47話 静寂と浪速人情
「!明日からうちの合宿来てくれるんでしょ?」
「あ、うん。手伝い頼まれちゃったから」
のテンションは最高値だった。 なぜなら、久しぶりにあの生意気な一年生から離れたところでを一人占めできるから。
「じゃあ、私と一緒に大阪巡りね」
「もちろん!」
女子テニス部のレギュラーメンバーが明日から一週間。大阪で合宿をするという行事がこの夏に入っていたらしい。
しかし男子テニス部以上に、個人の自主性が高く比較的にのんびりとした女子テニス部は、 合宿をするということは今年が初めての行事で分からないことが山積みのように襲いかかっていたのだ。
そこで元女子テニス部であり今は男子テニス部のマネージャーをしているに部長や顧問から女子テニス部の合宿を手伝って欲しいとの声がかかり今に至る。
「(でも参ったなぁ…)」
自身、まさか合宿まで参加させられるとは思っていなかった。
だけど男子テニス部の顧問であり忙しい竜崎からも代わりに協力するように頼まれてしまったのだから仕方がない。 関東大会の二回戦までにはまだ一週間もあるし、ギリギリ戻ってこれるから大丈夫だろうとは思っていた。
「と、いうことなのでー…」
「えええ!明日からちゃん居ないの?!」
「居ないと言っても一週間だ」
「結構長いじゃん!」
部活終了にかかるミーティングで大石とは、女子テニス部の合宿について男子テニス部全員の前で話をする。
「すみません」
「いや、俺の方こそ全部任せてしまってすまない」
「いえ!大石部長代理は、大会に集中してください」
としても少しでも部長のやることを減らすことができれば、マネージャーとしての役目も果たせる。
「ということだから皆、明日から練習試合の本数も増やしていこうと思う」
「ええー!」
皆は一斉に大石を見て悲観の声を上げた。 こういう真面目ところは、大石部長代理は意外と手塚部長より厳しいかもしれない…。
「歯ブラシ、着替え…あ!練習メニューのプリント持って行かなきゃ!」
は自分の部屋で明日から行く準備に取りかかっていた。
大きな鞄の中に持って行くものを厳選して詰め込み、入れ忘れはないかを確認をしているところだった。
「忙しそうじゃん」
「リョーマ!」
ノックの音が二回鳴り、が返事をするとドアを開けて入ってきたのはにとって最愛の人だった。
「これ、母さんが持って行けってさ」
「え?」
リョーマから封筒を受け取り、中を開けると数枚のお札が入っている。
「え!貰えないよ!」
驚いたは横に首をふり、リョーマに返そうとすると先にリョーマが口を開く。
「小遣い代わりらしいから貰っとけば?」
「…倫子さんがそう言ったの?」
「ならそう言わないと受け取らないって思ったんだろうね」
「敵わないなぁ、倫子さんには」
流石リョーマのお母さんだ…。は封筒を高くあげて崇める様に頭を下げる。
「有り難く頂戴します!」
そんなの様子を目の前にリョーマは目を細めて小さく微笑む。
「あ。そうだリョーマ!私、電話するからちゃんと出てよね」
封筒を鞄の中に詰め込みチャックを閉めるとは手を止めて思い出したようにリョーマを見て言う。
「暇だったらね」
「そんな寂しいこと言わないでよ」
めんどくさがりのリョーマなら、本当に電話に出ない方の確率の方が高いだろうから心配でたまらない。 は、座りながらの部屋に置いてある雑誌を手に取ってぱらぱらとめくっているリョーマを見てため息をついた。
「…電話に出るまで掛け続けてやる」
「それでも出なかったら?」
「え?」
そこまで考えていなかったは思わず腕を組み考える素振りをみせるとリョーマは雑誌を閉じて自分の隣に置いた後、そんなの手首をつかむ。
「すぐに帰って来てくれるわけ?」
「へ?」
思いもしなかったリョーマの言葉には体を硬直させていると、リョーマはそっとの手首を離して立ち上がる。
「…冗談。じゃ、おやすみ」
「え!あ、ちょっと待って!リョーマー!」
どこか寂しげに言い、部屋を出ようとしているリョーマにたまらずは声を上げた。
