10話 試合観戦
「ちゃん。これ、スタンドからビデオ撮ってくれる?」
「はい!」
「サンプルで使うだけだから…そうね。二回分だけでいいわ」
「わかりました!」
監督の提案で、ベスト8が決まる県大。浦和総合と武蔵野第一の試合を見に来た私達。 私は監督からビデオを手渡され、皆とは反対側の一塁側のスタンドの方角へと走る。
「さぁ、その間に皆は4回以降の試合展開を予想して貰います!」
準備された懸賞のプロテインを並べ、試合のスコア予想大会の説明が始まった。
「(おいしいプロテイン、普通のプロテイン、まずいプロテインとスコアのいい人から順に一ヶ月分プレゼントするって言ってたけど…まずいプロテインって、そんなにまずいのかな?)」
監督に言われて用意したのは私だけど…。と少し皆のことを気に掛けながらも私は、 どこらへんがいいかな…とビデオを撮る場所を探そうときょろきょろ辺りを見渡していた。
するとそんな時、ドン!と後ろから誰かがぶつかってきて、ふらりと私の体が前に揺れる。
「きゃっ!(やば…!ビデオ落としちゃう!)」
監督から借りたビデオが手からこぼれ落ちそうになった瞬間、 見知らぬ手が落ちかけたビデオを覆うように私の手を掴んだ。
「おっと…セーフ、だよな」
「あ…」
制服を着ていて、高い身長。整った容姿。
どこかで見覚えが…。と私が呆けていると、心配そうな表情で私を見る。
「大丈夫か?」
「あ。はい!すみません。ありがとうございます!」
「いや、今のはこいつが悪い」
「えー!俺っスか?!」
「お前がぼーっと歩いてたからだろ、利央」
「…すんません」
かわいらしい顔をした彼は申し訳なさそうに頭をさげる。
「い、いえいえ!私もビデオをとる場所を探してて前見てなかったので!」
「ビデオ?あんた、どっかの野球部の関係者?」
「あ、はい。マネージャーやってます」
「偵察?」
「いえ、今回はサンプル用で…あ。テスト撮影みたいなものです」
「あー、なるほどな。じゃあ、俺らのところくるか?よく見えるぞ」
「(俺ら…?)いいんですか?」
「もう一人いるけどな」
明るい笑顔につられて、彼と同じ制服を着た男の人が一人座っている場所へと誘われた。
「(やっぱどこかで見たことあるんだけどなー…)」
「準太!おせーぞ!」
「すみません!和さん!」
こっちだ。と私に言い、“和さん”と呼んでガタイの良い男の人の隣に座る。
「ん?その子は…?」
「準さんがナンパに成功した子」
「あ?!」
「ちげーだろ!利央がぶつかったんすよ。そんで、聞いたらビデオ撮るってん言うんでお詫びっス。ここからなら見やすいだろうし」
「なんだ。そうだったのか。びっくりさせんなよ」
「す、すみません。私なんかがお邪魔しちゃって…」
「いや。どうぞ」
と言って立ちあがり、席へと誘導してくれる。すごく律儀だ…。
うちとは少し違う感じもするけど、野球部の人…だよね。皆こんな感じなのかな?
