44話 自己不審
「あの、やっぱり私は不参加ということでー」
「駄目駄目!ちゃんも参加しなきゃ!」
「気分転換にも、ちょうどいいじゃねぇか」
「竜崎先生の奢りだし、やってみたらどうかな?ちゃん」
英二先輩、桃城、そしてなんと不二先輩までに詰め寄られた私は、学生鞄を抱えたまま後ろにじりじりと退く。 なんでも、氷帝をやぶり関東大会ベスト8までいったご褒美ということで今日は、竜崎先生が皆にボーリングを奢ってくれるという。 怪我をした河村先輩と手塚部長は参加できないけど、私は…。
「ちゃんは怪我もしてないし!」
「ここまでこれたのもちゃんの協力あってだしな」
「大石先輩までやめてくださいよ!もうー!」
なぜ、私がここまで参加をすることにしぶっているのかというと理由がある。
「負けたチームは、乾特製『青酢』を飲んでもらう」
この自然界には絶対にありえない青色と、すっぱい匂い…。 ただでさえ、正直言うとボーリングは得意な方じゃないんだから勘弁して欲しい。
「やっぱり嫌です!私、見学してます!」
「ほう…。は不戦敗ということか」
「は?」
「飲んでもらおうか?」
「ええええ!」
乾先輩は、ずいと私の目の前に青酢を差し出した。
「っ…!」
逃げるが勝ち!! そう判断した私は、とっさに背後のエレベーターのボタンを連打していると…。
「逃げんの?」
聞きまちがえるはずのない、リョーマの声にぴたりと私は手を止めた。
「自信ないんだ」
「冗談!そんなわけないでしょ!」
「じゃあ、なにも問題ないんじゃない?ねぇ、桃先輩」
「ん?ああ。そうだよなー」
突然、リョーマに話をふられた桃は少し驚いたような表情でリョーマを見る。
「ってことで、はこっち」
「え…?」
リョーマに手を引かれ、近くの椅子に座らされた私は目をぱちくりとさせてリョーマを見上げる。
「ほいほーい!じゃあちゃんは、特別におチビと桃のチームで参加決定ね!」
「あ…はい…」
話の流れでどうやら参加することになってしまったらしい私は、どうすればいいのか分からず、ひとまず青酢を逃れたことだけに、ほっと一息ついた。
「おらぁ!」
豪快にふりきる桃。惜しくも二本のピンが残ったところをリョーマが上手くカバーに入る。
「桃もリョーマも上手いじゃない!」
ぱちぱちと座ったまま私は二人に拍手を送る。
「まぁ、これくらいは当然だろ!」
「自信なくて下手を誘い込むわけないじゃん」
「ちょっと!下手って私のこと?!」
「そうだけど?違うの?」
「まだ一回も投げてないのに分かんないでしょ!」
「へー。じゃあ、なんで逃げようとしたわけ?」
「うっ…それは…」
「まだまだだね」
「っ~!くやしい!桃ー!」
「お前ら、本当変わんねーな」
これだけ色気のないやりとりをしていれば、自分とリョーマの会話は、以前からなにも変わらないように見られても可笑しくない。 だけど、それでいい。寧ろ変わりたくないとさえ私は思ってる。
「(だって…)」
私は、ちらりと桃と喋っているリョーマを見る。
だってこんな変わらない日常のやりとりをしていても、特別ドキドキした瞬間が訪れるのだから…変わる必要なんてない。
「もう少しでの番だろ?」
「うん。次の次かな」
でも、時間の流れは残酷で自然と変わるものも存在する。 最近私とリョーマの間で、ひとつだけ明らかに変わったことがある。それは…
「ま、せいぜい頑張りなよ。」
「見てなさいよー。見返してやるんだから!」
関東大会の氷帝戦後に起こったあの出来事以来、リョーマが、学校や部活といった人前でだけ私に使っていた敬語と先輩呼びを使わなくなったことだ。 本人曰く、「必要がないのに、使うなんてめんどくさいだけじゃん」とのこと。確かに、先輩達に私とリョーマの関係がバレているとわかった今、使う必要は無意味だろう。