「なに?」
「一緒に寝ようか」
「…は?」
「今日くらい良いでしょう?」
「いくらなんでもそれはまずいんじゃない?」
「えー。だめ?」
は床に座ったまま手を合わせて首をかしげ、ドアの前に立っているリョーマを見上げる。
「…その言い方ずるい」
リョーマは、をベッドの上に押し倒すようにして抱きしめるともそっとリョーマの背中に手を回す。
「リョーマ?」
「…今日は駄目。俺、本当に行かせたくなくなる」
はずるい。さっきまで必死に押さえ込んでいた。
行かせたくない。という自分の願望を簡単に引きずり出す。でも、これは自分のわがままだと分かっている。だからこそリョーマはこの甘い誘惑を呑むわけにはいかない。
「じゃあ私が電話したら、出てくれる?」
「…わかった」
「本当?浮気しない?」
「馬鹿馬鹿しい。そんなことしないから」
「絶対だよ」
は小指をたててリョーマの小指と無理矢理絡めて、指切りをする。
「おやすみ、リョーマ」
「ん…おやすみ」
の頭に手を置き軽く撫でてリョーマは、の部屋を出た。
そして、隣である自分の部屋に入り倒れこむようにベッドで横になり深いため息をつき、そっと目を閉じた。
「いってきます!」
「いってらっしゃい!ちゃん!」
玄関の前で倫子さん達に見送られ、出発をしようとしているとゆっくりと階段から下りてくる足音に気がつきはにっこりとした笑顔を向ける。
「リョーマ!おはよう!」
「…はよ」
に返事を返した後リョーマが靴を履くのをが目にする。
リョーマがいつもより早く起きてきたことにも疑問を感じてはふとリョーマに尋ねる。
「リョーマ今日、休みじゃないの?」
「ランニングのついで」
靴を履いて靴ひもを結び終えたリョーマに無理矢理、が手に持っていた旅行鞄を取り上げられ玄関を出る。
「え?ちょっ!あ!いってきまーす!」
「気をつけてね」
出て行く達を見送るように倫子と菜々子は手を振る。 二人が出て行ったあと、口元に手を当てて倫子は小さく笑う。
「どうしたんですか?おばさま」
「なんだかちょっと嬉しくなっちゃった」
今まで自分勝手で他人のことなど考えないと思っていたはずの我が子が一人の女の子を思う様子が倫子にはすごく大人びて見えたのだった。
「ごめんね、朝早いのに」
「別に」
旅行鞄をリョーマに取り上げられたは、そんなリョーマの横をゆっくり歩く。
普段と変わらない何気ない会話をしていると学校の塀が見えてきた辺りではリョーマを止める。
「ここでいいよ」
「…ん」
「ありがと、って…うぇ?!」
リョーマから差し出された旅行鞄を受け取ろうとが手を伸ばして旅行鞄を掴んだ瞬間、差し出した手をリョーマに掴まれ引っ張られる。
そして気がつくと、リョーマに抱き寄せられている自分がいることに目をぱちくりとさせて、はリョーマを見る。
「いってらっしゃい」
リョーマは、を抱きしめながら耳元で優しく囁いた。
「じゃ、いってきます!リョーマ!」
そう言っては笑顔でリョーマに手を振ると急ぎ足で集合場所に向かっていく。 そんなの背中をみてリョーマはふと思わされる。
今回は、こうして彼女が帰ってくるのを見送ることが出来る。そうたったの一週間だ。
だけど、いつか自分のもとに長い間帰ってこなくなる日が…本当の別れの日がくるのではないかと未だない不安がリョーマを襲った。 ぶんぶんとリョーマは振り払うように首を横に振り、来た道を足早に戻った。
「はい!もあげる!」
「あ。ありがとう」
新幹線の中、が窓の外を眺めていると女子テニス部の友達にお菓子を差し出されて受け取り、食べ終えると再び窓の外を眺める。
そんなを隣に座り横目で見ていたが声を掛ける。
「…どうかしたの?」
「え?あ、ううん。なんでもない」
「本当に?」
「ほ、本当だってば!」
「ならいいけど…そうだ!これ見て!」
「え?」
が鞄の中を探りだし、何やら雑誌を取りだすとにページを開いて見せる。
なにやら、たくさん丸のマークがある。
「なに?これ?」