「そうだ。あんた、名前は?」
「あ。です」
「へー、じゃあな。一年生?」
「はい!えっと…」
「ん。あー、悪い。名乗ってなかったな。俺は、準太。んで、お前にぶつかったのが利央で、こっちが和さん」
「よろしくお願いします!」
「今日は俺ら、あいつの球を見に来たんだ」
「あいつ…」
指を指した方向は武蔵野第一の背番号10番。榛名元季さんだ。
そういえば、すごい投手がいるって言ってたっけ。
「あ。そうだ、ビデオビデオ」
と撮影の準備をしていると、準太さんが「貸してみな」といい、ピントが合うように設定をしてくれた。
「ほら」
「あ。ありがとうございます!準太さんって良い人ですね!」
「あ?!」
「あはは!騙されちゃだめだぞ。こいつに一体何人の女子が泣かされたか」
「人聞きわるいこと言わないでくださいよ!和さん!」
「あ。でもモテるの分かる気がします!格好いいですもんね!」
「っー!お前も、さっきからストレート過ぎんだよ!」
「わわっ」
照れ隠しの様に、ガシガシと私の頭を準太さんの手が覆うように撫で回された。
「ねぇ、ちゃん遅くない?こっち戻ってこないのかな?」
「あ?あー。もうすぐ四回終わりか」
水谷と花井が何気なくそんな話をしていると、自前のオペラグラスでスタンドを覗いていた篠岡が「あ」っと声を漏らした。
「あれ、ちゃんじゃないかな?桐青の制服着た人達と一緒に座ってるのって…」
「「はぁ?!」」
その言葉で、全員が篠岡の方に視線を移す。
「仲よさそうだけど、知り合いかな?」
「篠岡!それ貸して!」
「あ、田島君?うん。いいよ」
「はい」と篠岡が田島の手にオペラグラスを渡そうとした瞬間、バッと横から手が伸び、オペラグラスを奪い取られる。
「ああー!」
「い、泉君?!」
田島に渡そうとしていた篠岡の手からオペラグラスを奪い、泉は先程、篠岡が見ていた視線の先に目を向ける。
「泉ー!俺が先だぞ!順番守れよー!」
「うっせー!あとで聞く!」
「おい!」
田島の言葉を無視して、オペラグラスでの方を見ながら呟く。
「…知り合い、じゃねぇな。ん?なんだ。あいつ、また、二、三…五?!」
泉がオペラグラス越しに見ていると、の頭や髪に、桐青の制服を着た男が手を触れている光景が広がっていた。
なんだこの光景…と思い、ちらりと辺りを見渡すと桐青の人物は一人ではなく三名程いて、おそらく偵察かなにかだろう。
桐青のレギュラー陣のようだが、全く見覚えのない人物もいる。
篠岡の言うように、これだけ見ていればと桐青の奴らが一見仲が良いように見えるが、に桐青に知り合いがいるなんて聞いたこともない。
あまりの衝撃で思わず桐青の人がに触れた数を無意識にカウントしていた泉だったが、そんな泉を見て田島が首をかしげた。
「篠岡…。泉が見てんのってだろ?」
「う、うん。多分」
「じゃあ一体何の数、数えてんだろうな」
「さ、さぁ…」
篠岡と田島がそんな会話をしながら泉を見ていたら、泉が肩を震わせながら、オペラグラスを握る手の力がどんどん強くなっていることに気付く。
泉がオペラグラスを握っていた部分から、ギリッという嫌な音が出たその瞬間。
「あいつ…好き勝手触ってんじゃねーぞ!ぼけ!!」
「「っ!!」」
声を掛けようとしていた田島だけでなく周囲の部員たちも、突然叫んだ泉の声に驚いたように肩をビクつかせた。
「泉の方が声でけーよ…」
びっくりしたー…と田島と篠岡が体を後ろに引いた。
オペラグラスを外し、「だめだ!我慢ならねぇ!」というと、田島にオペラグラスを押しつけ、百枝の方に近づく。
「監督!!」
「え?!あ、なに?泉君」
泉の勢いに驚いたように百枝は肩をびくつかせた。
「ビデオって二回分の録画があればいいんスよね」
「え?ええ。そうだけど」
「了解!!」
「お、おい、泉。何する気だ?」
「ああ?撮り終わってんなら、あそこいる意味ねぇだろ」