「越前の奴、相変わらずだよな」
「本当、生意気だし可愛くない」
「そうじゃなくてお前に対してだよ」
「へ?」
「よく見てるぜ。今もな」
桃の言葉で思わず、一瞬体の体温が上昇する。
「なっ…!」
「ほら、!お前の番だぜ!頑張ってこいよ!」
「ちょ、ちょっと!ええー!!」
桃にボールを持たされ、ポンっと背中を押された私はコースの前に立つ。ガータを出しても青酢。負けても青酢。
それに、ボーリングマニアの大石先輩と竜崎先生のペアという強敵が相手…。
襲ってくる緊張感とプレッシャーの中では、ぐっとボールを両手に抱えた。
「……」
ゆっくりと力を込めてボールを転ばすと不安定ながらも真っ直ぐにピンに向かっていく。
ガラ、ガラ…カラ、カラーン!と音を立てて、私が転がしたボールは、なんとか右側をかすめてピンは八本倒れた。
「やった!」
「上出来だぜ、!後は俺に任せとけ!」
桃にぐしゃぐしゃと頭を上から撫でられる。しかし、その隣のコースでは波乱を呼ぶ。 不運なことにガータを出してしまった竜崎先生までもが皆から青酢を飲まされ、お開きとなった。
「(の…飲まされなくてよかった!!)」
私は、安心したようにほっと一息吐いた。
「あー、疲れたー!」
家に帰ってきた私は、制服のままでまだ誰も帰ってきていないリビングのソファーにダイブして腰掛ける。
「良かったじゃん。変なの飲まずに済んで」
「まぁね…でもさ、そんなことより」
「なに?」
リョーマは、冷蔵庫から二本缶ジュースを取りだして、そのうちの一本を私に手渡してくれる。
「手塚部長、九州いっちゃうんだね」
「……だから?」
氷帝戦の跡部さんとの戦いで肩の怪我を再発させてしまった手塚部長が肩の治療で九州にいくことになったと言うことを竜崎先生から先ほど聞かされた事実。
私は以前、不二先輩に言われたことを思い出す。
――「越前を上手く支えてあげて」
今思えば、その言葉がないと、私は自分の気持ちに気がつかないままだったかもしれない。 あの時、先輩に後押しをされなかったら…私がしたいことを代わりに言葉で言ってくれなかったら、きっとなにも変わらないままだっただろう。
「、なに考えてんの?」
「へっ?」
ソファーにもたれ掛り右腕をついて物思いにふけっていると、目の前にリョーマが不機嫌そうに私の顔を近くで覗き込む。
「わっ!わっ!」
気がつくとあまりにもリョーマとの距離が近くて、リョーマに手渡されて左手に持っていた缶ジュースを落としそうになる。
「あ、あぶなー!」
「ドジ」
「だ、誰のせいだと思ってんの!」
私が両足をソファーの上にのせて体育座りをした後、両手で缶ジュースを支えて口につける。リョーマはそんな私の横に腰掛けた。
「それで?さっき、なに考えてわけ?」
「んー?なんでもないよー」
「うそつき」
「うっ…」
「ま、予想はついてるけどね」
リョーマは、グイッと左手にもっている缶ジュースを飲む。
「…先輩達のこと、考えてた」
がゆっくりと口を開く。
「私、今まで自分がどれだけ皆に支えられてたのか。今頃気付いた」
一人で日本に残って、初めて気付いた。私は、一人じゃなにも出来なかった。 支える立場の人間であるはずなのに、いつの間にか皆に支えられていた。
「マネージャーとして失格だよ」
「そう思うなら、やめれば?」
相変わらずのリョーマの厳しい一言がいつも以上に心に突き刺さる。でも、どこか納得してしまう。
「…逃げるみたいで嫌だけど、それもいいかもね」
「は?なに?」
「ここじゃなくて、遠くに行くのもいいかなって話」