「大阪のおすすめ観光名所!」
「…まさかこれ全部行くつもり?」
「当然!」
「あはは!らしいー!」
「そうでしょ?」
やっと笑ったには、ほっと胸を撫でおろした。
「越前!おい!越前!」
堀尾は、机で爆睡しているリョーマの肩を大きく揺さぶるとリョーマは目をこすり未だ眠そうに体を起き上がらせる。
「リョーマ君、やけに寝むそうだけど大丈夫?」
「こいつが眠いのは毎日だろ」
「部活、はじまっちゃうよ」
カチロー達の声にリョーマは、机の上のものを鞄の中につめて立ち上がる。
「ふわぁ…」
「今日で四日目だね!」
欠伸をしつつ歩くリョーマにカチローがそんなリョーマを追って横を歩いて言った。
「なにが?」
「なにって、先輩に決まってんじゃねーか!」
堀尾がそう言うとリョーマがぴくりと肩を揺らせると一瞬、足を止めた。
「リョーマ君?」
「…忘れ物した」
「は?」
「先行ってて」
「おい越前!」
後ろから叫ぶ堀尾達の声を無視して、リョーマは方向を変えて歩き出した。
誰もいない屋上でリョーマは、フェンスにもたれ掛り携帯を弄る。 そう…今日で四日目。出発した初日にはから連絡がきたもの、それ以降はきていない。
まぁ、連絡がないということはそれだけ忙しいということで無事な証ともとれるが…。
同時にをよく知るリョーマからしてみれば彼女の性格からして連絡がこないという現状は正直、何かあったとしか思えない自分がいる。
「(ややこしい感情だよね…)」
を好きになる前、いや、正確には好きだと気付く前にが遠征で居なかったことがあった。
しかし、今はその時と比べ物にならないほど膨大な静寂と虚無感がはっきりとリョーマの中で渦巻いていた。 そのうえ以前と違う所と言えば、どうも寝付きが悪いだけでなく、練習でもミスが出るといった明らかに目に見える症状が起こっているということだ。 それだけ時が経つにつれ、自分が彼女に溺れてしまったと言うことなんだろう。
「馬鹿だよね…俺も」
リョーマは彼女と出会う前まで、決っして持ち合わせていなかった暖かくてどこか優しげである感情を嘲笑するように目を細めた。 にメールを出そうと携帯を弄りだすとリョーマの手の中で携帯がブーブーと震えた。
「え…」
画面の表示をみると、の名前…。
夕方とは言え、こんな時間にメールではなく電話がかかってくるなんて珍しい。
というより、もうすぐ部活が始まると分かっていて掛けてくるなんて行為は真面目なからしたらあり得ない。 リョーマは、疑問に思いつつも通話ボタンを押した。
「?」
事件の始まりは、が大阪の合宿所に来て二日目のことだった。
みんな練習、練習の毎日。部長の計らいで、時折も練習に参加させて貰っていた。
そんな中で、練習試合をするということで忙しい部長さんや顧問の先生の代わりに、 は練習相手の学校に挨拶をしにいこうと一人、大阪の街をさまよっていたもの…
「…ここ、どこ?」
地図は持っているものの、見慣れない商店街や街並みに圧倒されていた。
そんな時、一人の男の子が関西弁でなにやら騒いでいる。
「白石のアホー!ボケー!」
が一人地図を持ち呆然とその現場を目にしていると、そんな男の子とパチッと目が合い、先ほどまでの怒りが嘘のような笑顔をに向けて近づいてくる。
「姉ちゃん、どっか行くんか?」
「え?あ、うん。この学校に行きたいんだけど道が分かんなくて」
はその少年に地図を見せる。
「なんや!この道とまるっきり反対方向やないか!」
「えっ!嘘!」
「よっしゃ!わいが連れてったるわ!」
「ほ、本当に?!」
「任しときー!」
そういうと関西弁の少年は、の手を掴んで元気に走りだした。
「で、でも、君も、何か用あるんじゃなかったの?」
「大丈夫やて!部活抜けだしてきただけや」
「え?!皆、心配してるんじゃ…」
「わいが試合したい言うたら白石が、怒るんや!わいだけまだ試合してへんのにー!」
「へ、へー」
なんだかよくわからないが何やら不機嫌なことがあったようだとは悟る。
