17話 抽選会場


「やったー!赤点回避ー!」
「お前、元々そんなに悪くねぇだろ」
「ん?そんなことないよ。数学とか今回、阿部君に教えて貰わなかったらやばかった…」

テストも終わり、野球部全員が勉強会のおかげもあり赤点を回避できた。
教室で返ってきたテストを手にしながら、孝ちゃんと話をしていると私が阿部君の名前を出すと、 孝ちゃんがピクリと反応して少し眉間にしわを寄せる。

「阿部、なぁ…」
「阿部君といえば、最近ちょっと変だよね」
「え?なにが」
「変だよ。だってね。この前、廊下ですれ違ったから声掛けたんだけど、"急に声掛けんな!"って怒鳴られた…」
「…なんだそりゃ」
「あとお勉強教えて貰ったお礼にクッキー渡すって話したでしょ?」
「あー、材料買いに行くとか言ってたな。それで?」
「今度、孝ちゃんにも作るね。あ。えっと、それでね、昨日阿部君に渡しに行ったら、すっごい睨まれた。受け取ってくれたけど」
「へー…(阿部の奴…空回ってんのか知んねぇけど、小学生の餓鬼かよ…)」
「私、阿部君に何かしたかな?絶対、前より暴力的だよ。レン君、大丈夫なのかな」
「(まぁ、そんなんでこいつが気付くわけねぇけど)」

孝ちゃんは息を吐き、私の頭に手を置く。

「大丈夫だって。阿部が機嫌悪いのはいつものことだろ」
「うーん…。それもそっか。なんかイライラしてたのかな?あ。じゃあ今度ハーブティー作ってあげようかな。皆にも飲んで欲しいし!」
「おー、いいんじゃねぇの。まぁ、味なんて分からねぇ野郎ばっかだろうけどな」
「えー!それじゃあ、効果ないのかなぁ?」
「(まじでこういう時、鈍いと助かんなぁ…)」

私は、孝ちゃんにからかわれるようにぐしゃぐしゃと頭を撫でられる。
それが恥ずかしくもあり、嬉しくもあるから困ってしまう。

「お二人さーん…イチャつくなら他所でやってくれる?教室なんですけどー」
「「わっ!」」

横から声を掛けられ、思わず孝ちゃんと私が同時に体を後ろに引く。

!」
「委員会。呼びに来た」
「あ。そうだった!ごめん!孝ちゃん!行ってくる!」
「おう」

同じクラスメイトで親友のに連れられ、保健委員の集まりへと向かう。

「あんた達、相変わらず仲良いわね」
「え?ま、まぁ…悪くはないよ」
「あれ?いつもの奴言わないの?」
「いつものって?」
「“幼馴染みだから”っていうあんたのお得意の台詞」
「えっ。あー、うん。今は言えない、かなぁ」
「…へー、へー!」
「な、なに?」

は、ニヤニヤと面白そうに私の顔をのぞき込む。

「いやいやいや。そう。あんたがねー!あ、そっか。泉君に告白されてたんだっけ?あんた達がいつも通りすぎて忘れてたわ!」
「っ!に相談するんじゃなかった…」
「めちゃくちゃ面白い展開だけど、大丈夫!誰にも言ってないって!」
「当たり前だよ!」
「でも、そっかー。ついにあんたにも人並みの恋が芽生えたか」
「うん?芽生えて…ないよ?」
「…はぁ?!」

私がにそう言うと、 が私の肩を掴んで詰め寄る。

「どういうこと?!」
「だってまだ私、孝ちゃんに返事してないもん」
「え!まだ思わせ振りやってんの?!!」
「思わせ振りって…わかんないだけだよ」
「いや、あんた、泉君のこと好きでしょ!むしろあれで好きじゃないとか詐欺よ!」
まで孝ちゃんみたいなこと言わないでよ!…孝ちゃんは大好きだよ。だけど昔から好きだからこそ、わかんないんだよ」
「ふーん…じゃあ、私が泉君にちょっかい出してもいいわけ?」
「そ、それはだめ!」

