23話 芽生えた嫉妬


にとって、初めての感情だった。

「…孝ちゃん?」

廊下で、クラスメイトではなく上級生の女の人と泉が話をしているのがの目に入る。

「あれ?ソフト部の先輩じゃない?」
「あ。本当だ!」
「せんぱーい!」

クラスメイトの女の子達がの横を通りすぎて大きく手を振る。
声に気付いた先輩が、軽く手を振り彼女たちに近寄ろうとした瞬間、何かを思い出したようにポケットを探った後で泉の右手を両手で掴む。
笑顔で泉に手を振り、彼女達の方へと向かっていった。

「どうしたの?。そんなとこ突っ立って」
「あ。ううん、なんでもない」
「そう?先に教室行ってるね」
「うん」

が友達に軽く手を振っていると、廊下に居る泉がに気付く。
パチリと目が合い、咄嗟にふいっとが泉から視線を逸らした。

「…は?」
「(あ。つい咄嗟に目逸らしちゃった…)」

目を逸らしてしまったことに、どうしよう…とも思うが、駄目だ。なんでだろう。 やはり先ほどの光景を思い出すと、もの凄くむしゃくしゃする。
ぶすっとした表情であるということは自分でもよく分かっている。だけど…。

「おい。こら」
「うっ…」

の態度に苛ついたように泉は、 つかつかとに近づき、目を逸らしたに詰め寄る。

「なんだよ。その顔は。つかなんで目逸らした。おい」
「な、なんでもない…」
「なんでもないって顔してねぇから聞いてんだろうが」
「なんでもないったら、なんでもないのー。ただ…今のソフト部の先輩だったって」
「今の?ああ、まぁな。名前知らねぇけど」
「孝ちゃん、名前も知らない女の人と手握るの?!」
「はぁあ?!」

頬を膨らませてそういうに驚いたように泉は声を上げる。

「アホか!昨日、閉め忘れてたソフト部の倉庫の鍵を俺が閉めたからお礼にお菓子貰っただけだっつーの」
「嘘!だって私の時と…って、あ」

は言いかけていた言葉を途中で止めて何かに気付き、しまった…。というように自分の口を両手で塞ぐ。

「ん?」
「こ、孝ちゃん!ごめん!今の全部忘れて!!」

恥ずかしげに真っ赤な顔をしてそう言い捨て、は泉に背を背けて逃げるように走り出した。

「は?え?いや、ちょっと待て!!」

慌ててを追いかけるも泉は掴み損ねた手を後悔するように自身の拳を握る。

「(あいつ、こんな時だけ足はえーな!くそっ、掴み損ねちまった)」

の気持ちがよく分からないにしても、泉自身、今の状況がまずいということは分かる。 あんな泣きそうな顔をして逃げていったを一人にして自分以外の誰かに見られるなんてごめんだ。 泉は舌打ちをした後、急いで階段を下りる。


「(どうしよう、どうしよう!え。なにこれ?!完全に八つ当たりだったよね…?!でも、でも…いやだったんだもんー!)」

おそらくこれは嫉妬だとは悟る。 たまたま見てしまったのにも関わらず、勝手に嫉妬して当たってしまった。
廊下を全速力で走りぬけたは、切れる息を整えるように自分の胸に手を当て、 人気のない自販機を背にしてその場に膝を立てて体育座りをする。

「(上級生なだけあって綺麗な人だったなぁ。それに孝ちゃん、話してて少し嬉しそうだった…!)」

いや、これも勝手な八つ当たりなのかもしれないとは、熱を帯びた顔を隠すように下を向く。
だけど自分が触ると嫌がるのに、名前を知らない女の人でも綺麗な人ならあんなに嬉しそうなんだと思うと悔しかった。
嫉妬するなんて、今の自分にはそんな資格ないと分かってはいるが、 少しづつ自覚しつつある感情のせいで上手く制御できなかった。

「やっぱり認めるのこわいよー!…今までも大好きだったのに」

好きな自覚はある。だけどそれは幼馴染みとしてだとずっと思っていた。 だからこれが恋愛感情だと認めたら、今以上に好きになりそうでこわい。
この嫉妬が膨れ上がりそうでどうしたらいいか分からない。 今までだって嫉妬したことがないわけじゃない。でもその時は、どうしていたんだろう…?
は行き場のない感情を落ち着かせようとするも溢れ出る涙をぬぐった。