「せや!わい、遠山金太郎言うねん。姉ちゃんの名前は?」
「あ、私、」
「よろしゅう!!」
の手を掴んだままにっこりと笑う彼に思わず、どきっと胸が高鳴る。
ふと何気なく金太郎の話に耳を貸して聞いていれば、金太郎はリョーマと同じ年の一年生のようだ。
だけど、リョーマとは正反対の性格で人懐こい金太郎を見ていると、やはり可愛いと感じずにはいられない。
「そういえば、は東京もんやろ?大阪まで何の用なん?」
「テニス部の合宿に来てるの」
「テニス…もテニスするんか?!」
「え?うん。私はマネージャーだけど軽くならね」
そういうと金太郎君は目をキラキラさせてに詰め寄る。
「わいと勝負しようや!」
「で、でも、私じゃ下手で勝負にならないと思うよ?」
「ほな、わいが教えたる!」
「え!ちょ、ちょっと待って!」
金太郎がの手を掴んだまま方向を変えて行こうとしたその時、達の背後から大きな声が響いた。
「皆、こっちや!おったで!金ちゃん!!」
「ほんまや!」
「もう!捜したでー!金太郎はん!」
「うげっ!見つかってしもた…」
同じ制服をきた人達が達に近づいてくる。
どうやら、が心配していたように彼らは部活を抜け出した金太郎を捜していたらしい。金太郎はばつの悪そうな表情をする。
「うちの金ちゃんが、えらいすんません!」
「はい?」
を見るなり銀髪で腕に包帯を巻いている背の高い彼は、金太郎の頭を鷲掴みにして、金太郎の頭を無理矢理に下げさせると彼も同時に頭をさげた。
「なにすんねん!白石ー!」
「どうせ金ちゃんが迷惑かけたんやろ!」
「わい、そんなことしてへんわ!」
「そうです!むしろ案内してもらって助かりましたから!」
「案内?」
「あ、私、東京から来ました。です」
が頭を下げると、後ろにいてなにやら騒いでいた人達がの方に視線が集まった。
「あらあら。わざわざ大阪まで何しに来はったん?」
細身で眼鏡をかけたで独特な口調の人がに尋ねると、の代わりに金太郎が口をはさむ。
「は、テニスしに来たんやんな!」
「テニス?あんた、テニス部なんか?」
「はい。といっても今は、マネージャーやってます」
「へー…それで?どこに行くつもりやったんや。その地図、見してみ」
「あ、ここです。こちらの学校に練習試合の挨拶に伺おうと…」
本来の目的を思い出したは、包帯を巻いた彼に手に持っていた地図を見せる。
「ぁあ、この道をまっすぐ行って右に曲がったらもう着くで」
「本当ですか?!ありがとうございます!」
「ほな、俺がそこまで送って…」
「アカン!!」
「なにがや?どないしてん。金ちゃん」
「は、今からわいとテニスするんや!」
「「はぁ?!」」
を含めた全員が、金太郎の言葉に驚く。どうやらさっき言ってたことは本気だったようだとは悟る。
「な、何言うてんねん!迷惑やろ!金ちゃん!」
「わいだけ試合してへんもん!」
「せやから、今日は二年と三年のフォーメーション調整する練習試合やったからやなー」
「わい、にテニス教えたるって言うたもん」
「ええ加減にしいや!金ちゃん!」
「いやや!!」
「どないすんねん…白石」
金髪の彼が包帯の彼に困った様な表情でこそっと耳打ちをする。
「はぁ…」
「いいですよ」
「「え?」」
金太郎が駄々をこねて困っていた彼らに、がそういうと金太郎以外の皆が驚いた表情でを見た。
「ほんまか?!」
「でも、今日はもう時間がないから今度でいいかな?」
「ええで!とテニスやー!!」
「ちょい待ち!あんた、大丈夫なんか?!」
「へ?」
「命にかかわるで…」
ブリーチのかかった茶髪の彼が恐ろしそうにそう呟いた。
「え?」
「金太郎はんの打つボールは、ごっついからなぁ」
「でも、本人がええ言うてるんやからええんとちゃいます?」
ピアスとつけた黒髪の少年がさらりと言ってのけた。
「(命?!ちょっと待って…!金太郎君って一体どんな球打つの?!)」
「アカン!やっぱ女の子にそんな危ないことはさせられへん。金ちゃんには、ちゃんと言い聞かせるとして…ちゃんやっけ?」