咄嗟にそう答えた私には、いたずらな表情を見せる。

「嘘よ、嘘。興味ないもん。ってか、それならあんた答え出てるじゃない」
「え?」
「誰かに捕られるのが嫌なんて感情、ただの幼馴染みに持ち合わせないわよ。妹がお兄ちゃん捕られるのが嫌だっていうなら話は別だけど、そうじゃないでしょ?」
「私、孝ちゃんの妹じゃないよ!」
「突っ込むとこ、そこじゃないっつーの。まぁ、そう思ってるなら、さっさと返事してやりなさいよ」
「え…ええ?!でも…」
「でも…じゃない!あんま勿体ぶってると愛想尽かされるよ」
「!」

の勢いに押されてしまったが…。 確かにの言うとおりだ。
私は、孝ちゃんの好意に甘えすぎてしまっているのかもしれない。 返事は別にいいと言われてはいたが…いつまでもその優しさに甘えてしまうのは良くない気もする。
そして、そんな孝ちゃんの愛情が私以外の女の子に向くのは…いやだ。ものすごく嫌だ。

「あ…」
「え!ちょっと?!何で泣いてんの?!」
「ご、ごめん…。いやだなって思ったら…勝手に涙が…」
「はぁ?」
「孝ちゃんが他の女の子を好きになったら、やだよ」

でもそれが恋なのかと言われれば分からないところがある。 だってずっと好きだったから。その好きがなにかなんて考えたことなかったんだ。
野球している孝ちゃんの姿が好きだった。楽しそうな姿ががただずっと見たいと思った。
実際、自分でやってみるとすごく難しくて、やっぱり孝ちゃんも皆もすごいと思ったわけだが。

「…私、もしかしたら認めたくないだけなのかな」
「え?」
「だってこれが恋だって認めちゃったら、孝ちゃんより私の方が絶対好きだよ?そんなの悔しいよ。幼馴染みとしてもずっと片思いだった自覚あるのに」
「まぁ、あんたの言いたいこと分からなくもないけどね…」

だけど自分の気持ちを少し自覚してしまった。 「どうしよう。前より意識しちゃう…」と呟く私に、 が息を吐く。

「まぁ、それならアピールすることから始めてみる?」
「なに?アピールって」
「ほら。手作りのお弁当を渡したりとか、ボディタッチを増やしてみたりとか。よく女の子が特別な男の子にやるやつ。 そこから始めてみれば素直に男の子として好きだって認めて、言えるようになるかもよ」
「お弁当は…まぁ、なんでも喜んで食べると思うけど。あまり抱きつくと孝ちゃん怒るんだもん」
「はぁ?」
「私、孝ちゃんのこと大好きは大好きだもん。見てると抱きつきたくなっちゃうよ」
「…多分、泉君はあんたからそういう好きを求めてないから怒るんじゃない?」
「え。そうなのかな?」
「そうよ。そもそも、そういうのってさりげなくやるもんでしょ。動物じゃあるまいし、堂々と抱きついてどうする」
「だって…」
「だってじゃない!男の子として意識するって決めたんでしょうが!」
「そんなこと言われても…。さりげなく…?私にできるかな?」

は呆れたように「なんかズレてる気がするけど、まぁ、いいか」と言いながら息を吐いた。


「(結局、孝ちゃんになにもできないまま、ここまで来ちゃった…。アピールとかやっぱりよく分かんないままだし)」
「やっぱ県内では今年もARCがアタマひとつ抜けてるよね」
「そうだな。んで千朶と桐青が続くだろ。公立なら上尾商業と嵐山」

夏の全国高等学校野球選手権埼玉大会、組合せ抽選会場。
ここに来るといよいよ夏が始まる気がする。
そんなところまで来てしまう時期になった。
せっかく、からアドバイスをもらったのに、 孝ちゃんに対してなにも自分の気持ちを返せていない気がして…少し凹んでしまう。

「(でも孝ちゃんが他の女の子に盗られちゃうのはやだー!)」

自分でも我が儘なことを言っているとは分かっているけど、やっぱり孝ちゃんのことは好きだ。 ただまだこれが恋愛感情なのだと自分でも認めるのが怖い。

「聞いてっか?
「へっ?あ、ごめん。聞いてなかった」
「おい。ってかお前、最近どうした?ぼーっとして」

孝ちゃんに顔を覗き込まれ、思わず体温が上がってしまう。

「な、な、なんでもない!」
「嘘吐け」
「あいたっ」

べしと孝ちゃんの手で頭を叩かれる。

「お前の様子が可笑しいことくらいすぐ分かるんだからな」
「うっ…」
「ほら吐け。何があったんだよ」
「そ、その話は、またいつか落ち着いたら私の方から言うのでその時にお願いしたいというか、何というか…」
「…はぁあ?」
「(い、言えない!今は絶対言えない!!)」

