41話 束の間の休息


部屋でテレビゲームに集中しているリョーマの背後に影がゆっくりと近づく。

「にゃろう…」

しかし自身はそんなことに全く気がつかず、部屋のカーペットの上にあぐらをかきながら、手に持つコントローラーのボタンを連打する。

「……」

髪を揺らした影はさらに、リョーマの背後に近付き大きく手を広げて叫ぶ。

「リョーマ!」
「うわっ!」

が後ろからリョーマの首に手を回して勢いよく背中に抱きつくと同時に、テレビの画面には“GAME OVER”という文字が大きく表示された。

「…
「あはは!ごめんごめん」
「謝れば済むって問題じゃ…あれ」

リョーマが後ろを振り返って、未だ自分に抱きついているの方を見るといつもと雰囲気の違うに思わず驚きの声が漏れた。

「…どうしたの?その髪」

いつも部活や家にいる時は、仕事をするのに邪魔だからと言って髪を一つか二つに括っているだが、今のは学校の登下校や授業中の時のように髪を下ろしてた。 それだけでも、学年が違うリョーマにとって滅多に見ることのがない雰囲気のだが、今はそれに加えて、は、キラキラと光る星のピンで前髪を軽く右側に寄せて留めていた。
ピンで前髪を留めている彼女を見るのは初めてで、リョーマは思わず凝視すると、はにっこりと嬉しそうな表情で微笑む。

「今日、お母さんから荷物が届いて服と一緒にこれが入ってたんだ。アメリカ土産だって」
「へー…よかったじゃん」
「うん!でも、リョーマが気付くとは予想外だったなぁ」
「馬鹿にしてる?」
「だってリョーマ、こういうことに関して鈍いし…」

リョーマの首に回す手を少し緩めて目を泳がすに思わず、リョーマは反論しようとするも確かに事実なわけで…。 言葉が見つからず小さくため息を吐いてコントローラーから手を離して下に置き、ゲームの電源を落とす。

「やめちゃうの?ゲーム」
「なに?続けて欲しいわけ?」
「今のゲーム一人用だから、やだ!構って!リョーマ!」
は、始めからそのつもりで来たんでしょ?」
「うん!」
「ったく…調子いいよね。なにやりたい?」
「うーん。テニスしよっか?」
「ゲームで?」
「実際じゃリョーマに敵わないけど私こっちだったら勝てるから!」

そのの言葉に、リョーマはむっとした表情で言う

「今のところ、俺との勝敗は五分五分だったと思うけど?」
「そうだっけ?」
「そう。だから、せっかくだしなんか賭けようよ」
「いいよ。私はリョーマが勝ったら、アイス奢ってあげる!」
「へー…じゃあ、俺はが勝ったらの行きたい所に連れてってあげるよ」
「え。本当?!いいの?」
「俺に勝ったらね。こそ、あんなこと言っていいわけ?」
「いいよ。私、負けないから」
「そうこなくっちゃね」

はリョーマから手を離して、ゲーム機をセットするリョーマの隣に座った。


「えー!なんでー!」
「後、ワンゲーム。惜しかったね、
「テレビゲームでもテニスでリョーマに負けるなんて悔しい!」

惜しくもワンゲーム差でリョーマに負けたは、コントローラーを放り投げて背中から仰向けになって後ろへと倒れ込んだ。

「まだまだだね」

正直、単純な操作のゲームなだけに、やはり実力はほとんど変わらない。
だけど、ただのテレビゲームであろうと相手がだっただけに、好きな女の子相手に試合で負けるわけにはいかないという男のプライドがリョーマを熱くさせたのだった。 リョーマは、未だに悔しいと嘆きながら仰向けに大の字で寝転がっているに覆いかぶさるようにの両耳の横にそれぞれ手をついて、上に跨がる。