花井からの質問に対して、いまいち答えになっていない回答をしながら、泉はピッピと携帯のボタンを押し、耳に携帯を当てる。
プッと繋がった音がすると、すう…と息を飲んだ後、吐き出すように言葉を発した。
「何やってんだ!この馬鹿!!!」
「「っ!!」」
周囲の部員全員が思わず耳を塞いだ。
「二回分撮れたんだろ?…おお。なら、さっさと戻ってこい。今すぐそこから離れろ。ダッシュしろ。おせーって監督が怒ってんぞ」
「いや、お前だよ。怒ってんのは」
泉は携帯を握ったまま、ドガ!と水谷を足で蹴り上げた。
「やばい…。戻らなきゃ」
「呼び出しか?」
「あ、はい。撮れたら、すぐ戻って来いって」
「そっか、悪い。呼び止めちまってたな」
「いえ!私も楽しかったですから!ありがとうございました!」
「おう!またどっかで会おうなー」
「わわっ!は、はい!」
またしても、ガシガシと準太さんに両手で頭を撫でられた。
それじゃあ…と頭を下げて、私はその場を後にして走り出した。
「準太。お前、えらく気にいってたな」
「一年ですし、ああいう素直な奴はからかうの面白くって」
「学校聞いとけばよかったな」
「あ。忘れてましたね」
まぁ、どこかの学校の野球部のマネージャーなら、またどっかで会えるだろう。と思い、準太は喉で小さく笑った。
「すいません!遅くなりました!」
「ううん。大丈夫だよ。…うん。OK、完璧。ありがとう」
監督から借りたビデオを手渡すと、監督は映像をみてすぐにチェックを終える。
「あと悪いんだけど、フォローしてあげてくれない?」
「え?」
「あの様子じゃ、集中できないだろうし」
といって監督が指差した方を見ると、じっとこちらを睨んでいる孝ちゃんが目に入った。
「(そういえば、電話口でも怒ってたっけ…)」
なんでだろうと思いつつも私は恐る恐る孝ちゃんの方に近づく。
「えっと…孝ちゃん…?」
「…なにやってた?」
「ビデオ撮影だけど」
「それ以外は?」
「それ以外?特になにも…。あ。そうそう!さっき他の学校の人とぶつかっちゃったんだけど、すっごい良い人達でね!ビデオ撮影、助けてもらっ、た…って、孝ちゃん?」
なにかを言いたげに肩を震わせている孝ちゃんを覗き込むと、ガシッと頭を掴まれる。
「わっ!ちょ、孝ちゃん!!何?!」
「さっき会ったばっかの奴らと、何したらそんなに親しげになるんだよ!お前は!」
ガシガシと両手で頭を掴まれた私は、ぐるんぐるんと目が回る。
「簡単に触らせてんじゃねーぞ!バーカ!」
今日はやけに頭を鷲掴まれる日らしい。
そんなことを思いながら私が髪を整えていると、ふと、思い出した出来事に顔を上げる。
「う…え?っていうか孝ちゃん、なんで私が他の人とスタンドで話してたの知ってるの?」
「…」
孝ちゃんが言いたくなさそうに私から目を逸らすと、代わりに田島君が声を発した。
「篠岡が、オペラグラス持ってたんだよ」
「え?」
「だから見えたんだ。が桐青の奴らと話してるの」
「桐青…?ああー!そっか!桐青の人達だったんだ!どこか見覚えあるなーって思ってたんだー!」
私が手を叩くと、黙っていたはずの孝ちゃんが「ちょっと待て」と声をあげる。
「お前、桐青だって知らずに話してたのか?」
「うん!だってたまたま会っただけだもの。顔や制服まで私、流石に覚えてないよ」
「それでよくあんなにべたべた…。くっそ。まじで頭痛くなってきた」
とそう言って頭を抱える孝ちゃんに、「ご、ごめん。私が知らない人と話してたから心配してくれたんだよね?」と私が孝ちゃんの顔を覗き込むと、ガシッと腕を掴まれた。
「お、重い…。孝ちゃん…」
「動くな」
「…はい」
私の肩にもたれ掛かり、全体重を私に預けて足を伸ばしながら観戦を続ける孝ちゃん。 文句など言えるはずもなく、じっと耐えつつ私も観戦を続けた。