43話 見えない楽譜


「ねぇ…なんでそんなに離れるのさ」
「そ、そんなこと、ない、よー…」
「…はぁ」

関東大会の会場からの帰り道
先輩達と別れて、二人きりになった途端にあからさまに自分と距離を置くにリョーマはため息を吐いた。

「仕方ないでしょー!あんな後でどんな顔すればいいのよ!」
「普通でいいんじゃない?」
「無理に決まってるでしょ!リョーマの馬鹿ー!」

は赤く染めた頬を手で押さえながらリョーマを睨みつける。 その表情と言動がリョーマにとって、からかい甲斐のある行動である以外のなにものでもないと言うことに、彼女は気付いているのだろうか。

「リョーマは帰国子女だし、普通なのかもしれないけど…」

いや、私だけじゃない。女の子はきっと皆そうだろう。とは思う。

「キスは特別なんだよ!そんな後に、普通になんてできるわけないでしょ!」

緊張でドキドキして…お互いに大好きだと伝えられる行為。それをあんな簡単に…と思い出しただけで顔が熱くなる。

「ふーん。特別、ね」
「モテる誰かさんとは心持ちが違うの」

悪戯に笑って言うリョーマにが嫌味っぽく言い放つと、 聞き捨てならないというようにリョーマはピクリとその言葉に反応し、眉間に皺を寄せての右手首をつかみ上げる。

「…あのさ」
「な、なに…」
、勘違いしてない?」

刺す様なリョーマの視線には唾を飲む。

「どうでもいい奴にあんな事しないし、したくもない」
「それは…分かってるよ…」
「分かってない」

目を逸らすに対して、リョーマは強く掴んでいたの手首に力を入れる。

「俺がどれだけを好きか全然分かってない」

リョーマの言葉に、「え…」と驚いた様には目を大きく開く。 こんなにはっきり言ってくれたのは多分、付き合いだして初めてだとは思う。

「リョーマ…」
「俺は、だからしたんだけど?」
「っ!私だって…!」

は、リョーマが手を緩めた瞬間にリョーマの手を振りほどき逃げるように走り出した。

「ちょっ…!」

油断したリョーマがを捕まえようと手を伸ばすが、もう遅い。 走り出してリョーマから距離を取ったが後ろを振り返り、リョーマを見て叫ぶ。

「私だって、リョーマが大好きだから、ドキドキして普通じゃいられないんだよ!」

大声でそう言い放ちつつも、さらに頬を赤く染めたはベーッと舌を出した後、玄関まで走り抜けた。

「…言ってくれるじゃん」

リョーマだってそんなことよく分かってる。 だけど、あれほどあからさまに避けられると嫌われているようで嫌なものだ。

「全く…逆効果だってば…」

の行動全てが必死に抑えようとするリョーマの心を煽りたてる。 リョーマは、ゆっくりと歩き出しに続いて家へと着いた。


「ありがとう、リョーマ」
「ん」

リョーマがに食べ終わった皿を渡すとは普段と変わらない笑顔をリョーマに見せる。

ちゃん、このお皿もお願いしていいかしら?」
「あ。はい!」
「……」

リョーマはこのの切り替えにいつも驚かされる。
先ほどまであれだけ自分と距離を取って、顔を真っ赤にしていたのに…。
学校にしろ、家にしろ…普段から、私情は絶対に持ち込みたくない。周りの人には自分のことで絶対に迷惑かけたくない。
といつも豪語している彼女だが、人が居るだけでこうもまるで何にもなかったかのように冷静に大人びた対処ができるものかと思う。

「ほあら~」

リョーマの足に擦り寄ってきたカルピンを抱きかかえて階段をあがり部屋に入るとそっと床にカルピンを放すと暫くして、階段を上がるの足音が聞こえてくる。
普段のならそのままリョーマの部屋まで直行し、なにがあっても一度は必ず顔を見せるのだが…。
リョーマの部屋とは違う隣の部屋のドアを開けようする音が聞こえた瞬間、リョーマが自分の部屋の扉を開けての方を見る。

「っ!」

が、開いたドアの音でビクッ!と肩を揺らしてリョーマの方を振り返ると、先ほどまで台所にいたとは一変して頬を真っ赤に染めてリョーマをみつめる。
リョーマは、身構えるの右手首をつかみ自分の部屋へと招き入れると、ドアがパタリと閉じられた。
部屋に引きずりこまれた瞬間、リョーマに抱きしめられたは赤く染めた頬でリョーマを見上げる。

「も、もうストップ。今日は勘弁だよ…リョーマ…」
「だめ」

他の人が絶対に知らないであろう自分だけに見せる表情と瞳。この時こそ、まさにリョーマが優越感に浸れる瞬間だ。

「本当…明日!明日なら、大丈夫だと思うから!」
「やだ。待てない」

リョーマはそのまま何も言わずに暫くを優しく抱きしめる。

「…強引すぎるよ。リョーマは…」
「でも、ちょっとは落ち着いたんじゃない?」
「そんな……ひっ!」
?」

そんなリョーマの言葉にが返事をしようとした瞬間、足元にざらついた暖かい感触に背筋に悪寒がはしり声がもれた。

「わ、あ、ひゃっ!」

リョーマに抱きしめられたままの体勢でが急いで下を見るとその正体はすぐに判明する。

「ほあら~」
「カルピン!」

どうやら構って欲しかったらしいカルピンが、を見上げて一声鳴くと続けての足を舌を出してペロぺロと舐める。

「あはは、くすぐったいよー。カルピン」
「ほぁらー!」

つぶらな瞳をむけるカルピンには、リョーマをそっと離してカルピンを抱きかかえて歩くと、リョーマのベッドに腰掛ける。
の腕に抱きかかえられているカルピンがにじゃれる。
そんなカルピンとを見てリョーマは一つ深いため息を吐き、の横に腰掛ける。
するとリョーマはそんなの左肩に頭を乗せてもたれ掛り目を閉じた。