「アイス…奢ってくれるんだって?」
「っ!一個だけだからね!」

は悔しそうな表情で自分の上にか被さっているリョーマを睨みつけると、リョーマは余裕な笑みでを見降ろす。

「じゃあさ」
「わっ!」

リョーマは寝転がるの右手を掴んで自分の方に引き寄せると、の後頭部に左手を添えると腰にも右手を回してを座ったまま抱きしめて耳元で囁く。

「今から買いに行こっか」
「……最悪」
「負けたの誰だっけ?」
「うっ…。私です」

リョーマの行動や声、仕草がの心臓をドクンドクンと高鳴らせる。 リョーマがから手を離してゆっくり立ち上がると、の前に右手を差し出した。

「え…」
「なにぼーっとしてんのさ。行くよ」

そんなリョーマに急かされるようには、恐る恐る自分に差し出された手をとると、グイッとその手に力をいれてリョーマはを立ちあがらせる。 リョーマは、その手を掴んだままドアを開けて部屋を出た。

「(…あれ?)」

玄関を出て、再び繋がれた手にがふと目をやると、さっき…いや、いつもと違う繋ぎ方であることに気付く。

「(これって、もしかしなくても…)」
「…なに?」

の様子が静かであるのに違和感を感じたのか前を歩いていたリョーマが、後ろを振り返り尋ねる。

「あ、ううん!なんでもない!」

そんなリョーマには、顔をあげて笑顔で微笑むとギュッと一本一本指の間に絡みあわされていた指先に力を入れる。

「…なんだ気付いてたんだ」
「私を誰だと思っているのかね?リョーマ君」
「はいはい…いくよ」
「あー!流したー!」
のホームズごっこに付き合わされるのは御免だからね」
「桃ならのってくれるよ」
「…悪かったね、桃先輩じゃなくて」
「冗談!本気にしないでよ!リョーマ!」
「どうだか」
「本当だってば!それに私!この繋ぎ方、嬉しかったよ!」

の大きな声にリョーマは驚いたように立ち止まり、ビクリと肩を上に揺らす。

「だってこの繋ぎ方って!」
「言わなくていいから」

リョーマは、の言葉を遮る様に、空いていた左手での口を塞ぐ。

「んむー!」
「ったく…本当、恥ずかしいこと平気で言おうとするよね」

ゆっくりとリョーマが手を退けるとは、ぷはっ!と大きく息をする。

「なんでよ。恋人繋ぎくらい言っていいじゃない」
「そういう問題じゃない」

そのままの手を引っ張り、リョーマは足を進める。

「(…自分からした癖に)」

テニスでもそうだが普段、大胆なことを堂々と平気で行動でやってのけるリョーマだが、口は相当ぶっきらぼうで素直じゃないのは相変わらずのようだ。 はリョーマに手を引かれたままクスクスと小さく笑う。

「リョーマ…」
「なに?」
「大好きだよ」
「…知ってる」
「なら良かった」

絡まされた指に力を入れて、は早歩きでリョーマに追いつき、右に並んで歩いた。


「ありがとうございましたー!」

は、コンビニで買ったアイス棒を一つリョーマに渡す。

「はい。リョーマ」
「どうも」
「全く…本当に彼女にアイスを買わせるなんて酷いよね」
「勝負は勝負だからね。残念だけど、俺はそこまで甘くない」

リョーマはが渡したアイスを袋から出して手に持つ。

「本当リョーマは、容赦ないんだから…」

悔しそうな表情をしながらも、も取りだしたアイスをペロリと舐める。

「手抜いたら怒るくせに」
「当たり前でしょ!そんなの面白くない!」

がアイスを食べるのをやめてそう言い放つと、見計らったようにリョーマは右足を軽く曲げて少しだけ体勢を低くする。 そして、アイスを持っているの腕を掴んで自分の口元に引き寄せ、先ほどまでが食べていたアイスをペロリと舌を出して一口食べる。 リョーマは、を悪戯な表情で見上げて言う。

「まだまだだね」
「あー!私のアイスー!勝手に食べたー!」
「隙だらけのが悪い」
「…今日はとことん敵わない日だ」

どうやら本当に今日は、リョーマにとことん負け続ける日らしい。 ゲームから始まり、いつもならどこかで必ずリョーマに勝てる瞬間がくるのに今日はその要素が全く見当たらない。 ああーっと、は唸りながら頭を抱えているとの耳に聞き覚えのある声が飛び込んできた。