「パンツ見えてんぞ」
「うぇ?!」

は突如聞こえた声に反応するように、慌てて手でスカートを抑える。 ゆっくりと顔を上げてみると、立っていた人物に大きく目を見開いた。

「阿部君?!み、見た?」
「見えたんだよ。注意してやったんだから感謝しろよ」
「うっ…」
「それより、なにしてんだよ。こんなとこで座り込んで…って、泣いてたのか?」
「…ちょっと情緒不安定なだけ」
「はぁ?なんだそりゃ」
「阿部君はこんなところで…って決まってるよね。ジュース買いに来たんだよね」

いくら人通りが少ないとはいえ、ここは自販機の前だった。 ということを思い出したは、ゆっくりと立ち上がりその場を去ろうとする。

「そうだけど、ちょっと待て」
「きゃっ」

掴まれた手が後ろに引っ張られ、行く手を阻まれる。

「そんなぐちゃぐちゃの顔でどこ行くっていうんだよ。お前は」
「ぐちゃぐちゃ…」
「…どうも、らしくねぇな。まじでどうした?」
「えっと…なんでもない」

本当のことなど言えるわけもなく、 どう答えようかと悩んでいるのそんな心中を察したように阿部が口を開く。

「泉じゃねぇと嫌かよ?」
「え…」
「俺には何も話せねぇってか」
「そ、そんなことないよ!阿部君が心配してくれて嬉しかった」
「それならなんで!」
「…私が野球部のマネージャーだから」
「は?」
「だから大丈夫なの。私が勝手にパンクしちゃって…泣いて吹っ切れたかっただけ。だから阿部君はもう心配しないで」

笑顔を繕うに阿部は思わず、ギリっと歯を噛む。
の言いたいことは分かる。マネージャーとして余計な心配をかけたくないということも。 だけど自分は、既にそれ以上の関係を望んでしまっているから…簡単にこの手を離すわけにはいかない。

「なんだよ。それ」

思わず握る手に力が入る。もっと頼って欲しい。 部員の一人としてじゃなく、一人の男として見て欲しい。

「無理すんなよ!絶対誰にも言わねぇ。お前がそんな辛そうな顔してる方が俺は嫌なんだよ!」
「あ、阿部君…!ううう…、阿部君が珍しく優しいこというからまた涙出てきちゃったよ」
「珍しくは余計だ」

阿部は息をつき、涙を流すを隠すように腕の中に抱きしめた。 涙の真相は分からないままだ。だけど、一番最初にが顔を上げた瞬間、すぐにピンときた。
赤く染まった頬に、涙を流しながら頭を抱えて困惑したようなの表情。 そんな顔をさせられる人物なんて一人しか思い浮かばないから。

「阿部君、レン君とも普段からそれくらい素直に向き合ったらいいのに。そしたら絶対もっと上手くいくよ」
「今、三橋は関係ねぇだろ。つーか、いい加減その呼び方やめろ。腹立つ」
「呼び方?そういえば阿部君、たしか前にもそんなこと…」
「なんで三橋は名前呼びで、俺は阿部君なんだって話だよ!」
「え?同じクラスだからだけど。悠君には名前で呼んでくれって頼まれたからだけど、レン君だけ同じクラスで名前呼びじゃないなんて不公平でしょ」

阿部の言葉に驚いて涙が止まったが、 きょとんとした表情を見せると阿部は何かを言いたげな言葉を一度飲み込み、息を吐く。

「…なら、バッテリーの俺も不公平だろ」
「え。うーん。そういわれれば…?」
「だろ?なら、俺のことも下の名前で呼べよ」
「えっと…っていうことは、タカヤ君?」
「ッ!!」

阿部の腕の中で、首をかしげながら自分の名前を呼んだに、阿部の頬が一気に赤く染まる。
そんな阿部の表情を見てしまったが目をぱちくりとさせる。

「あれ?まさか照れてる?珍しい!」
「見んじゃねぇよ!つーか、てめーは泣いてたんじゃねぇのかよ!」
「タカヤ君が変なことばっかり言うから、そんなのもう止まっちゃった」
「なっ!」
「あ。また照れた。今日のタカヤ君は本当に素直だね」

呼ばせたのは自分だが、名前を呼ばれる度に体が熱くなる。
最初はただの興味だった。が物怖じしないだけに、話していると楽だったから。
それが何時しか、くそ真面目な部分、泣き虫な部分、鈍感な部分を知っていくに連れてハマってしまった。 さほど好きなわけではないと思っていたが、いつしか相当好きになっていたということに今気付いた。

「ふふ…ちょっとすっきりした。ありがとう。タカヤ君」
「お前らは距離が近すぎんだよ」
「え?」
「どうせ泉となんかあったんだろ」
「そうだけど。私なにも言ってないのになんで…?」
「何があったかまではわかんねぇけど。お前がそんな顔してんのは泉くらいだろ」
「…えー。私、そんなにわかりやすいのかなぁ」

