33話 好事魔多し


「おはよう!リョーマ君!」
「う、ん…うるさっ」
「ほら!起きて起きて!」

は、布団を被って寝ているリョーマの耳元でパンパン!と大きく手を鳴らす。


「映画?」
「決勝終わったら、一緒に行ってくれるって約束したでしょ」
「…ぁあ」

そういえば、そんなことを言ったような気がする…と朝食のパンをかじりながらリョーマは過去の記憶を微かに思い出す。

「えっと、今日は…いや、かな?」
「はぁ?」
「そ、それとも、私と二人がやっぱり、やだ?」

正面に座り、不安そうに首をかしげるを目にしたリョーマは、 椅子から少し立ちあがってが食べていた卵に手を伸ばしてパクリと食べる。

「え?あ、ちょっ!」
「遅い」

ひょいと軽く食べ終えると、テーブルに肘をつきながらを見つめる。

「早く食べなよ」
「へ?」
「行かないなら、俺はいいけどね」
「リョーマ…」

は、食べかけのパンを急いで口に放り込むと、テーブルの上のお皿を流し台に運び水道の水を出す。

「…?」

突然、そんな行動をとるにリョーマは驚いて目をぱちくりさせ、首をかしげる。
ガチャガチャと音を立てて皿を洗い終えたらしいは、無言で水道の水を止めると黙って椅子に座っているリョーマに近づき、正面に立つ。

?」
「リョーマ…ありがとう!」
「ちょっ!」

が勢いよくリョーマに抱くと同時に、ガタッ!とリョーマが座っていた椅子が揺れる。

「突然なに?」
「リョーマが可愛いから、すっごく抱きしめたくなったの」
「それ全然嬉しくないんだけど」
「じゃあ、かっこいいよ」
「今更遅い」
「そんなことないよ。私、リョーマはいつも格好いいって思ってるから」
「…よくそんな恥ずかしい台詞言えるね」
「あはは、リョーマにだけね」

すっと、がリョーマから手を離そうとするとその手をリョーマに掴まれる。

「ねぇ。今の…どういう意味?」
「そのままの意味だけど?」
「…そのまま、ね」

リョーマはの手を離すと、はリョーマから離れてドアの方に向かう。

「リョーマも早くね!準備しないと!」
「…ん」

の言葉で、リョーマも食べかけのパンを口の中に放り込み、ゆっくりと椅子から立ち上がった。


「リョーマは何が見たい?映画」
「別にない。そもそも誘ったのじゃん」
「そうねー…じゃあ、これは?」

が指をさした映画館のポスターにリョーマは目を向ける。

「…あのさ」
「なに?駄目?」
「駄目じゃないけど…普通の女の子なら、こっちなんじゃない?」

リョーマは、が指す方と反対のポスターを指をさす。

「それ、恋愛ものでしょ?嫌いじゃないけど、私興味ないし。それに今日はリョーマと一緒だし」
「俺とだったら、なんで毎回ミステリー映画なわけ?」
「だってリョーマも興味ないでしょ?恋愛もの」
「まぁ…」
「だったら、そんなの意味ない」
「なにが?」
「今日くらいリョーマに楽しんでもらいたいもん」

想像もしていなかったの言葉を耳にしたリョーマ。 そんな風に思っていたなんて、思いもしなかった。

「やっぱ俺が選ぶ」
「へ?あぁ、うん」
「これ」
「…え」

リョーマが指をさした映画のポスターには思考が停止した。


「ねぇー!やっぱり嫌なんだけど!」
「餓鬼じゃないんだから、大人しく座ってなよ」
「そ、そうだけど…でも、やだ!」

何度も立ち上がり帰ろうとするのをこらえながら席につくも、 やはり駄々をこねるにリョーマはため息をつく。

「いつも散々狂気じみたサスペンスもの見てるくせによく言うよ」
「あれは犯人がいるもの!人の仕業だもの!一緒にしないでー!」
「一緒じゃん。所詮作りものなんだし」
「それは制作でしょ!ホラーなんか…幽霊なんか、科学じゃ証明されてないのよ!」
「(嫌いなんだろうとは思ってたけど…やっぱりね)」

ミステリーやサスペンス作品が大好きなに散々、DVDを見るのに付き合わされたが、 ホラー系のDVDを持ってきたことは一度も無かったことがリョーマは前から気になっていた。

「似たようなもんじゃん。一応、が好きなサスペンス映画だし」
「どこがサスペンスよ!ただのホラー映画じゃない!」
「いい加減、うるさい」
「じゃあ、手!」
「はぁ?」
「貸して!」
「へー…そんなにこわいんだ」
「こわいわよ!悪い?!」
「ガキ」

リョーマは差し出してきたの手を握ると、ブーと映画開始をしらせるブザーとともに、照明が真っ暗になった。

「(あ、しまった…忘れてた。ホラーは怖いけど…)」

は自分のした行動にため息をつく。 ホラーはこわいし、嫌い。自分からは絶対に好んで見たりしない。
絶対に誰かに手を握って貰わなきゃ、こんな暗い空間でホラー映画をみるなんて私には不可能だ。
だけど手をつないで貰う相手がリョーマだと…
自分が好きな男の子なんだっていうことを恐怖のあまりに完全に忘れていた。