「よう。偶然だな。お前ら、こんな所で何やってんだ?」
「え…あ!跡部さん!」

が後ろを振り返ると相変わらずの高級車に乗り、窓を開けてこちらを見るとすぐに隣にいたリョーマに気付く。

「…てめぇとこうして会うのは二度目か」
「だったらなに?」

リョーマはそれ以外何も言わずに気に入らない様子で睨みつけた。

「せいぜい足掻いてみな。てめぇのもんならな」
「は?」

跡部がリョーマにそう言うとすぐに視線をに向けた。

。家まで送ってやるぜ」
「んー。今日は遠慮しときます」
「だろうな。…ったく散々面倒見てやったのは誰だと思ってやがる」
「それは感謝してますけど、それとこれは別だとも言いましたよ?」
「相変わらずだな。その態度は…まぁ、その分だと大丈夫そうだな」
「?」
「関東大会で直々に青学を倒してやるよ。、俺様の所に来くればいつでも可愛がってやる。だからたまにはお前の方から顔を出せ。使用人に許可は取ってある」
「い、行きませんから!」

が思わず照れた表情を見せて体を後ろに逸らすと、跡部さんはからかうように笑うと、 車の窓が閉まり、跡部が運転手になにやら指図をすると車は前進して達の目の前から姿を消した。


「リョーマ」
「……」
「リョーマってばー」
「……」

アイスを食べてる時から今に至るまでリョーマに何を言ってもさっきからこの調子で、こちらを見ずに無言で歩き続けたままだ。

「…別に詮索するつもりはないけどさ」
「うん?」
「俺のだから」
「…なにが?」

全く脈絡のないリョーマの話には思わず首をかしげる。

「さっきも言ったけど、は隙がありすぎ」
「えっーと…。話が見えないんだけど…」
「わかんない?」

リョーマが振り返るとを電柱に追い詰めるようにじわじわと近寄り、の唇にそっと人差し指をそえた。

「他の奴に触れさせたら怒るよって話」
「…今も怒ってるじゃない」
「これは怒ってるんじゃなくて…」
「嫉妬?」
「……」

黙ったまま顔をしかめるリョーマ。 決してリョーマの気持ちを読めるようになったわけでもないが、 もしもリョーマが自分の知らないところで他の女の子と関わりがあったなんて事実を知ったとしたら、 絶対に自分は嫉妬してしまうだろうから、ただそう思っただけだ。でも、こうして敢えて沈黙を続けると言うことはリョーマもそう思ってくれているという同意だろうとは悟る。

「我慢してくれてたんだ」
「…してない」
「嘘ばっかり…。ごめん」

跡部との関係を話してはいないので、 気にならないはずがないのに何も聞こうとせずに…いや、聞くのを我慢をするリョーマが可愛く見えるは思う。 もちろん絶対にそんなことは本人には言えないのだが…。

「あのね!うちのお父さんって跡部さんの元専属医だったんだって!」

リョーマに勘違いをされるのはやっぱり嫌。リョーマが嫉妬で愛情を示してくるのなら、自分だってこの大好きという思いを伝えたい。

「…は?」

突然、電柱に追い込んでいたから笑顔で発せられた言葉に思わず驚嘆する。

「凄い偶然だよね。だから跡部さんの家に行ったのは、お父さんの事を教えてくれただけだよ」
「……」

の言いたいことを理解したリョーマは、目を細めて優しく微笑むとの頭を撫でる。

「分かった」
「本当に?」
「本当に」

心配そうにリョーマを見る自身、一つとはいえ自分の方が年上なのにこうして年下に頭を撫でられるというのは不思議な気分だが やはり一緒に住んでいるせいか、どうもリョーマには甘える癖がいつのまにかついてしまっているようだ。 リョーマはの手に指を絡める。

「…帰るよ」
「うん」

以前は決して届かないと思っていたのに今は手を伸ばせば触れられる。 だけど、欲望が一つが叶えばさらにもう一つと欲望が増すのが人間だから、今のままの状態で満足できずにさらに先へと進みたくなる。 もっと触れたい…そう思う度に胸が苦しくなった。