39話 優しい嘘


「これくらい大丈夫だよ。リョーマ」
「駄目に決まってるじゃん」
「でも昨日も学校休んじゃったし、結局寝込んじゃってレギュラー落ちした桃にも私、連絡とってないから…」
「桃先輩もいつも通りだし。心配いらないって言ってた」

ベッドから起き上がろうとするをリョーマは無理矢理、手で抑え込むように寝かしつける。

「お医者さんが大袈裟に言っただけで、咳は治ったし熱だってもう微熱だよ?」
「まだ完全に下がってもいないのに学校行くなんて俺も母さんも反対だから」

倫子の名前まで出されては何も言い返す言葉が見当たらないは、諦めたように一つ深いため息をついてリョーマを見た。

「…いってらっしゃい」
「大人しくしてなよ」

リョーマがスポーツバックを肩に下げての部屋から出るのを見ると、はベッドにころんと横になった。

「リョーマって意外と心配性なのよね…」

そんなところは倫子さんに似ている気がするとは思う。
しかし、倫子さんにもリョーマにも迷惑かけるわけにいかないのは事実だ。他の選手に風邪をうつしたら嫌だし…。
それに桃もいつも通りだって言うなら、特に心配することはないか…とはゆっくり目を閉じた。


「今日もこねーな…桃先輩と先輩」
先輩、風邪治ってないのかなぁ。学校も休んでるし」
「そうだね。桃先輩…は、よっぽどレギュラー落ちしたのが効いたんだろうなぁ」
「あの日、桃先輩レギュラージャージ畳んで置いてったらしいぜ」

堀尾達が心配そうにボール拾いをしていると、近づいてる足音で後ろを振り返る。


「ふわぁ…」
「あ。リョーマ君!」

眠たそうに欠伸をしてコートに入ってきたリョーマに、堀尾達が詰め寄った。

「ねぇ、リョーマ君。桃先輩、大丈夫かな?」
「さあね」
「さあねって、桃先輩とあんなに仲良かったのに心配じゃないの?」
「別に…。そのうち戻って来るんじゃないの?ほっとけば」
「ちょっとリョーマ君!」

冷たく言うリョーマに、カチローが叫ぶといつも通りのマイペースでリョーマは帽子をかぶり、ウォーミングアップに入った。

「(まぁ、このままだと俺が怒られるんだけどさ…)」

リョーマは、風邪をひいているに嘘をついた。
本当は、桃が部活を来なくなって今日で三日が経っていたのだ。
このままいくと、リョーマがに嘘をついたことに対しては相当怒るだろう。
だけど、リョーマはその嘘をつくしかなかった。
まじめなマネージャーであるのことだ…桃城が部活に三日も来ておらず、あまつさえ辞めるかも知れない。 なんてことを耳に居れると、絶対に無茶をしてでも学校にくるのは目に見えている。

「打とうか、越前」
「へんな野菜汁ナシっすよ、乾先輩」

自分とはクラスだけでなく、学年も違う
絶対に、自分が見ていないところで無茶をするのがで、 そんなこそがうちのマネージャーだと分かっている。
だからリョーマも譲れない。を学校に来させるわけにはいかなかった。

「(頭では分かってても、やっぱり腹立つん、だよね!)」

バン!と、リョーマの打ったボールは綺麗に乾の横を抜いた。

「今のボールはなかなかだな。越前」
「そりゃどうも」

この場合は仕方ないとは言え、が自分以外の男のことを心配して、 治りきってない体を動かして、無茶をして、風邪が悪化するなんてことがあると思うとやっぱり無性に腹が立つのだ。
そんな子供のような考えをしている自分にリョーマは、一つ深いため息をついた。


「よし。熱下がったー!」

しかし、やっぱり寝ているだけというのはつまらない。
はちらりとベッドの上に置いている目覚まし時計をみると、部活が後半に差し掛かる時間だ。
早く帰ってこないかなぁ…なんて思っているとの携帯が震えた。

「電話…かな?」

が画面を開くと、 表示された名前には笑顔になり、急いで通話のボタンを押す。

「もしもし杏ちゃん?久しぶりー!」
『お久しぶり!ちゃん、風邪ひいてるんだって?』
「え?どうして杏ちゃんが知ってるの?」
『さっき越前君にちゃんのこと無理矢理聞いちゃった』
「…ええ?!」

は杏の言葉に絶句する。 なんで?今、リョーマはまだ部活時間のはずなのになんで杏ちゃんと一緒に…という不安がを襲う。

「杏ちゃん、リョーマと会ったの?」
『ぇえ。さっき私が、桃城君とテニスをしてた時にね』
「桃とテニス?…ごめん!杏ちゃん!そのこと詳しく聞かせてもらえるかな?!」
『それはいいけど。ちゃん、風邪は大丈夫なの?』
「もう下がってるから平気…お願い。杏ちゃん」