「あ、はい」
「とりあえず、すんませんでした!」
遠山君以外の全員が顔を見合わせて、に頭を下げた。
「うえっ?!」
「白石ー!ええやろー!とテニスー!」
「アカン!」
金太郎は不機嫌そうにずっと駄々をこねていたが、その間にもは皆に目的の学校まで送ってもらいその場を別れた。
「へー。そんなことがあったんだ」
「うん」
その夜、合宿部屋でに金太郎達と出会った話をする。
「ふーん…でもなら部長や顧問に言えば、いくらでも自由時間とれるんじゃない?」
「何言ってんの。手伝うなら、ちゃんと最後までやり遂げるわよ」
「本当には真面目よね」
「そうかな?」
「うん。でも、そういうところ好きよ」
「ありがとう」
なんて冗談をいいつつと話をしていると、ふと部屋の時計を見る。
「あ。電話しなきゃ」
「ぁあ、あいつか…じゃあ、私は先に寝るか」
が布団に入るのを見たは、携帯を取り出そうとするものの…。
「…ない」
「なにが?」
「携帯がない!!」
「ええ!」
はガバリと起き上がり布団から出る。
「なんで?!どうして?え?!」と、が動揺して混乱しているとがごそごそと自身の鞄を探る。
「ど、どうしよう…」
「とりあえず私がの携帯に掛けてみよっか?」
「う、うん。ごめん」
「いいよ」
が私の携帯に電話をかけてみると部屋はすごく静かだ。
「やっぱ落としたのかな?」
「鳴ってはいるみたいだけど…あ。繋がった」
「うそ!?」
「!自分で出なさい!はい!」
は、の携帯につながった自分の携帯を手渡す。
「う、うん!もしもし?!」
『よっしゃーあ!やっぱやー!』
「え?その声は…」
『金ちゃん、その電話貸し!』
『いやや!白石!わいが見つけてんで!』
『パチッたの間違いやなかと?』
『千歳ー!わい、そんなことしてへんでー!』
『ええから貸し!』
どこかの家でお泊まり会でもしているのか…。
今日のお昼に聞いたばかりの人達の声とテンションに圧倒されていると、おそらく白石が皆がいる部屋から出たのであろう。ドアが閉まる音が微かに聞こえて急に静かになった。
『もしもし?ちゃんか?』
「あ、はい。白石さんですよね?」
『この携帯な、金ちゃんの鞄に引っ掛かっとったんや』
「…え?!」
『もしかして金ちゃんに振りまわされたんちゃうか?』
「……」
は金太郎との出来事を思い出す。 そういえば、腕を引っ張られてたまま走りまわってあっちこっちの店に入ったり、ぐるぐると体を回転させられたり…。
「(どうしよう。金太郎君をフォローをしようにも思い当たる節がありすぎる!)」
あれだけ派手に動きまわれば、ポケットに入れていた携帯が落ちても可笑しくない。
『すまんなぁ…』
白石は疲れたように深いため息をついてそう言った。
「い、いえ」
『それでやねんけど取りにこれるか?』
「はい。明日、時間を作って…」
「!明日は練習試合だよ!」
「あ、そうか!」
の言葉で流石に相手校に挨拶にいった自分が居ないのはまずい。
それに抜けだそうにも、いつ時間が作れるかわからない。
「すいません。明後日まで持っててくれますか?」
『ええで。せやったら…』
白石に時間と場所を設定され、携帯を取りに伺う約束をした。
「ありがとうございます。はい、おやすみなさい」
ピッとの携帯の通話終了ボタンを押して、はほっと胸をなでおろす。
「よかったね」
「うん!でも…」
「なに?」
「リョーマと電話が出来ない!」
「寝ろ!」
「えー!ねぇ、、一生のお願いがあるんだけど…」
「あいつの為だっていうんなら、貸さないわよ」
「そこをなんとか!」
「そもそも私、あいつの連絡先なんて登録してないもの。番号覚えてるの?」
「はっ!そうだった!」
確かにから携帯電話を借りたところで、リョーマの携帯の電話番号を正確に覚えていなければ意味がない。
人の記憶とは、なんと曖昧なものなのだろかとは頭をかかえる。
「そんなにしたいなら、合宿所の電話でも借りて越前の自宅にかければ?それなら覚えてるでしょ」
