45話 過去の覚悟
今日は、とうとう手塚部長が九州へ行く日。
宮崎の方に青春学園大付属の病院があるらしい。空港まで手塚部長を見送りにきた先輩達と私は、そっと手塚部長に餞別を差し出す。
「いってらっしゃいです!手塚部長!」
「…」
「あはは、ちゃんらしい見送り方だね」
「え。そうですか?」
不二先輩は優しく私を見下ろして、再び手塚部長を見る。
「手塚…」
「ああ」
不二先輩の声に頷いた手塚部長は、ゆっくりと私に近づく。
「、お前には部長として感謝している」
「へ?」
「お前は覚えているか分からないが、以前不二からお前に越前のことを頼むように言伝たのは俺だ」
その言葉に、私は目を丸くして大きく見開く。昨日だって思い返していた。 忘れるわけないあの時の言葉…。
「お前は、その言葉以上に俺達を支えてくれた」
「な、何言ってるんですか!その言葉で支えられたのは私の方です!」
その言葉で…私は、自分のやるべきことを定められたのだ。
アメリカに行かず、この日本に残ったことへの迷いを吹き飛ばしてくれたんだ。
でも、それはやっぱり皆が居たからだ。皆が…手塚部長がいないと何にも進まないままだった。
「いや。お前は充分に俺達の支えになってくれた」
「そうそう!ちゃんの応援の声、俺好きだよ!」
菊丸先輩がそう言うと周りの先輩も皆が頷いて優しく私を見る。
「、お前の出来る範囲でいい。部長としてもう一度、直に頼みたい」
手塚部長はいつもの表情を崩さずに、私に頭を下げる。
「これからも我が部で皆を支えて欲しい」
「て、手塚部長…」
まるで、昨日の私の不安を全部見過ごしていたかのようなこの台詞。また私は先輩に後押しをされてしまったようだ…。
「お前の家庭の事情は俺も知っている」
「……」
「それを承知の上で、部長としてお願いしたい」
両親にアメリカ行きを宣告されたのは、ちょうど私が女子テニス部をやめて、男子テニス部のマネージャーとして入部したばかりの時だった。 その時、やっと自分が本当にやりたいことが見つかったのにアメリカなんて冗談じゃないって思った。 特別だったその時の気持ちを…この青春学園でやりたいと思ったことを…時が経ち、私は忘れてしまっていたのかもしれない。
「私は、何を言われても青春学園中等部男子テニス部のマネージャーです」
「…」
「それが、例えこれから先どこに行くことになろうとも変わりません!手塚部長!」
真っ直ぐに見上げて私がそう言うと、手塚部長はどこかいつもより優しい表情で私をみて私の頭に手を置いた。
「…後は頼んだぞ」
「はい!」
レギュラーの先輩方と、私は手を振り手塚部長の背中を見送った。
「良かったね!やっと元気なちゃんに戻った!」
「へ?」
菊丸先輩の言葉に同意するように不二先輩がクスリと笑う。
「ちょっと元気なかったでしょ?」
「あ…」
どうやら、先輩達皆には昨日から私が抱えていた不安と自信喪失を見破られていたらしい。
「ありがとうございます。もう大丈夫です!」
「良かったな。これで皆にも自信を…」
「それも心配ないよ。大石!」
「え?」
学校に戻り、皆も手塚部長が居なくなったことで自信を喪失しているかと思いきや異常なくらい前向きで、この士気の上がり様だとなんの心配もないようだ。 私も見習わなきゃ…今日から大石先輩を部長代理とした新体制のもと、部活はさらに激しさを増していくのだった。
「お疲れー」
「!」
女子テニス部から様子を見に来てくれたが、私に近づく。
「どう?手塚部長がいない中での調子は」
「皆、頑張ってるよ」
そんな出だしから始まったとの会話は当然何でもなく、誰に聞かれてもいいような普段のありふれた会話だったのだが、 私との会話の途中で、は突然、眉間にしわを寄せて真剣な表情になると同時にピクリと体の動作が停止して、きょろきょろと周りを見渡し始めた。
「?」
「…気のせいか」
