12話 距離の違和感
「もう一人投手が欲しい」
阿部君のこの言葉から始まり、部内は一人づつ二役以上のポジションをこなす方向へと決まった。
「!見てて!花井の球、俺が捕るからさ!」
キャッチャーをやることになった防具を身に着けた悠君の言葉で、 作業を一旦手を止めて私が監督の隣に立つと、花井君は、見られるのが嫌なのか少し恥ずかしそうな表情をして文句を言う。
「いちいちまで呼ぶなよ!田島!」
「いいじゃん!に見てもらった方がやる気出るって!」
「それは俺じゃなくて、お前が、だろ!」
そう言いながら、花井君は足を引いて大きく腕を振り上げた。
ボールは少し変化して、見事に悠君のミットに収まる。
「すげー!曲がった!」
私も「二人とも凄い!」とパチパチと手を叩くと、 「いいよ!まで!」と花井君は照れたように声を上げる。
「くっそ、やっぱ三橋の奴すげーな」
「思ったところに全然いかないよね」
と花井君と一緒に、ピッチャーをやることになった沖君も難しそうな表情を浮かべて話している。
これ以上は邪魔しちゃいけないなと思い、「がんばってね」と手を振ってその場を去ろうとすると、 悠君の「えー!もうちょっと見て行ってよー!」という声が聞こえてくる。
そんな悠君を宥めるように花井君が「も仕事あるんだから邪魔すんな!」という大きな声と共に、ボールがミットに収まる音が響いていた。
「!牛乳もっと!ほら、三橋も飲め!」
「うう…うぇ…」
「あはは!二人とも大丈夫?」
部活の最後に、先日行われたスコア予想の結果が発表され、見事にまずいプロテインには悠君と三橋君、 そして武蔵野の投手を低評価しすぎたとのことで阿部の三名になった。
まずいプロテインを必死で飲む悠君と三橋君をフォローするように私も牛乳を差し出す。
「阿部君もいる?」と尋ねると、阿部君は小さく「…わりぃ」と答えると口元を押さえながら私から受け取った。
「すっげー積極的だよね。田島は」
「え?ああ、あれね。隠す気ゼロだもんなー。なんだかんだ理由付けて、ちゃんのこと離さないし」
少し離れてまずいプロテインに苦戦している部員たちの様子を見ていた栄口だったが、思わずホロリと出てしまった感想をそのまま呟いてしまった。
最初は、なんのことか分からなかった水谷だったが、田島との様子を見ていて栄口の言いたいことを瞬時に理解する。
「あっちはあっちで分かりやすいけどさ」
「気付いてないのちゃんだけだしね」
栄口と水谷はそんな会話をしながら田島から少し横に視線をずらして隣に居る人物へと焦点をあてる。
「もうー!孝ちゃん、私で遊ばないでよー!」と言うの頭上には、プロテインを飲んだ後のコップが置かれている。
「俺も追加」
といって泉は、の頭にコップを乗せ、の頭にぐいぐいと押し付けている。
コップを取ろうにも、泉の力の方がより勝っており、はコップを取ることが出来ずに手をジタバタとさせている。
明らかに泉が楽しんでいるのが傍から見ていても分かる。
「ぶっちゃけ、あいつらの関係ってどうなってんの?」
「水谷の言う“あいつら”って言うのは、どっちのことよ」
「そりゃ、あっちでしょ。ちゃんの反応が最近になって可笑しいのは」
「あ。やっぱり水谷もそう思う?」
その対象人物が分かるように視線を送る水谷に、栄口もその視線の先を見ていう。
「思うよ。ってかちゃん、分かりやすいもん」
「俺はさ、泉がちゃんに告ったんじゃないかって思ってるんだけど」
「えー。それじゃあ、返答待ちってこと?つか、告った相手に、あんなこと平気で出来るもんなの?ちゃんはともかく、泉が普通すぎない?」
「…うわ。それ、俺、考えただけでお腹痛くなるわ」
「だろ?それにあいつら行き帰りも一緒じゃん。むしろ、付き合ってんじゃねぇの?」
「うーん。付き合ってたら泉が田島に言ってそうだし、それはない気がするよ」
「確かに。じゃあ、なんだ?あの二人の違和感は」
「「うーん…」」
水谷と栄口が悩ましげに腕を組んだところで、「集合ー!」という監督の言葉で、ピタリと皆が会話をやめる。
本来なら、これで終わりを告げるいつもの挨拶に入るのだが…。