眉をしかめては、杏の話を聞く。
部活だったはずの時間にストリートテニス場にいた桃城…。 そして、偶然そこに現れた氷帝学園の人達と桃城が杏ちゃんが揉めている時に、 少し様子が可笑しかった桃城のことをおそらくリョーマが心配してきたのであろうということ。

「そっか…教えてくれてありがとう。杏ちゃん」

は、少しほっと胸をなで下ろす。

『あんまり無茶しちゃだめよ、ちゃん』
「ありがとう。うん。大丈夫…じゃあね、杏ちゃん」

ピッとは、携帯の通話終了ボタンを押した。

「…リョーマ」

ぐっと携帯を握りしめては、ピッと画面を開いた。


「やっぱ100周は辛いぜー!」

部活には戻ってきたものの三日間も無断で部活を休んだ罰として、グラウンドを100周走らされた桃城は、部室に倒れこむ。

「おい越前!帰りどっかで食べて帰んねー?」
「いや、今日は…あ」
「ん?どうした?」
「…やばっ」
「なにが?」

桃城は携帯を見て、突然ばつの悪そうな表情をしてそう言ったリョーマに詰め寄り、携帯を取り上げる。

「ちょっ!桃先輩!何するんスか!」
「いいから、見せろって…ん?なんだ、からじゃねーか」
「…はぁ」

自分より背の高い桃城に携帯を取り上げられ、 手を伸ばしても届かないリョーマは諦めたようにため息をついて制服のボタンをとめる。

「“リョーマのうそつき!”…あ?なんだ。お前らまた喧嘩でもしてんのか?ってか、って風邪ひいてんだろ?」
「だから、俺の嘘がばれたんスよ」
「嘘って…越前。お前、浮気でもしたのか?」

そんな茶化すような言葉を放つ桃城に、呆れたようにリョーマは深いため息をついた後、桃城の方をじろりと睨みつけて携帯を取り上げる。

「馬鹿なこと言ってないで、桃先輩。誰のせいだと思ってんスか」
「ぁあ?」

意味の分からない桃城は、リョーマの言葉に首をかしげた。


「桃先輩、もっと早くこげないんスか?」
「うるせー!これが精一杯だっつーの!」

リョーマに事情を聞いた桃城は、後ろにリョーマを乗せた自転車で全速力で走る。

「しかしお前、なんで俺が部活に来てるなんて嘘ついたんだよ」
「仕方ないじゃないっスか。まだ無理に学校来させるわけに行かなかったし」
「まぁ、分からないでもねぇけど…怒るだろうなぁ。あいつ」
「分かってるなら桃先輩。はやく」
「疲れてんだぞ!俺は!」
「自業自得っスよ」

桃城は、部室で悪戯な表情をするリョーマに詰め寄られ、家の前までスピードを落とすことなく漕ぎ続けさせられた。

「桃先輩、どうもっス」
「おう…に、ちゃんと謝っとけよ…はぁ、はぁ…」
「桃先輩はどうするんスか?」
「俺は、明日にでも謝るからよ、越前。お前、先にさっさとの機嫌、直しとけよ」
「それ結局、俺任せじゃないっスか」
は怒ると厄介だからな…頼んだぜ!越前!」
「は?…って!ちょっと!桃先輩!」

自転車にまたがり未だに息を切らしつつも逃げるように帰って行った桃城の背中を見送り、リョーマは、ため息をつき、玄関の前に立つ。 そして、ガチャリと玄関を開けると予想外の人物が立っていた。

「ただい…ま」
「遅い!」

リョーマの予想通り頬を膨らませて、怒った表情をしてが腕を組み立っている。 朝は寝間着姿だったはずのが、ラフな私服に変わっているのにもリョーマは疑問を持つと その疑問に答えるかのようにはリョーマに言う。

「さっき病院に行ったら、明日からは学校も部活も行っていいって許可貰ったの」
「そう…それで?」
「メッセージ、見た?」

の言葉にリョーマが、 黙ってうなずくとは、制服でスポーツバックを持って玄関に立っているリョーマに近づいてくる。 思わずリョーマがグッと目を瞑ると、思いもしなかった広がってきた温もりにリョーマは目をパチクリさせた。

「…?」

リョーマの胸元に寄りかかり、学生服を握りしめて正面から抱きついてる
そんなの肩にリョーマがそっと手を乗せると、 下を向いていたが咄嗟に顔を上げ、リョーマに顔を近づけてリョーマの右の頬に触れるキスをした。