「リョーマ?眠い?」
「…ちょっとね」

たしかに、今日は関東大会初戦が終わったばかりだ。それもあんな激しい試合を繰り広げていたんだ。当たり前だ。

「ごめん。疲れてるよね!リョーマ、早く寝な…きゃ」

が、急いでベッドから立ち上がろうとした瞬間、の腕の中でじゃれていたカルピンが、の唇をペロリと舐めて思わずはきょとんと目を丸くした表情で唇を抑えた。

「ほあらー」
「あはは!セカンドキスはカルピンとだね」
「……」

本人は、冗談で言っているのだろうが独占欲が強いリョーマにとっては全く面白くない。 体勢を起き上がらせてリョーマは、未だにの腕に居るカルピンをから奪うと立ち上がり部屋から出すとカルピンはドアをカリカリとひっかく。

「ほあらー!!」
「カル。直ぐ済むから、そこでいい子にしてて」

リョーマはパタリと部屋のドアを閉める。

「ほあら?」
「リョ、リョーマ?」

部屋の外にいるカルピンと部屋に中にいるは対照的ながら、同時にリョーマの行動に首をかしげた。

「あの…リョーマ、眠たいんじゃないの?」
「さっきので覚めた」
「さっきって…カルピン?」
「そう」

リョーマはベッドに腰かけているに近づき、肩に手をかけて押し倒す。

「え?」
「カルピンはよくて、俺は駄目なんだ」
「カルピンはベッドに押し倒したりしないよ!」
「似たようなもんじゃん。オスだし」

リョーマから離れようと手で胸元を押し返し抵抗するを無視して、距離を詰めてリョーマはペロリとの頬を舌で舐める。

「ふ、ゃっ!」

驚いたはもはや言葉にならない声で奇声を上げた。

「俺もほとんど手つけてなかったのに、やってくれたよね」

そう言ってリョーマは、続けての首元へと顔を埋める。

「ちょっ…と!もう!ストップ!本当にストップー!」

リョーマの言葉以前に、今の状況についていけないは、頬を真っ赤に染めて制止を掛ける。 すると、リョーマは顔をあげて悪戯に頬笑み口元に人差し指を立てて言う。

「しーっ…静かに。夜って、これからだよね」
「!」

そんなリョーマの仕草と言葉には思わずドキッと胸を高鳴らせて体を硬直させると、 その瞬間を見計らったようにリョーマは、ぐっと親指での唇を拭う。

「なーんてね。見逃すのは今回だけだから」
「え…」
「次は容赦しない。その意味、わかるよね?」
「あ…え?はい…?」

鋭く自分を見降ろすリョーマの瞳と声には、思わず敬語で返事をした。
そのままリョーマの部屋を出たは、ドアの前で煩く高鳴る心臓を抑えて落ち着かせる。

「な…なんなのよ~!もう!」

本当に余裕がない。人間、ここまで人を好きになると余裕が無くなるものなのだろうか…。 これじゃ、まるで私ばっかりリョーマのことが大好きみたいだ。
がため息をつき部屋に入った直後…。

ガンっ!

「ッ!いったーい!!」

ドアを閉めるなり、すぐに開いた自分の部屋のドアに後頭部を激突させた。 は、頭を押さえて床にうずくまる。

「あ…ごめん」
「リョーマ?!」

その声に急いで顔を上げるとリョーマはなんでもないようにその場に立っている。

「部屋を開けるときはノックをしてよー!」

痛みを擦りながら怒るをリョーマが見下ろす。

「何言ってんのさ。だっていつも勝手に入ってくるくせに」
「女の子と男の子じゃ立場が違いますー!」
「どう違うのさ?」
「女の子には、色々支度があるのよ!」
「男だって一緒じゃん」
「うっ…」

リョーマの返答には言葉に詰まらせる。 先ほどまでの甘い時間が嘘のような会話だ。

「それより、これ」

リョーマは床でゆずくまるの携帯を差し出す。 どうやら先ほどあまりにも余裕をなくしていて、リョーマの部屋に置きわすれてしまっていたらしい。

「さっきからずっと鳴ってるんだけど…誰?」
「誰って?」
「…それ」

リョーマは先ほどからバイブ音が鳴るの携帯を指さす。

「まさか気になるの?」
「そりゃあね。時間も時間だし」

どこか不機嫌そうにそっぽを向いていうリョーマに思わずは笑みがこぼれる。

「…よかった」
「なにが?」
「ううん。なんでもないよー」

心配してくれるリョーマの反応が嬉しく思いながらもは、パッとその場で携帯を開く。

「あ。大石先輩だ!明日の連絡事項!」

部活の連絡について書かれたメールをリョーマに開いて見せると、いつも通りの声のトーンで興味なさ気に、 ふーんと言って部屋を出ようとする。

「携帯ありがとう!おやすみ、リョーマ」
「ん…おやすみ」

リョーマの行動はいつも分かりずらいが、ちゃんと愛情がに伝わってくる。 それは真っ直ぐに自分のことを見てくれているからだと思う。だから、リョーマといると安心できるんだとは最近になって気付いた。 この気持ちが一方通行じゃないと、分かるから…。

「ん?明日は、皆で…ボーリング?」

大石先輩からの意味深なメールに首をかしげつつも、は、部屋の電気を消した。