22話 現状把握
カキン!!
打ったボールがピッチャーの横を転がり、上手く外野へと抜けて行く。
三塁から見事ホームに帰還するランナー。
「泉、すっげー」
練習試合とはいえ、人ごとのように感心して呟いてしまった自分に、水谷は思わず手で自分の口を塞ぎ、 息を吐いて一塁を蹴った泉に近づく。
「泉、ナイピッチ」
「ん。まぁ、今のはラッキーだけどな。ど真ん中の棒球だった」
そうは言えど、甘く抜けた球は見逃さないあたりは流石泉だと水谷は思う。
――「私、孝ちゃんが野球してたところが見たくて」
水谷は、入部したばかりの頃、そう言っていたの言葉を思い出す。 最初は、いくら幼馴染だからって言ってもずっと見ていたいなんて、その思考にはならないだろ。 と思っていたが、今なら、ちょっとの気持ちが分かるかもしれないなんて考えが水谷の頭をよぎる。
田島が部内でも抜きに出た才能なのは誰が見ても分かることだが、 それでも、きっとを見ていた気持ちにさせて、未だに離さないのはそういうところじゃないのだろう。
「(泉への期待、だよな。多分)」
努力家で負けず嫌いで、我武者羅かと思えば、さらりと平然とした態度で試合では結果を出してしまう。
後から聞くと、めちゃくちゃ冷静で、その思考にも驚く時もある。
スリーアウトチェンジになり、水谷もコーチャーを終えて泉と共にベンチに戻ると、 嬉しそうに「お疲れさま!」と笑顔を向けるが目に入る。
ハイタッチを交わした後ベンチに入る泉に聞こえるよう、わざとに水谷が話を振った。
「ちゃん。泉、恰好よかったよね」
「うん!すっごく恰好よかった!」
笑顔でそう返すの声が泉に聞こえたのか、 隣で、ガタッ!と脱いだヘルメットが地面に落ちる音が鳴った。
あれだけ冷静に打席に立っていた泉とは打って変わって動揺したのが目に見えて分かってしまった水谷は 堪え切れずに、「ぶっ…!ははは!」と吹き出すように笑う。
「孝ちゃん、大丈夫?!」
「…あの野郎」
泉の動揺に気付いていないのは恐らくだけだろう。
泉は脱いだヘルメットをに押し付けて、 腹を抱えて笑う水谷にズカズカと近づき、水谷の胸倉を掴みあげる。
「おいこら。どういうつもりだ…!」
「い、いやいや!俺はちゃんと一緒に思ったこと言っただけじゃん!」
「おい!なに遊んでんだよ!守備いくぞ!」
「ほ、ほら。急ご、泉!」
キャプテンである花井の声で、助かった…!という表情を見せた水谷をひと睨みするも、 泉は乱暴に突き放し、グローブを持ってベンチを出た。
「俺は、良かれと思って言ったのにさー。そんな怒んなくていいじゃんか」
「ざけんな!てめぇは面白がっただけだろ。次やったらぶっ殺すぞ」
今日の練習試合を終えた直後、泉に強く首を絞められた水谷が部室で着替えながら疲れたように息を吐く。
「そりゃ、半分はそうだったからだけどさ。良かれと思ったのは本当だって」
「お前にそんな気使われる程、仲悪くねぇよ」
「でもさ泉、敵ばっかじゃん」
「敵って…こえーこと言うなよ」
「だってそうじゃん。部内でもさ、田島は隠す気なさそうで分かりやすいけど。最近だと、様子変なのが阿部? でも栄口もちゃんと仲良いよ。話やすいってちゃんも言ってた。あ。そう考えると、沖とも意外と話してるかもね」
最初はどうせいつもの冗談だろうと聞き流していた泉だったが、着替えていた手を止めて水谷の方を見る。
「巣山や西広はよくちゃんのこと手伝ってるのみるけど、篠岡にも優しいし。 あと花井もキャプテンで責任感強いから今のとこ心配なさそうだけど、最後に、三橋…はなに考えてんのかよくわかんねぇや」 と次々に遠からず的を射ている分析に呆然としていると、そんな泉に気付いた水谷が「ほら部外もいれると泉、敵だらけ…って、あれ」と抜けたような声を出す。
「俺、また変なこと言った?」
「いや…むしろお前にそんな洞察能力あると思わなくて驚いた」
