38話 Bad Custom


「けほっ…」
先輩、風邪ですか?」
「え?あ、大丈夫だよ!」

私が受付をしていると隣で試合を見ていたカチロー君が心配そうな顔で覗き込む。
そう、今日は校内ランキング戦最終日…。
これで関東大会に出れるレギュラーが再び決定される。

「おめでとう!リョーマ」
「…どうも」
「おい越前!折角、先輩が声かけてくれてんのに、素っ気ねーぞ!お前!」
「あはは!いいのよ。堀尾君!今のリョーマは、私なんかより気になることがあるみたいだから」
「……」

見事一位通過でレギュラーに決定し、受付にきたリョーマに声をかけると、 じっと私の後ろにあるブロックごとの結果表をじっと見ていた。
堀尾君たちも、同じように結果表に目をやると衝撃を受けたように声を上げる。

「あ!」
「桃ちゃん先輩が負けてる!」

今回の三つ巴は、手塚部長と乾先輩と桃のAブロック。
手塚部長には負けたもののデータを徹底的に収集した乾先輩に桃は見ごとの敗北。 これでレギュラー落ちが決定してしまったのだった。

「桃ちゃん先輩、大丈夫かな?」
「そうね。心配だから今晩にでも電話…っ!」

突然の頭痛に私が頭を押さえると、カチロー君が私に声を掛ける。

先輩!」
「あはは、大丈夫、大丈夫。ごめんね、カチロー君。さっきから心配かけちゃって。ほら、一年生はネットの片づけだよ!」
「でも、先輩、体調が…」
「皆早く行かないと、部長に怒られちゃうわよ」
「やべ!」
「わわっ!」
「し、失礼します!」

心配するカチロー君達に私は、へらりと笑って手を振りながらコートに走っていくのを見送った。

「(やばい。さっきから頭ががんがんする…。風邪かなぁ…)」

もし風邪だったら、皆にうつすと大変だから早く帰って…と、 私が机に伏せて思考しているのを見切った様に、 リョーマはそっと私の目の前に缶のスポーツドリンクを差し出し、小さな声で私に耳打ちをした。

「気休めだけど、少しは違うと思うから」
「あれ?リョーマ?これって…」
「さっき買ってきた」
「さっきって、いつ?」
「試合が終わって、ここに来る途中」
「な、なんで?いつもはファンタじゃん」

いつもリョーマが飲むのは、グレープ味のファンタ。 絶対に違うのなんか飲まないのにどうして、それ以外の銘柄のドリンクを持ってるんだろう… と私はガンガン響く頭を押さえながらリョーマからスポーツドリンクを受け取る。

「あ…。これって、まさか始めから私の為?」
「気付くの遅すぎ」
「で、でも…」

朝から少し頭は痛かったものの咳なんて無かったし、私自身も気温の変化のせいだと思っていたくらいだ。 少し咳が出だしたのも、部活が終わりかけのほんのついさっき。 リョーマが私の体調不良を知る時間なんてなかったはずなのに…。 と私がおどろいた表情でリョーマを見ていると、パチンとリョーマに指でおでこを弾かれた。

「あいたっ!」
が鈍いだけ」
「…でも、朝はなんともなかったよ?」
「あれだけ熱っぽい顔してた癖によくそんなこと言えるよね」
「うそ?!」
「少なくとも俺にはね」
「本当かなわないなー…リョーマには」

私がリョーマに渡された缶を左手に持ち、右手の人差し指で缶の蓋を押し上げた。

「でも逆効果にしかならないと思ったから言わなかった」
「え?」
「もし俺が注意してたら、は余計に無茶しそうだから」
「リョーマ…思いっきり抱きついてもいい?」
「…今はやだ」
「じゃあ、部活の後ならいいんだ」

そう尋ねるといつものポーカーフェイスが少しだけ照れたような表情をリョーマがに見せつつも、 無言でふいっと顔を逸らされ、コートでネットを片づけてる堀尾達の方に足を向けて行ってしまった。


「おせーぞ!越前!」
先輩、大丈夫そうだった?」
「え?まぁ…」

堀尾とネットを丸めて持ちながらそう聞くカチローにリョーマは思わず返事をしてしまった。

「あ、越前君。先輩の所だったんだ」
「また越前だけかよ!」
「まぁまぁ堀尾君!」
「……」

カチローが宥めながらも堀尾とリョーマは、ペースを崩すことなくコート整備に取りかかる。
そんな二人の後ろで、カツオはリョーマ達に聞こえない様に、こそっとカチローに耳打ちをした。

「カチロー君、よくわかったね。越前君が先輩の所にいたって」
「分かるよ。僕、今日はずっと先輩の手伝いだったから」
「どういうこと?」
「リョーマ君、ずっと心配そうにこっち見てたんだ。だから話してると思ったんだよね」
「…ぁあ!それで!」
「始めは分かんなかったけど先輩、途中から体調悪そうだったしね」