息を吐くの頭に阿部が手を乗せると、 息を切らしながら「!」と聞こえてきた声にの肩がびくりと大きく反応し、阿部の背中に隠れる。

「いや、なんで逃げてんだよ」
「…今は会っちゃだめなの」
「はぁ?」

助けを求めるようにそういったに困惑しながらも阿部が泉に視線を向ける。
するとこちらに向かってくる泉とパチリと目が合う。
阿部の腕を掴みながら背後に隠れるをどうしたものかと考えるも、 本音を言えばこのまま渡したくはないところだが、が泣いていた原因がこの二人の間でのことだとしたのなら、 悔しいが今の自分にはこれ以上してやれる力などないということも分かる。

「あー…よう。泉」
「そこどけよ。阿部」
「タカヤ君、どいちゃだめ!」
「ああ?…へー、"タカヤ君"なぁ」

泉は、の言葉も態度も気に入らないといったように目を細める。

「俺への当てつけか?それは」
「当てつけって…タカヤ君に会ったのはたまたまだよ」
「お前ら、俺を挟んで喧嘩すんなよ」

ふいっと泉から視線を逸らし、阿部の後ろでは隠れながらもゴシゴシと再び泣きそうになる目を手でこする。

「(だめ。涙止まってたのに…せっかくスッキリしてたのに。孝ちゃんみたら涙腺緩んじゃう)」
「あー…くそ。もういいや。阿部、まじでそこどけ」

無理矢理、阿部を退け後ろを向いているに泉は手を伸ばし、の手を掴む。

「や、やだー!あとで!あとでちゃんと…」
「あとって何時だよ!いつまでも逃げてんじゃねぇぞ!このバカ!」

阿部からを引き離すように、の手を掴んだままその場から去るように歩き出す。

「やだってば!孝ちゃん!離して!」
「おい!泉!」
「悪い!阿部!今、余裕ねぇんだよ!」

泉に手を引かれて連れて行かれるを背に、 阿部は息を吐くと先ほどまで握っていた行き場の失った手に目を移し、舌打ちをした。


「あーあ。目腫れてんじゃねぇか。どんだけ泣いたんだよ。お前は」
「別にいいもん…」

今の時間なら誰もいない部室の前で、 と向き合うように泉がの両頬を手で覆う。 指での涙を拭う泉の手をが、ムスッとした表情で軽く払いのける。

「今は孝ちゃん、やだ」
「は?」
「いや。触られるの」
「…なんでだよ」
「孝ちゃんに触られても今は嬉しくないから」
「あのな!嬉しいとか嬉しくないとかの問題じゃ…って、ん?今はってことはいつもは嬉しいってことか?」
「嬉しいよ。孝ちゃんに触られるのは嬉しい」

の言葉で一気に泉の顔に熱がこもる。
こういうところ、本当にいつもは素直だと思う。

「でも今は全然嬉しくない。だけどこれが私の勝手な嫉妬だってことも分かってるの…」
「嫉妬ってお前…なんか勘違いしてねぇか?」
「分かってるけど嫌なの!綺麗なら私より名前も知らない女の人の方がいいんだって思うと、すっごく嫌。だから今は孝ちゃんが嫌い」
「おい、待て。お前の言いたいことは大体分かったけど、なんでそうなるんだよ」
「だって孝ちゃん、嬉しそうだった。いつも私から孝ちゃんに触ると絶対嫌がるのに。反応違った」
「はぁ?!…このアホ」

泉は、こつんとの額を軽く殴る。

「痛い…」
「お前と一緒の反応なわけねぇだろ。バカ」
「やっぱ孝ちゃん、私のこと好きなんて嘘だよね!そりゃあ上級生だし、綺麗な人だったけど…それでもやっぱ私の扱いがひどい!」
「ちげーよ!逆だろ!」
「…逆?」
「そうだよ。好きな女に手握られて、お菓子貰えてラッキーとか思える余裕あるわけねぇだろ」
「それは!…って、え?お菓子?」
「アホ。鈍感。あとな、あの時、俺はお前のこと考えてたんだぞ」
「え…私?なんで?」
「手出せ」

泉に言われた通りにが両手を開いて出すと、ころんとクマのキャラクターが描かれたチョコレート菓子が置かれた。

「…可愛い」
「やっぱりな。お前、好きそうだと思ったんだよ」
「孝ちゃん、これって…」
「だから、ソフト部の倉庫の鍵を俺が閉めたからお礼にお菓子貰っただけだって言ったろ。それだよ。やる」