負けず嫌いのらしくない思いもしない弱気な彼女の言葉にリョーマは、目を大きく見開いた。
横から見ていて、のその表情はどこか切なげで、リョーマにむしゃくしゃとしたやるせない感情を引き立てる。
そんなリョーマの感情を知らず、空になった缶を目の前のテーブルに置くの肩をリョーマは勢いよくソファーに押し倒した。
「うぇっ!」
あまりに一瞬にして、視界が反転し天井となにやら怒った表情をしているリョーマを見上げている状態の自分には、声も出ない。
「…なにそれ」
「え?」
「さっきのは納得できない」
「え。いや、それは…」
「冗談でも笑えないから」
鋭い視線、淡々とした口調…。には、リョーマが本気で怒っていることがはっきりと分かった。
「私は…リョーマを…皆を支えるなんて自信ない」
一人で日本に残った今だから分かる。私は皆に支えられてきた。リョーマにも何回迷惑をかけたか分からない。 支えることもできない。そんな私が…出来る事って…。
「正直それで部活やめようが、俺はどっちでもいいんだよね」
リョーマは私の手を引っ張り上げてソファーに座らせると真っ直ぐに私を見て言う。
「でも、そんな理由でがどっか行くって言うのは許可できない」
リョーマは、相変わらずだれがどう聞いても我がままな台詞を吐くが、いつも自信にあふれるリョーマの瞳が少しだけ揺らいでいるのがの目に入る。
「マネージャー辞めようが、は俺のものなんだからそんな勝手はさせないよ」
「リョーマ…」
強気にそう言うもどこか揺らぐリョーマの瞳を見て改めて思う。
私にも、まだここで出来ることがあるんじゃないかって…今度は私が、ソファーに座っているリョーマに抱きつき押し倒す。
「ちょっと…話、まだ終わってないんだけど?」
「リョーマは凄いよ」
「は?」
「いつも私に手を差し伸べてくれるんだもん」
支えるって言っても一つじゃない…。きっとそれぞれの形がある。
「ごめん、さっきの嘘。私、ちょっとだけホームシックだったみたいだ」
「ホームシック、ね」
「あと部長のことで、急に自分に自信がなくなっちゃってたんだ」
私がリョーマの首に手を回したままリョーマの胸元に頭を鎮めると、そっとリョーマは私の背中に手を回して体を支えてくれる。
「……」
"俺は、あんたがいればそれでいい"
"何もいらない"
なんて歯の浮くような台詞をもし自分が言えたのなら、きっと今のには一番いいんだろう。
だけど、自分がそう易々とそんな台詞を言える性格じゃないと…。
寧ろそれとは正反対に等しい性格であるとリョーマは自分自身でもよく知っている。
そして、心の奥底で本当にそう思っている自分がいると微かに感じているからこそ、恥ずかしくて彼女の為に気のきいた台詞なんて一言も言えやしない。
「…リョーマ?」
リョーマは右手で私の腰を支えたまま、左手でおろされている私の髪に自身の指を絡める。 そっとの耳元にリョーマの手が触れた。
「俺…この時間は嫌いじゃない」
目を細めて私を優しく見つめてくれるリョーマ。
その視線とリョーマらしい言葉でリョーマの言いたいことを理解した瞬間、私はとても嬉しくなり、リョーマを見て微笑んで見せる。
「ちゃんと言って?」
「…やだ」
「けち」
「襲われたいの?」
「じょ、冗談だよね?!」
そう言い放つと同時に、玄関の方がガチャガチャと鳴る音が響く。
「あ!誰か帰ってきた!」
私は、リョーマの上から退くとパタパタと走り玄関の方に向かう。 リョーマは温もりが残る自身の手を黙って暫く見つめる。
「……」
今は感じていても少し経てば消えてしまう彼女の温もり。
だけど、願わくば…この温もりを感じられるのは一生であって欲しい。
リョーマは、なにかを誓うように力強く両手を握りしめた。