二人は、ちらりと無言でいつものペースで箒を掃くリョーマの後ろ姿を見つめた。

「お前ら、さぼんなよー!」
「はいはい」
「堀尾君も早くそっち終わらせてよ」
「う、うるせー!」

リョーマはそんないつも通りの三人をちらりと横目で見るとため息をついて「まだまだだね」と小さく呟いた。


「38度2分…高いわね」

倫子さんに測り終わった体温計を渡すと、心配そうな表情で私を見る。

「大丈夫?ちゃん」
「すいません。心配かけちゃって」
「何言ってるの!いいのよ!ちゃんはうちの娘だもの!」
「倫子さーん!」

倫子さんの言葉が嬉しくて、私はベッドに腰掛けたまま倫子さんに抱きつくと倫子さんは優しく私の頭を撫でて言う。

「おいしいお粥作って部屋に持ってくるわね。リョーマ、ちゃん見ててあげて」

倫子さんが私の部屋を出て、台所へと急ぐのを笑顔で見送ると私は眉間に皺を寄せて傍に立つリョーマを見上げる。

「…リョーマ。倫子さんはああ言ったけど、直ぐに私の部屋を出て」
「なんで?」
「リョーマはレギュラーだもん。風邪うつしたら大変でしょ」

私がそう言うとリョーマは目を細めて生意気そうな表情で私を見る。

「つよがり」
「仕方ないでしょ…。マネージャーとしてリョーマに風邪をうつすなんて出来ないんだから」
「俺そんなに軟じゃないけど?」
「分かってるけど、駄目!今すぐ出て!早く!」
「…そんなに言われると、出て行きたくなくなるんだけど?」
「なに馬鹿なこと…っ!けほっ、こほ!」
「喉痛いなら、あんまり喋らない方がいいんじゃないの」
「しゃべらせてるのは誰よー…あーもう。駄目、だるい」

は諦めたようにベッドに横になる。
一つ小さくため息をついたリョーマは横になってしんどそうに息をするが横たわるベッドに腰掛ける。

「強がり言ってないで大人しく寝てなよ」
「…リョーマ」
「なに?」
「本当に風邪、うつしちゃうかもしれないんだけど…」

しんどそうに喋るの言葉にリョーマは黙って耳を澄ませる。

「やっぱり…手、握って貰っても、いいかな?」
「…ぷっ、くくく」

思わず吹き出してしまったリョーマは、口元に手をやりながら肩を上下に揺らして小さく笑う。

「わ、笑わないでよー!」

ベッドから少し体勢を起き上がらせては笑っているリョーマを睨む。

「散々、人に出てけって言ったくせに」
「うっ…そ、そうだけど…」
「それに手だけでいいわけ?」
「っ!聞き方が意地悪!もういい」

頬を膨らませて、はリョーマと反対の方を向くとリョーマは目を細めて優しげに微笑む。

…こっちむきなよ」
「やだ」
「餓鬼」
「だれが!」

リョーマの挑発に乗り、が再びリョーマの方を向くと、 そっとリョーマがに両手を広げて前へ差し出す。

「いいから、ほら」
「……」
「おいで。
「…っ!ずるい!」

まるでリョーマの優しい言葉と瞳に吸い寄せられるようリョーマの首に手を回して抱きつくと、 リョーマはそんなの体を支える。

「ああー…、もう、マネージャーとしてあるまじき失態だわー…。こんな時期に風邪で弱気になるなんて…」
「なに?しょげてんの?」
「そうだよー…結局リョーマや倫子さんに迷惑掛けてる自分もね…」
「別に思ってないし、今は""なんだから甘えてもいいんじゃないの」

部活や皆の前だと、リョーマは必ず私のことを先輩と呼ぶけれど、家じゃ絶対に私のことを先輩とは呼ばない。 私だって、リョーマのことを後輩とか年下とか見たことないから…リョーマも同じ気持ちなんだと思うし、 だからこそリョーマの前だと安心して気負わない自分で居られるのは、いいことなんだろうけど…。

「(甘えてもいいって言われても…私の方が年上なんだけど…)」

なんてリョーマに抱きかかえられながらそんなことを考えていると、リョーマは気に入らない表情で私を見る。

「…また変なこと考えてたでしょ」
「え?いや、別に…」
「あのさ、はいつも余計なこと考え過ぎ。だから風邪ひくんじゃない?」
「そんなこと言われても、仕方ないでしょ…ごめん、ちょっと」

リョーマを少し手で離すと後ろを向いて、は口に手を当てて、コホッコホッと小さく咳をする。 そんなを見て、リョーマは一つため息をつく。

「風邪ひいてる時くらい余計なこと考えなくていいから」
「…だって」

リョーマがを膝の上に座らせると、熱のせいか少し頬を赤く染めたが眠たそうな目をしてリョーマの胸元に擦り寄る。

「少しはしっかりしなきゃ、って思ってるだけだよ」
「…良いから」
「ん…」

は眠たそうに手で眼をこする。

。俺の前で、無理しなくていい」
「本当こういう時は優しいよね…。だから甘えたくなっちゃう。でもありがと。リョーマ」

リョーマに微笑むと、はゆっくりと体勢を横にする。
リョーマの手を握り、気持ちよさそうに目を閉じたにリョーマは優しく微笑む。

「…俺のは優しいんじゃないって、前に言ったのに分かってないよね」

リョーマは寝ているの額にそっとキスを落とす。

「俺はあんたに甘いだけだって……」

迷惑なんて、思ったこと一度もない。
むしろもっとわがままを聞きたい。自分を頼ってほしい。
の言うことなら、なんでも聞いてみせる…それが自分の役割だと思っているから。

「おやすみ。

リョーマがに布団を掛けると、ドアのノック音が部屋に響く。 リョーマはゆっくりとを起こさない様に手を離し、 部屋のドアを開けるとそこには予想通りの人物が立っていた。

「お粥できたんだけど、ちゃん食べられるかしら?」
「…寝てる」
「あら、本当」

部屋を覗いてがベッドで寝ているのを確認した倫子は、ほっと胸を撫で下ろす。

「この分だと、大丈夫そうね」
「ん…。それ、後で俺が持って行く」

自分の息子であるリョーマの言葉に、倫子は目をぱちくりさせた後でくすりと笑う。

「じゃあ、先にリョーマが食べちゃいなさい。ちゃんの分は目が覚めたらお薬と一緒に温めなおした奴、持って行ってあげて」

倫子は、ふわりとした笑顔で優しくリョーマに頬笑み部屋を出ると、 リョーマもベッドで寝ているを確認してから、の部屋を出た。