散々、嘘だなんだと言っていたのに、 今となっては泉の言っていたことを忘れてたように、「そういえばそんなこと言ってたね…」というに泉は息を吐く。

「でも、お前に見られてねぇと思って油断したな。顔に出てたか」
「こ、孝ちゃん…本当に?!」
「あのな、嘘でこんな恥ずかしいこと言えるか。バーカ」

単純だと自分で思う。さっきまでのぐちゃぐちゃした感情が一気に無くなっていく。

「孝ちゃん…」
「なんだよ」
「嬉しい」
「ったく…。"やだ"とか"嫌い"とか否定的なことばっか言いやがって。俺が傷つかねぇと思ってんじゃねぇよ」
「ご、ごめん。…ありがとう」
「…あと疑われてるみたいで嫌だから言っておくけど、俺が好きなのはお前だよ」
「ふ、え?!」
「だから俺はお前に触られるの嫌がってるわけじゃねぇからな。我慢できなくなるから離せっていう意味で言ってんだよ。誤解すんな」
「が、我慢?」
「そもそも俺にあんなキスされたことあるくせに忘れてんじゃねぇよ。毎日どれだけ我慢してやってると思ってんだ」

の体中の熱が一気に熱くなっていく。 そしてあれだけ認めるのが怖かったのに、泉にそう言われただけですごく嬉しいし、好きの感情がの中でどんどん増していく。 好き…大好き…。これが恋愛感情なのだとよく分かってしまった。
が「孝ちゃん…ごめん」と泉の服の裾を掴むと、泉がに手を伸ばしそうになるのを一度堪えて言う。

「あー…あのさ…」
「孝ちゃん?」

顔を上げてやっと笑顔を見せたの表情に安堵するも、 泉にはまだ引っかかることがあるらしく言いづらそうに言葉を紡ぐ。

「…もう触っても平気か?」
「へ…?うん!っていうか、孝ちゃん。まさか私が孝ちゃんに触られても嬉しくないって言ったの、気にしてた?」
「悪いかよ」

手を振り払われたのも、正直めちゃくちゃ傷ついた。 あと見つけた時、阿部と一緒に居たのも、名前で呼んでいたのも動揺した。ずっと我慢してた。
触れたくて、抱きしめたくて仕方なかった。だけどもし拒否されたらと思うと怖くてたまらない。それこそ立ち直れないとさえ思う。

「(まぁ、嫉妬してくれんのは嬉しいけどな…今までに無かった反応だし)」
「孝ちゃん、撫でて」
「え」

は泉の両手を掴み、自分の頭に手を添えさせると泉の名前を呼び首をかしげる。

「…だめ?」

言葉に誘導されるようにの頭を撫でるとが照れつつも嬉しそうに微笑む。 その瞬間なにかがはち切れたかのようにの後頭部に手を回して引き寄せるように強く抱きしめた。

「こ、孝ちゃん!これ…ち、がうよ」
「撫でただろ」
「そうだけどー!」
「嫌なのかよ」
「…ううん。嫌じゃないよ」

泉は赤く染まるの頬に指を触れる。 今度は払われなかった手と柔らかいの表情に思わず泉の頬が緩んだ。

「やっといつもの調子に戻ってきたな」
「そう、なのかな?」
「そうなんだよ…。ちょっと顔あげろ」

「え?」と泉の言葉に戸惑いつつもは、ゆっくりと視線を上げる。

「ひでぇ顔」
「あはは。さっきタカヤ君にも似たようなこと言われた」
「…そういや、そのこと聞き忘れてたな」
「え?」

眉間に皺を寄せた表情でそういった泉はの肩を掴む。

「こ、孝ちゃん?」

先程の声色とは一変して、ピリピリした雰囲気が感じられる泉の様子を伺いながらもは息を飲む。

「阿部と何してたんだよ。なにがあって急に"タカヤ君"になったんだよ」
「なにって、別に…。名前はレン君って呼ぶなら自分も名前で呼んでくれって言われたからで…ぁあ!」

泉に問われて、が先程までの阿部とのやりとりを思い返そうとしていると、 なにかを思い出したように大きくは声を上げて、少し泣きそうな顔になる。

「ど、どうした?」
「孝ちゃん。私、タカヤ君にパンツ見られたの忘れてた…。その上、散々、泣いて迷惑かけちゃったし。部活で合わせる顔無い…どうしよう…」
「…はぁあ?!」

真っ赤な顔で頭を抱えるに対して、思わずの肩を掴む泉の手に力が入る。 「今のどういう意味だよ!まじで何された?!吐け!」と怒る泉に、が目をぱちくりさせ、「孝ちゃん、怖い…」と震えるように声を絞り紡いだ。