「ひどくね?それくらい見てたら分かるよ」
「そんで」
「なに?」
「まだ一人抜けてるだろ。お前だよ、お前」
「俺?俺は泉の味方だよ。周りが敵ばっかだと可哀想っしょ」
泉自身も隠す気はさらさら無いが、こうもはっきり他の人から確信をつかれるとなんとも言えない気分になる。
「そりゃ俺もちゃんは可愛いと思うけどね。泉見てると大変そうなんだもんよ」
「余計なお世話だよ」
「そうかもだけど、気休めにはなるじゃん。まぁ、泉がちゃんに何年片思いしてんのか知らないけど、大事にしてるのは俺にも分かるしね」
「…言うほどそんなに長くねぇって」
「へー。じゃあ、いつから?」
「なんで水谷にそんな話しなきゃいけねぇんだよ」
「いいじゃん。教えてよ」
「聞いてどうすんだよ。…まぁ、自覚あるのは、中一だけどさ」
「え。つーことは、四年目位?いや、充分なげぇじゃん!そりゃ、お前らの付き合いからすれば浅いもんなのかもだけど」
指を折り、泉に言われた年数を数えながらそういう水谷。
考えてみれば、他人にこうしてとの関係をちゃんと話するのは初めてかもしれないと泉は思う。
なぜかと問われれば、それは昔から皆、野球漬けで誰にも聞かれなかったから。
という回答に尽きるだろうが、聞かれたからと言って何故ここまであっさり恥ずかしげもなく答えるのかと言えば、そう。
すでに泉自身がに思いを伝えているからだ。
どこかで他人からに洩れようが正直、何もこわくない。
この気持ちを隠す気も、誰か相手に譲って逃げる気もない。
「それで?告白はいつする気よ」
「した」
「…え」
「とっくにしてるし、なんなら俺がにすることはそれなりに受け入れてくれてる…と思う」
考えながらもそう言ってロッカーを締め、鞄を持ちあげて部室を出ようとする泉の肩を水谷が掴む。
「いやいやいや!なに話終えようとしてんの!え!どういうこと?!」
「しつけーな。待たせてんだよ」
「それは分かってるけど!俺との話を終えていい展開じゃないって!告白したのいつよ?!」
「いつって…えーっと、春の合宿の最終日だから五月か…」
目を見開いて興味津々な表情の水谷に対して、泉は面倒臭そうに眉間にしわを寄せる。
「意外と前じゃんか!そんで返事は?!」
「貰ってねぇよ。つーかフラれるの分かってて返事貰う訳ねぇだろ」
「そんなの分かんないじゃん!」
「わかるんだよ。あいつが俺の事、幼馴染としてしか見てないことくらい」
「泉…」
泉は肩を捕まれた水谷の手を軽く振り払いながら、観念したように息を吐く。
「でも、別にあいつに特別な相手がいるわけでもねぇしな。いくら鈍感でも俺の気持ちが分かってるなら、あとは時間掛けて意識させればどうにでもなるって思ったんだよ」
「…前に田島も言ってたけど、ちゃんが最近、ちょっと泉に対して変だったのは、そのせいか?」
「あー…あれは、なにやってもすっげー意識してくれるから、やりすぎちまったんだよ」
「なにそれ惚気?」
「惚気もなにも事実なんだよ。それに、ちゃんと返事貰ったわけじゃねぇから、俺に気持ちが向いてるかって言われればわかんねぇよ」
「(う、わ…なんだそれ。ってか泉、ちゃんにどこまでしたんだよ。あの言い方だと、したのは告白だけじゃないだろ。絶対…)」
悪戯に笑う泉にまだ問いただしてやりたいところだが、水谷は聞いてるこっちが恥ずかしくなる。と言った様に顔を赤らめると、 そんな水谷を見計らった様に、泉はべッと舌を出す。 「これ以上は金貰っても話してやんねぇよ。つーわけで、話終わりな」と言って部室を出る泉の後を追いかけるように、 水谷も「待ってよ!泉!」と言いながら急いで制服を着て鞄を持ち部室を出た。
「あ!孝ちゃん!」
いつものように待っている間に田島や他の部員達と話で盛り上がっていても、 泉を見かけるとは必ず掛け寄ってくる。