「どうしたの?」
「ううん。ちょっと、視線を感じた気がして」
「視線?…ちょっとやめてよー!私、そういう話は苦手なんだから!」
「だれも幽霊だなんて言ってないでしょ」
「じゃあ、嫉妬に狂った女子生徒の視線とか?」
私がを茶化しながらそう言うと、は呆れたように深くため息を吐いた。
「、あんたそれが本当だったらどうするのわけ?今のの状況なら充分ありえる話だよ」
「え?なにが?」
「だって、あんた達もうかなりの噂になってるじゃん」
が言う"あんた達"というのが、私とリョーマのことだとすぐに分かった。私達の関係が噂になりだしたのは、最近だ。
付き合いだして暫く経つのになぜ今頃になってそんな噂が出だしたのかというと、リョーマが私に対して敬語を使わなくなったからという理由が大きいのだろう。
「別にいいんじゃない?だって事実だもん」
いつか噂になることは覚悟してたし、男子テニス部マネージャーに入部したときもかなりの噂になり、注目を浴びてが、いじめといういじめは無かった。
今回もの言う視線が本当でも、こんなことでおびえる私ではない。
「マネージャーで噂になるのと誰かの彼女として噂になるの…どっちも事実だけどこれは別物でしょ」
私が分からないと言った風に首をかしげるとは、私に左右一本ずつ人差し指をあげて説明をする。
「マネージャーは所詮、マネージャー。皆に平等に接するのが仕事」
「まぁ、そうだよね」
「だけど、彼女となれば話は別よ。誰かの…特別だもの」
の言葉で、私はリョーマに思いを伝える前、自分がなぜリョーマに対して思いを伝えられずにいたのかを思い出した。
「そ…そうだね…」
マネージャーの立場として、自分でもしてはいけないことだと分かっていた。だからこそ、あり得ないと諦めようとしていたのだ…。
今思い返してみると、なんて恐れ多いことをしているのだろうと気がつく。
「(確かにそれだと大変な気がしてきた…)」
自分自身で悪いことをしているとは把握しての行動なのだから、第三者や他人からしてみれば私がしている行為は決して許されることじゃないはずだ。
今回ばかりはいくら、あの氷帝の跡部さんに言われようが、私はあの人のようにそこまで世間の目を無視できるほど性格ができてない。
「うーん…どうしよっか?」
「なに言ってんの。簡単な解決方法があるじゃない」
「簡単な解決方法?」
「越前リョーマと別れればいいのよ」
「それは絶対やだ!」
「これからのの安全だって保障できるのに」
冗談半分だろうが、の言葉に私は頬を膨らませる。
「やだ!」という私に、は「はいはい」と受け流しつつも、真剣な表情で私を見る。
「まぁ、まだ現実にはなにも起きてないわけだけど…覚悟はしといた方がいいんじゃない?」
「私、誰にも譲ってあげる気なんてないから大丈夫」
「それなら仕方ない。じゃあ、私がを守ってあげる」
「…私、が男なら惚れてたかもしれない…」
「そりゃどうも」
「ありがとう」
と顔を見合わせて笑う。あんなことになるとは思わずに…。
手塚部長が九州に行ってからすでに二日。
部長代理となった大石先輩は、ダブルスが弱いうちの弱点を様々な方法で試し、いくつもの学校と練習試合を行うと言うなかなかハードな練習が行われている。 だけど、皆を始めリョーマの練習は前となんら変わりがない。
家に帰ってもテニスだ…。南次郎さんと打ち合いをしたり、時々、私も練習に付き合わされている。
ただ一つ増えたリョーマの練習といえば、木から落ちてくる葉っぱをサーブで連続で打つという練習を必死で行っていることだ。 桃や海堂君も何かしら、一人でこっそり練習をする量が増えている気がするから今後のことを考えれば良いことなんだろう。
「おかえり、リョーマ」
練習から帰ってきたリョーマをにっこりと私がリョーマの部屋で出迎えると目をぱちくりさせてリョーマは私を見る。