「消灯時間とっくに過ぎてるのに、こんな個人的なことで借りるわけにいかないでしょ!それに倫子さんたちにも迷惑かかっちゃうよ」
「じゃあ、諦めることね」
「助けてよ!ー!」
「番号覚えてないなら仕方ないじゃない。おやすみ」
は頬を膨らませるものの、仕方がないと諦めたようにため息をつき布団に入り眠りについた。
そして、本日がいよいよ合宿四日目。
携帯がないためリョーマと連絡が取れなくなって丸二日と半日が経っていた。
連絡をどうにかして取ろうにも、わざわざ電話を借りる時間なんてあるはずがない。
「(まぁ、私もそこまで忠実な性格じゃないけど…)」
リョーマは、以上にこういうことに関しては絶対にめんどくさがるタイプだ。 だから絶対にどちらかが、連絡を取らないと合宿の期間中、一週間丸々お互いに連絡を取らないなんてことがいとも簡単に起こりうるだろう。
別にリョーマを信用していないわけじゃない。ただ…。
「(声が聞きたいだけなんだけどなぁ…)」
自分に自信がないから、不安なんだ。傍に居てくれないと不安で押しつぶされてしまいそうになる。 昨日、練習試合が終わり女子テニス部も落ち着いたとのことで、 部長や顧問の計らいで、今日一日暇を貰ったは、携帯を届けてもらうために白石を待っていた。
「ー!!」
「え?」
時計を確認していると、聞きなれた元気な声に反応する。
「テニスしようや!テニス!」
「え、えぇ?!」
元気に走り抜けてきた金太郎は、の腕を引っ張る。 が驚いていると金太郎を追いかけてきた白石が金太郎を後ろから引っ張り、から引き離す。
「待ち!金ちゃん!」
「あ。白石さん!」
「ホンマは、一人で来るつもりやってんけど…」
「白石一人なんてズルイわ!」
「携帯返すだけや!」
「ユウ君。蔵りんああ言ってるけど、どう思う?」
「絶対、それだけで終わるわけないよなー。小春」
「先輩ら悪趣味っすね」
「そういうお前もついて来てるやないか!財前!」
相変わらず繰り広げられる会話は、コントでも見ているかのようだ。しかしはそんなコントを見にきたのではない。
「あの、とりあえず、携帯を…」
「ああ!せや!せや!」
そう言い、思いだしたように白石が制服のポケットからの携帯を取り出した。
「ありがとうございます!」
「いや、もとは金ちゃんのせいやからな」
は、やっと手元に携帯が返ってきたことに安堵すると、騒いでいた皆がの方を見る。
「な、なんですか?」
「やっぱ彼氏君と電話取れへんかったんが寂しかったんやろ?」
「…はぁ?!」
小春と呼ばれていた彼がにそう尋ねる。
「なんや、違うんか?」
すぐ隣にいたユウジと呼ばれていた彼もまるでのことを見透かしているかのようにそう言う。
「あのっ!な、なんで?」
まるでここ二日間のの考えが読まれていたようだ…。
「え?だって、な~…小春」
「その待ちうけとちゃんの反応見たら、誰でもそう思うやんなぁ。ユウ君」
「待ちうけ?…はっ!」
しまった!そういえばそうだった!とは自身の携帯を見て思い出す。
「。携帯貸してみろよ」
「別にいいけど…何で?」
この合宿に出かける前日、が部室で日誌を書いていると桃城にそう言われ、懸念しつつも携帯を差し出す。
「なにしてんの?」
「いいから、いいから」
桃城は、自分の携帯を左手にもちつつ、の携帯を右手で持ちながら、なにやら楽しそうな表情で二つ同時に携帯を弄っている。
「ほらよ」
なにやら操作をし終えたらしい桃城は、携帯をに返す。
「よく撮れてっから、お前にやるよ」
「なにが?」
「ついでに、越前のやつにも送ってやるか」
そういって桃城は、足軽に部室を出た。
「?」
は、一度ペンを机に置いて携帯を開く。
「なっ!」
すると、いつの間に撮ったのやら…おそらくさっき桃城は自分の携帯で撮った写真をの携帯へ送っていたのだろう。 その証拠に、の携帯の待ち受けが、自分とリョーマの写真に変わっていた。