この瞬間が泉にとって、すごく優越感を感じる瞬間だということをは知らないだろう。
泉は、掛け寄って来たの頭を両手で掴む。
「わっ!な、なに?!」
「犬みてぇだと思って」
「私、孝ちゃんの飼い犬じゃないよ!そりゃ、いつも孝ちゃん待ってるけど…」
どうやらの言動が、泉の悪戯心に火をつけてしまったらしい。 泉はの前に手を差し出す。
「?」
「ほら、はやくしろよ」
「え。なに」
訳も分からず泉に急かされ、咄嗟に泉の掌の上にが戸惑いながらも手を乗せると、泉はニヤリとした表情を浮かべる。
「へー。お手もちゃんと出来んだな」
「お手…?はっ!孝ちゃん!!!」
「気付くのおせぇよ。引っかけるの簡単だな」と言いながらお腹を抱えてケラケラと笑う泉に対して、 は「もう口きかない!」と拗ねたようにそっぽを向く。
そんなの頭に泉が手を乗せると、ピクリと微かにの体が反応する。
「…孝ちゃん、意地悪ばっかり」
「なんだよ、その言い方。甘やかされてぇの?」
「え。いや、そういう意味じゃ…」
「ちげぇの?なら逆に聞くけどさ。どっちがお前の好みなわけ?」
「ふぇっ?!」
が乗せた手を泉が強く掴む。 「選ばせてやるよ。どっちがいい?」と悪戯にそう言って泉が顔を近づけると は真っ赤な顔で口をパクパクとさせた。
そんな二人の様子を近くで見ていた水谷が見かねたように「あのさー」と二人に声を掛ける。
「あ…へ?わっ!水谷君!」
泉の隣に立った水谷に、驚いたようには慌てて手を離して泉から距離を取る。 すると、「ちっ」と泉が舌打ちをして水谷を睨む。
「空気読めよ」
「いや、俺なりに読んだつもりだけど?」
「まさか、水谷君見てたの?!何処から?!」
「え。最初からだけど。気付かなかった?」
「っー!は、恥ずかしすぎて死にたい…」
まんまと泉に嵌められた情けない先程の自分の言動を思い出し、はその場にしゃがみ込み、顔を隠す。
すると「なにやってんだよ!先帰っちまうぞ!」という花井の声が聞こえてきた。
「今行くよー」と返す水谷に構わず、は逃げるように走り出し、花井の腕に抱きつく。
「おわ!なんだ?!?!」
「待たせてごめん!早く帰ろう!花井君!」
「いや、それはいいけどよ。お前、泉達はどうし…」
「あー!花井ずりー!俺、まだから抱きつかれたことないのに!」
「はぁ?!って、田島!そう言いながらなんでお前まで抱きついてくんだよ!重いだろうが!」
向こうの方で聞こえてくる賑やかな声に泉は息を吐く。
「あの馬鹿。また勝手に…」
「なぁ、泉」
「ぁあ゛?」
「…あからさまに機嫌悪くなるなよ」
「元はお前のせいだしな。邪魔してんじゃねぇよ」
「だって、ちゃんあのままだとキャパオーバーでしょ」
「させようとしてんだよ。その方が暫く反応良いし、他の奴を考える余裕なくなるから」
「うわー…。そもそも告った相手によくあんなことできんね。下手したら嫌われない?」
「は?逆だろ。告ってなきゃ、幼馴染相手にあんな一か八かの行為できるかよ」
「まぁ、確かにそうとも言えるかもしれないけど…」
それでも博打過ぎる。 告白している以上、あんな行為は本当に好かれるか嫌われるかの話になってくる…。
意識されてない相手に自分を意識させるためとはいえ、そんな怖いことよくできるな…と水谷は思わず泉を見て、握る自身の拳に力が入った。
「(それなのに、泉本人が楽しんでるからなぁ。まぁ、ちゃんの反応が面白いのもあるんだろうけど…)」
「さっきからなんだよ。人のことジロジロ見やがって」
「…俺、やっぱちゃんの気持ち、分かるなぁって」
「は?」
意地悪でも、大博打の行為でも、が突き放すこともできないのは、きっと泉のことをよく知っているからこそだろう。
逆をつけば泉自身も、嫌われない自信はあるんだろう。それほどまでに二人の付き合いは長い。
そして、そんな自信満々の泉を傍から見てるだけでも恰好いいと思ってしまった…。