撫でていると、小さくリョーマがため息をつく声が聞こえた。

「あのさ、
「なに?」
「煽り過ぎ」
「…どういう意味?」

リョーマの言っていることが分からず、私が首をかしげるとリョーマは立ち上がって私の頭に手をのせて耳元でささやく。

「俺だって男だから、に何するか分かんないってこと」

自分が好きな相手にそんなことを言われた私は、もう何がなにか分からない。 顔が熱くなるのが自分でも、はっきり分かる。