腕を組んで怪訝そうな顔で私を見る孝ちゃんから私は目をそらして下を向いた。

「花井の番、そろそろだよ」

栄口君の言葉で、私と孝ちゃんもステージの方に注目する。

「まじでクジ運悪そうだからな」
「大丈夫だよ。皆なら、何処と当たっても勝てるよ。私、夏の大会で皆が勝ったところ早く見たいな」
「「…」」

私がそう言うと聞いていた皆が息を飲み込むように静かになった。

「あ、あれ?私、変なこと言った?」
「い、いやいや!大丈夫!」
「(めちゃくちゃプレッシャーだけど…ちょっと嬉しい、かな)」
「(勝つとこ見せてやりたくなるな…)」

私から目を逸らして黙り込んでしまった栄口君や阿部君達に対して、孝ちゃんが息を吐いた。

「またお前はそういうこと軽々しく…」
「え!私、本当に思ってるよ!」
「だから余計質悪いんだよ」

ガシガシと孝ちゃんに頭を鷲掴まれる。
そんな中、くじを引いた花井君の票が開封されるアナウンスが会場に響き渡る。

「西浦高校、84番!」

その瞬間、会場中にどよめきの声とともに拍手が響き渡った。

「なになに?!」
「こりゃあ、お礼の拍手だな」
「なんのお礼だよ」
「花井が…桐青引いたんだよ!」

悠君にそう言って深く息をついて背もたれにもたれ掛かる孝ちゃんに、 私が声を掛けようとした瞬間、孝ちゃんの頭に手が伸びた。

「弱気はだめ!!」
「イデー!!テテテ!!!」

孝ちゃんの頭を背後から強く掴んだ監督が、鋭い目で部員達を見ている。
初戦の相手となる桐青は、去年の優勝校ということもあって皆が後込みをしていた中、悠君の声が響いた。

「勝てねぇかな?」
「え…」
「だってここまでオレら全勝じゃん。それに、も俺達が勝ってるとこ見たいんだろ?」
「へ?うん」
「ほらな」

私を指さしてそういう悠君に、栄口君や孝ちゃん、そして水谷君も何かを言いたげな表情で顔を青くしている。

「(いやいやいや…!そりゃ、見せてあげたいけどさ!)」
「(どーやったらそう思えんだ…)」
「(脳天気なの?!それともなんか見えてんの?!)」

悠君の質問に答えるように阿部君が口を開く。

「全勝っても、一年しかいねぇ俺らの相手をしてくれるような学校相手に、だからな。どこも一回戦負けレベルで桐青とは格が違いすぎるだろ」
「阿部も弱気か?」
「まさか!きちんと打順を組んで田島を使えば一点くらい取れるだろ。初戦はノーデータ覚悟してたけど、桐青は露出が多いからある程度準備できる」
「(あ、阿部君は、本気、だ…すご…い)」

レン君だけでなく、皆も息を飲んで阿部君の言葉に耳を貸す。

「バッテリーの癖とバッターの癖を分析して、あとは守備で変なミスさせしなければ…こいつが完封してくれる!」
「え…」

阿部君に胸ぐらを捕まれたレン君は目をぱちくりとさせる。

「うん!それでいこう!」
「「(え…えええええ!!)」」

頷く監督に皆が言葉を失った。

「でも今の練習時間のままだとやりたいことやりきる前に夏大が始まっちゃう。知ってる?今の時期、4時半には充分外が明るいって事」
「「(うっ…)」」
「とは言っても、4時半じゃ電車が動いてないから…5時集合にしましょう」
「「…!!」」

監督の言葉に、一瞬にして皆の体温が下がるのが分かる。だけどそれに追い打ちを掛けるように、監督が口を開く。

「夜は片付け含めて9時上がりにしましょう。5時~9時まで守備から攻撃まで、ひと通り回せると思うの」

一緒にがんばりましょう!と笑顔でいう監督に答えるように、「はい!!」と覚悟を決めた部員達の返事をする声が元気に響いた。