「え…」

訳が分からないリョーマは、の行動に驚き目を大きく開いてを見る。

「…くす…あはははは!」

怒っていると思っていたが突然笑い出した事に、リョーマは未だに意味が分からない。

「なに?」
「私が怒ってると思った?」
「そりゃ、あんなメッセージ送られたらね…」
「ごめんね。折角風邪が治ったから、早くリョーマに帰って来てもらおうと思って」
「…それだけ?」
「そう!そもそも私に桃が、いつも通りだ…なんて嘘つくリョーマが悪いんだよ」
「そういえばそれ、誰に聞いたの?」
「杏ちゃん。今日のこと聞いてピンときちゃった。リョーマが私を学校に行かせないために桃のこと嘘ついたって」
「ああ、なるほどね…」

はぁ…とリョーマはため息をつくも、 思った以上に嘘をついたことに対して怒っていないに胸を撫で下ろす。

「リョーマのうそつき!杏ちゃんがストリートテニス場で会ったなんて言うから…私、心配しちゃったよ」
「心配?」

リョーマが聞き返すとは下を向いて、言いづらそうに小さな声で言う。

「私に部活だって言って…本当は部活サボって杏ちゃんと一緒に、いたのかな、とか…」

現実では、ありもしないの想像にリョーマは呆れてため息をつく。

「それで?…そこから、どこで桃先輩のことが俺の嘘だったって気付いたわけ?」
「杏ちゃんから詳しく話を聞いたし、その後で、ちょっと一人で考えてて。すぐに…」

人の話を聞いたあとすぐに整理が出来るあたりは、 相変わらずは頭の回転が速いと言うべきか…流石だとリョーマは感心する。

「わ、私の為にリョーマが嘘をついてくれたって分かってたんだけど…やっぱりそれも心配で」
「さっきから心配って言ってるけど、桃先輩もいたし、結局あの人とは試合もしてないから」
「そ、そうじゃなくて!氷帝の事とは別で…」
「別?」
「考えてみたらリョーマ、モテるし。私が居ない時リョーマが他の女の子といたりするなら…嫌、だなぁーって」

は頬を染めて、手をリョーマの前であたふたとさせる。
そんなに思わずリョーマは口元が緩んだ。

「…。それ心配っていうより」

リョーマは、ぐっとを自分の方へ引き寄せて耳元で囁く。

「嫉妬、っていうんじゃない?」
「っ!」

先ほど以上に頬を真っ赤に染めるにリョーマは悪戯に、ニヤリと笑う。

「なーんだ。やけに大胆だと思えば…だから、俺に早く帰ってきて欲しかったんだ」
「ち、ちがっ!」
「でも、最初は俺のこと疑ったんだよね」
「う…っ」

確かに、杏ちゃんにリョーマに会ったと言われた時は、リョーマのことを疑ってしまった。 リョーマがモテるのが分かっているだけに、部屋に一人でずっといたことでつい、嫌な方へと考えてしまったのだ。

「…ごめん、リョーマ」

桃城のせいで、にありもしない疑いをかけられそうになったことには不服のリョーマだが…。
目の前にいる彼女も、自分と同じように嫉妬をしてくれたことに対して嬉しくなる。 いつもよりどこか大胆だったを目の前に、リョーマはそっとの横顔に手を添えた。

「……」
「リョーマ?」
「熱、引いたんだ」
「え?う、うん。リョーマが私に嘘までついて看病してくれたからだね」
「桃先輩が三日も部活に来てないって病人に言えばよかったわけ?」
「三日…え。桃の奴、今日だけじゃなくてずっと部活を無断欠席してたってこと?!」

リョーマは私の言葉に黙って首を縦に振る。
杏から多少は桃城の様子が可笑しいとは聞いていたし、サボりだろうとは分かっていたが、 まさか、そんな大変なことになっているとは思わなかったことには驚きを隠せない。

「そ、それは…部活的に大問題ね」

いくら思ったことはなんでも口にだすリョーマでも流石に寝込んでいた私に気を使ったらしい。

「言ったら、無茶してでも行くと思った」
「そりゃ学校行って、桃のこと連れ戻さないと…ってなっただろうね」
「だから言わなかった」

それ以上リョーマはなにも言わずに、そっと私の頬を優しく撫でた。 もちろん、彼は私の為に嘘をついたなんて絶対に言うつもりなどないのだろう。 だけど言ってくれなくてもしっかりと伝わってくるリョーマの不器用な優しさが素直に嬉しい。 今まで生きてきて、これほどまでに優しい嘘が存在するなんて知りもしなかった。

「リョーマ、明日ファンタおごってあげよっか?」
「なら、お昼休みに教室まで届けに来て」
「えー!放課後でいいでしょ!」
「駄目。期間は一週間」
「はぁ?!ながっ!」
「俺のこと疑った罰」
「それは嘘ついたリョーマが悪いんじゃない」
「風邪ひいたの誰だっけ?」
「うっ…」
「それに散々、人のこと振り回したのもだよね」
「わ、わかったわよー!」
「ちゃんと届けに来てよね」
「はいはい」

やっぱり風邪はひくものじゃないとは、深くため息をついた。