今回は野球部キャプテンを決めるということで、議題が上がり、満場一致でキャプテンは花井。副キャプテンには、阿部と栄口が指名された。
「泉」
いつもと何ら変わりない騒がしい部室だった。
着替えて帰ろうと支度をしている時、田島から掛けられた声に「なに」と泉が返すと突拍子もない質問に部員全員の会話がピタリと止まった。
「のこと襲った?」
「ぶっ!はぁ?!!」
泉だけでなく、田島の声が聞こえていた部員たちも思わず吹き出しそうになるのを必死でこらえていた。
「だって最近、めちゃくちゃ可愛いもん。まぁ、前から可愛いんだけどさ」
「そこから何で俺が襲ったことになるんだよ!」
「ちげーの?だって、泉が触ると赤くなってるし。前はあんな反応しなかったのに」
「ちげー…!」
ちげーよ!と返そうとしたものの、襲ってこそいないものの正直、思い当たる節がありすぎて思わず喉を詰まらせてしまった。
すると、そんな田島と泉の会話を聞いていた周りの部員たちが我慢しきれずに泉に詰め寄った。
「いや、ちゃんと否定しろよ!」
「むしろ否定してくれ!」
「はぁ?!」
自分より背の高い花井や巣山にまで詰め寄られ、咄嗟に泉は身を後ろに逸らす。
「(なんかあったのは俺たちも分かってるけどねー…)」
「(それ本人に聞いちゃう田島もすげーな)」
そんな泉たちの様子をみていた栄口と水谷は心の中で思う。
「っー!馬鹿!襲ってねーよ!」
「じゃあ、なんで言葉詰まらせた?!」
「思い当たる節でもあるんじゃねーの」
花井の問いかけに、なぜか田島が的を得た答えを返す。
目を逸らしながら泉は、息を吐いた。
「…なんにもしてねーって」
「本当だな?!!まじで頼むぜ!泉!」
「なんで花井がそんなに必死なんだよ」
「いや、だってさ。お前らが幼馴染で仲良いのは知ってっけど、は女の子なわけだし、部内でなんかあるとが気まずいだろ」
「(花井はあいつの親かよ…)」
泉は心の中でツッコミを入れる。
「でも何もないならいいんだ。つか、お前ら行き帰り一緒だろ?ぶっちゃけ泉と一緒に居てくれるの知ってる分、こっちからしたら部活帰りは遅いし安心できるんだよなぁ。篠岡も家遠いから早く帰らせられるしな」と言う花井対して、 少し罪悪感を感じながらも泉は「なにもねぇよ」と言って平然を装う。
田島の方をちらりと見ると、「ふーん。そか。何もねぇんだ」と言葉は納得したような言い方をしているが、明らかに疑いの目を向けられているのが分かる。
「(…田島の奴、よく見てんなぁ)」
そういえばあまり周りは気にせずに触れていた気がする。 が分かりやすいことも忘れていた。少し控えるか。と泉は心の中で結論を出し、 他の部員達より先に着替えを終えて部室を出る。
すると「孝ちゃん!」と待っていたように自分の方に掛け寄ってきたが目に入る。
「…」
部室での田島達との会話を思い出した泉は、ぽんと軽くの頭に片手を乗せた。
「な、なに?」
と言って首を傾げつつも、少しだけ頬を明らめるの反応に思わず口元が緩み、泉は手で口元を隠す。
嬉しさと愛おしさが込みあげてくる。
「(こりゃ止められそうにねぇな…)」
先程出した結論を簡単に覆してしまった自分の甘さを感じると同時に、参ったと降伏にも似た感情を覚える。
泉は息をつき、の耳元で小さく呟く。
「俺、やっぱめちゃくちゃ好きだわ」
「え?」
「お前のことだよ」
一瞬、目をぱちくりとさせて驚いた表情を見せただったが、 頬が一気に熱くなるのを自身でも感じたのか、手で頬を覆い、慌てて泉から距離を取る。
「おー、逃げんなよ」
「ちがっ…!孝ちゃん、突拍子もなく言うからびっくりしただけ!」
「言っとくけど、避けんじゃねーぞ。傷つくからな」
そういう泉の言葉に、は、ぶんぶんと首を横に振り「避けてない!」と言った後、なにか言いたそうにパクパクと口を開く。
「なんだよ」
「あ…いや…その…むしろ、嬉しいよ…って言いたくて…」
まじで何なんだこの反応の良さは。俺は一体なにかを試されているのかと疑いたくなるほどの高揚感が生まれる。 抱きしめてしまいたい衝動を必死で抑え、「帰るぞ!」とだけ言い放ち、の手を引いた。