この写真だけ見えば、テニスコートで座り込んだリョーマがを抱きしめてくれているように見えるが… 実際は、テニスコートの入口ドアでテニスボールに躓いて、こけそうになったが目の前で素振りをしていたリョーマを巻き込んで押し倒してしまった時の写真だ。
「もう!桃ったら!」
「ちゃん、ちょっといいかな?」
「あ!はい!大石部長!」
その直後で、大石に呼ばれて今の今まで待ち受けを変更するのを忘れてしまっていた…。
「……」
「ちゃん?」
しかし、こうしてこんな写真を見てしまうとだんだんと思い返してしまい、愛しさが積もってくる。 リョーマに会いたい、声が聞きたいという気持ちがあふれてきては思わず涙が出そうになる。
「す、すいません!」
自分でもこんな弱い自分がいることを知ったのは、初めてだった。
「電話、してみたらええんとちゃうの?」
「え?で、でも、今はきっと部活が…って、あなた達も部活じゃないんですか?!」
「俺らのことはええねん!」
「白石が部活こっそり抜け出そうとしとったんやけど…」
「こっちの方が面白そうばい」
千歳と呼ばれていた背の高い彼が、にっこりとした笑顔でを見る。
「わい、まだとテニスしてへんで!」
「金ちゃん、それは諦め言うたやろ!」
「いーやーや!約束したもん!」
金太郎が駄々をこね始めると、小春さんがそっとに耳打ちをする。
「きっと彼氏君もあんたの電話、待ってるんとちゃうの?」
「え?」
「電話してあげた方がええんとちゃう?」
「あ、はい。だから今晩…」
「もう!なに悠長なこと言うてるの!今すぐ掛けてあげな!ほら、携帯貸してみ!」
「わ、わかりました!掛けます!今すぐに!!」
「わかればいいのよ」
の背後で金太郎が騒いでいるのを皆がなだめているのを他所に、 小春に背中を押されて電話帳を開き緊張した指でリョーマに電話をかける。
「(部活前だし、出るわけないよね…)」
ツーツー…プッ
『?』
「えっ」
電話がつながってしまった…!まさか通じるとは思わず、心の準備が出来てなかったのに!
予想外の出来ごとには動揺が隠せずにいる。
は少しだけ携帯を耳から離して二、三回深呼吸をしてゆっくりと口を開いた。
「えっと、リョーマ…今、部活前だよね?」
『そうだけど。なに?』
「あ、え、えーっと特に用はないんだけど…あの、ごめんね!今まで連絡できなくて」
『…別に』
「携帯、落としちゃってたの」
『は?』
「だから私、携帯を道に落としちゃって…。今日、届けて貰ったんだ」
『……』
「リョーマ?」
携帯から最初の不機嫌そうな口調とは一変して、 微かだがクスクスと笑うリョーマの声がに聞こえたと思うと、暫くしていつもの生意気そうなアルト声が聞こえた。
『ドジ』
「うぐっ…。悔しけど言い返せないー!」
目には見えないものの声のトーンから、リョーマの悪戯に微笑む表情が目に浮かんでしまう。
『心配して損したじゃん』
「心配してくれたの?」
『まぁ…。多少はね』
「ごめんね。今夜はちゃんと電話するよ」
『いい。俺がする』
「え?」
『待ってばかりなんて症にあわないんだよね』
「リョーマ…」
『じゃ、切るよ』
「うん。部活頑張って」
そう言い、途切れた会話と声。だけどたったあれだけの会話なのにすごく嬉しくなる。 こんな簡単に自分の不安を取り払ってしまう。離れていても、やっぱりリョーマは凄いとは心の中で思う。
「ー!ええやろ!わいとテニスー!」
金太郎はそう言い、の腕に手を絡める。
「…うん。やろう!」
「「え?!」」
周囲に居た皆が驚いて金太郎からへと視線を返る。
「ホンマか?!」
「今からやろう!」
「よっしゃー!」
「自分、本気か?!前にも言うたけど、金ちゃんは…」
「大丈夫です。私、反射神経はいいのでヤバくなったら逃げますから」
謙也さんの言葉を遮って、は笑顔で答える。
これほどまでに自分とテニスをしたいと言ってくれてるのだから、やれるだけやってみようとは思う。
「どこでやるの?」
「すぐそこにコートあるでー!」
金太郎は、の握り、嬉しそうな表情をして走りだした。