「…なんで俺の部屋にいるの?」
「掃除だよ。倫子さんのお手伝い」
下から持ってきた掃除機を自分の部屋とリョーマの部屋。 どちらもちょうどかけ終えたところでちょうどリョーマが帰ってきたのだ。現状を理解したリョーマは、一つ深いため息を吐いた。
「なに?私に見られたくないものでもあるの?」
「別に…そんなんじゃない」
「どうだか」
冗談めかしたようにそう言って、掃除機を持ちリョーマの部屋から出て行こうとした私の手を後ろ引っぱられる。 ぺたんと手を引かれるがままに私は床に座らされせると、リョーマは後ろから私の腰に手を回して抱きしめてくれる。
「何かみつけられた?」
「…残念ながら、うちのテニス部みたいに面白いものはなかったよ」
「当たり前でしょ」
「すごい自信だね」
「だって部屋に無いものを見つけられるわけないじゃん」
「でも本当にないの?人に見られたくないものだよ?」
「へー。はあるんだ」
「そ、そりゃ、なにかしらあるでしょ」
例えば昔の写真とか、点数の悪いテストの答案とか…。 生きてたら他の人に見られたくないものなんて、いくらでもある気がする。
「まぁ、確かに俺もあると言えばある」
「なに?」
「内緒」
そりゃそうだ…人に見られたくないものなんだから、言いたくもないだろう。でも、リョーマが人に見られたくないもの、か…ちょっと気になる。
「って言っても限定だけど」
「…どういう意味?」
「さぁ?自分で考えてみたら?好きでしょ。そういうの」
私の腰に右手を回したまま、左手で私の頭を撫でてそう言うリョーマ。
ちょっと馬鹿にされているようでなんだか腹が立つが、こういう時、悪戯に微笑むリョーマには敵わないと知っているから何も言わない。
「うーん。じゃあ、ヒント頂戴!ヒント!」
「俺よりの方がよく知ってる物だと思うけど?」
「私の方が…知ってる?」
ますます意味が分からない。私は腕を組みさらに考え込む。
「なんだろう…?」
「(…やめられないんだよね、これが)」
考え込むを見てリョーマは、もっと意地悪したくなるがこれ以上、彼女を深みにはめると絶対にムキになるのは目に見えてるからそんな衝動を必死で抑える。 自分でも意地悪だと感じてはいるが、やっぱりやめられない。
「やっぱ分かんないよ。リョーマ」
「降参するんだ」
「うん。やっぱり人の秘密まで踏み込むのは邪道だってってことだよね」
「へー…珍しくあっさり認めるの?」
「私、そこまで束縛する彼女じゃないもの」
「なにそれ」
そう言ってリョーマは私のことを抱きしめる腕に力を込める。
「やっぱりリョーマの体温は落ち着くね」
「…そう?」
「うん。温かくて、優しくて…。私は、大好きだなー」
私は振り返りリョーマの胸元に擦り寄った後、掃除機を一階にしまいにいくために立ち上がり部屋を出た。
「……」
が部屋を出た後、リョーマは学校から帰ってきてそのまま部屋に置いていたクラブバックのチャックを開けて中から一つの物を取り出す。
「(にバレると調子に乗るだろうからね…)」
まだが家に来て間もない頃、大会前に渡されたのお守り。 その中には、の携帯番号とアドレスが書かれた紙が入ったままの状態だ。 他の人が見れば、ただのお守りにしかみえないだろうが、に見られればすぐにそれは本人があげたものだとバレてしまう。
「(本当、厄介だよね…。手放せないのは)」
頭の回転がはやいのことだ…毎日、自分が持ち歩いているのを知った日にはすぐにそれを話のネタに主導権を握ろうとするだろう。
だからこそ、絶対にに見せるわけにはいかない。
リョーマは、取りだしたお守りをに分からないようにもう一度クラブバックの奥にしまい込んだ。
「ほあらー」
「カルピン…」
自分の足元で鳴くカルピンをリョーマは優しく抱きかかえた。君と過ごした時間は、紛れもなく本物だから。 過去の記憶は、未来に進むための思い出に変わる。