「(映画が終わるまで約120分…)」

さて、恐怖が勝つか…それとも…
の心臓は、さらに音を増した。


「はぁー…こわかったー!」
「はい。これ」
「ありがとう」

公園のベンチで、倒れこんでいたにリョーマは自販機で買ったファンタを一本差し出すと体勢を起き上がらせたの横に座った。

「怖がりすぎ」
「えー。私なんかまだマシな方だったと思うけど」

は、缶のふたをプシュッ!と音と立てながら開ける。

「皆、怖がってたのに平気な顔してたのはリョーマくらいだよ」
「別に。そんなことないと思うけど」
「夏はホラーだとか言うけど本当、一気に寒気がしたわ」

女の子やカップルが多かったせいか、自分でもホラーは苦手な方だとは思っていたが私以上に周囲からも微かに悲鳴があがっていた。

「…」

さっきまでと繋いでいた左手をリョーマは、じっと見る。

「リョーマ?」

リョーマは、黙って自分を覗き込むの右手を掴んだ。

「な、なに?!どうしたの?」

リョーマはどこか辛そうな表情でを握る手の力を強める。

「(…分かってるんだけどね)」

いつまでもこのままじゃ、進めないと分かっている。
ただ掴んでいるだけじゃ足りない。自分から掴まなきゃ手には入らないから…。

「あのさ…」

ガサっ!

「…」

リョーマは、ベンチの後ろの草むらから出る音で言葉を止めた。

「リョーマ?」
「…しっ」
「へ?」

すっとリョーマは、から手を離して草むらに近寄り、息を吐く。

「ちょっと」
「「わっ!!」」

リョーマの声に驚いたように、雪崩れるように数名が草むらの上に倒れる。

「桃!菊丸先輩まで!」
「はぁ~…先輩、何してんスか?」

鋭い目でリョーマは桃達を睨みつける。

「い、いやぁ。たまたま近く通りかかったらお前らが公園に入るの見えてよ」
「お、俺は、桃に呼ばれたから来ただけだぞ!」

おそらく他のメンバーも今から呼ぶ予定だったのだろう。
二人が手にしている携帯電話に、リョーマはため息をついた。

「全く…」
「ご、ごめんね!おチビ!ちゃんも!」
「いえ、私は別に」
「でも、知らなかったー!ちゃんとおチビが付き合ってたなんて!」
「…?付き合ってないですよ?」
「そうなの?!」
「え、英二先輩…!」
「だって、さっき…」

英二が何かを言おうとするのを桃城が止めに入ろうとした瞬間、前にがクスクスと笑ったとで言葉を発する。
「あはは!ありえないですよ!リョーマが私と付き合うなんて!」

の言葉で、リョーマはピクリと肩を反応させ、を真っ直ぐに見る。

「…ふーん。ありえない、ね」
「え?」
「俺、帰るっス…後は先輩方でどーぞ」
「あ!待ってよ!リョーマ!」

はすたすたと歩いていくリョーマを急いで追いかけた。

「…あの馬鹿」

桃城はこうなってしまった現状を自分達が作り出してしまったことに思わず舌打ちをすると、何かを察したように菊丸はそんな桃城を見て尋ねる。

「桃、もしかしておチビって…」
「気付くの遅いっスよ。英二先輩」

桃城は心配そうに、リョーマを追いかけて行くを見つめた。

「リョーマ!ねぇ!なに怒ってるの?」

何度も大声でリョーマを呼ぶもの方を見向きもせずに足早に歩き続けるリョーマ。
そんなリョーマが突如、ピタリと歩くのをやめた。

「…追いかけてこないでくれない?」
「え…」

は、まるで初めてリョーマに会った頃のような冷たい目を向けられたことに、体を硬直させる。

「あのさ、なんで今日俺のこと誘ったわけ?」
「だ、だから、それは!」
「今までだって散々人のこと煽っといて…あれはないんじゃない?」
「あ、あれって…」
「いい加減、腹立つんだよね」
「リョーマ?」
「俺がどんな想いしてたか、あんたに分かる?」

リョーマの冷たい視線の中に悲しみを抱いた瞳が揺れるのがにも分かる。

「それとも、人に気のあるふりをして俺を振りまわせて満足した?」
「ちがっ!」

リョーマの言葉で、はペタンと力が抜け道に座り込むと大量の涙が溢れ出る。
違う!違う!そうじゃない…そうじゃない!
言いたい本当の言葉を抑え込んだまま、ただリョーマの名前を泣き叫ぶ。

「りょーま…りょーまぁあ!」

涙で揺れるの声を後に、リョーマはそのまま足を進めた。


「くそっ!」

ガン!とリョーマは、電柱を叩く。

「…」

完全な自分の八つ当たりだと分かってる。
これじゃ、手に入れられないから、駄々をこねている子供だ。
勿論、が先ほど自分が言ったような事を思う女の子じゃないと言うことも充分に分かっている。
そんなことずっと前から知っている。出会ったあの日から、分かってる…。
だけど、自分の口から出る嫌な言葉が止まらなかった。止められなかった。
どうしようもないくらいの思いが自分の中で弾け飛んでしまったんだ。
最悪だ…。

リョーマは、ゆっくりと足を帰路へと進めた。