28話 初戦開始
「さっきまでの笑顔はどうした」
「だ、だって皆の前では出せないでしょ。私の緊張が移っちゃうといけないもの…」
「そりゃそうだ。ってかあんたがそんなに緊張してどうする」
「だってー!」
今日はいよいよ夏の公式大会。一回戦。いよいよ桐青との試合が幕を上げようとしていた。
スタンドの席で応援に来てくれたが隣で、私が緊張しているのをからかうように言う。
「皆の前では笑顔か。流石マネージャー」
「馬鹿にしてるでしょ」
「してないよ。本当に思ってる。さっきまであんたがこんなに緊張してるなんて、隣に居て気付かなかったから」
「ならよかった」
ほっと息を吐いてスタンドからグラウンドの様子を見つめる。
「ちゃーん!」
「あ!恵子さん!」
と話をしていると、大きく手を振ってこちらに向かってくるショートカットの大人の女性にが首をかしげる。
「…誰?」
「孝ちゃんのお母さん」
「ああ。なるほど」
「あとは…あ、レン君のお母さんだ!」
初めて見かけた人も居るみたいだが、部員達の母親達だと理解したは、急いでそちらの方へ向かう。
「こんにちわ!」
「あ。ちゃん、だよね。野球部のマネージャーさんの。この前、家に来てくれてありがとう」
「いえ!お料理美味しかったです!こちらこそ、お邪魔しました!」
「「かわいい!」」
「へっ?!」
が三橋の母に挨拶をしていると、周囲に居た母親達が一斉にを食い入るように見る。
「噂通り可愛いなぁ」
「マネージャーやってくれてるんだよね?」
「やっぱ女の子羨ましいわ」
と口々に言う母親達にがワタワタとしていると恵子に肩を抱かれる。
「可愛いでしょ。うちの子」
「け、恵子さん…」
「泉さんちの子供じゃないでしょ」と誰かの母親が冗談めかした口調でいい、笑い声がおきる。
「小さい頃から面倒みてるからうちの子も同然よ」
「ぁあ。そういえば泉さんの家とお向かいさんなんだっけ」
確か、花井君のお母さんだよね。この前開会式で見かけた…とが記憶を探っていると、 他のお母さん達が興味津々な目でを見る。
「そっか!泉君とちゃんって幼馴染みなんだよね?!」
「そうそう。仲良いんだよね?」
「付き合ってるの?」
「それとも片思いとか?!」
母親達から色々と飛んでくる質問にが顔を真っ赤に染め上げながら、ふるふると首を振る。
「と、特に、そういうことは…」
「嘘。なにもないの?とっくに付き合ってるのかと思ってたわ。孝介ったらなにやってるのかしら。ちゃん盗られちゃうじゃない」
という恵子の言葉に、はドキッ!と大きく心臓が鼓動する。
「母親が健全な息子を嗾けてどうするのよ」と可笑しそうにいう花井の母の言葉でまたしても笑い声が起きる。
「(…下手に何か言ったら、孝ちゃんに怒られそうだから気をつけよう)」
は本音を隠して笑顔を繕った。
「あ。終わった!」
西浦のグラウンド練習が終わると、 は急いで立ち上がりフェンスの前まで近寄る。
「悠君!」
「あ!!」
近くに居た田島にフェンス越しに声を掛けて、 手を振ると田島が笑顔でそんなの方に掛け寄る。
「見てた?!」
「うん!試合も頑張ってね!」
「おう!」
試合前だけど、いつもと変わらないようで少し安堵する。 田島と話をしていると、 他の部員達もに気付いたようで「ちゃん!」と手を振り、数名がこちらに掛け寄ってくる。
すると田島が、「だめだよ!俺が今、と話してんだから!」と大きく声を上げる。
「あはは、ごめんごめん。田島」
「えー。別にいいじゃん」
「だめ!」
笑顔の栄口と相反して、拗ねたような水谷の言葉に反論するように田島が言う。
そんなやりとりを笑顔で見ていただったが、 近くにある人物がいないことに気付き、きょろきょろとベンチの方を見ようと身を乗り出す。
「誰を探してる?」
「孝ちゃん!」
聞こえてきた声を振り返った瞬間、泉の姿があったことに一気に嬉しそうな笑顔を向けるに泉が小さく笑う。
そんな泉に、「あー!泉!」と不満そうに泉に嗾けようとする田島の額をベタンと片手で押さえ、 突き返すように「水谷、栄口。パス」といって栄口の方へ受け渡すように田島の額を押す。
「おわっ!」
「「は?!」」
背中から倒れるように勢いよく向かってきた田島の体の重さで倒れかけかけながらも支える水谷と栄口を他所に、 泉はフェンスに掛けていたに近づき、 の指を上から添えるように反対側のフェンスから手を合わせた。
「なんでお前が俺より緊張してんだよ」
「えっ」
「手」
「あはは。冷たい?」
「ん。相変わらずだな。お前は」
吹き出して可笑しそうにいう泉がいつも通りで、は少し安堵したように微笑む。
「お前見てたらやっぱ力抜けるな」
「…孝ちゃん。それ、褒めてる?それとも馬鹿にしてる?」
「どっちもだな」
「えー!なにそれー!」
の予想通りの反応に対して、泉が吹き出すように笑う。
「一打席目打ってやるよ」
「!うん!」
「じゃあな」といって泉は、隣で田島を宥めるように「まぁまぁ」と言いながら押さえつけている栄口と水谷にも「ベンチ戻るぞ」と声を掛ける。
「みんな頑張って!」とが大きく声を掛けると、 田島達がそんなを見てニカッと笑い、ベンチへ戻った。
「(ど、どうしよう…)」
の胸の鼓動がどんどん大きくなる。
「皆、格好よすぎだよね?!」
「はいはい」
走って応援席に戻ってくるなり隣に座って興奮してそう言うにが呆れるように返事をする。
そんな調子で試合が始まったら、どうする?とは思いつつ息を吐く。
その隣で桐青の試合前の練習が終わると捕手である和己がこちらを見ている姿には嬉しそうに微笑む。
「(和さんだ!誰か捜してるのかな?)」
「?」
「ううん。なんでもない」
はに話をするのをやめて再びグラウンドへと目を移した。
「あの子、ベンチじゃないんだな」
「え?」
「ほら。榛名の偵察で会ってお前がえらく気にいってた子。確か抽選会でも会ったんだろ?」
「ああ、っスか。へー、どこに居ました?」
「あそこ」
「ほんとだ」
指差した方向を見ると、 応援席で隣に座る女の子に対してが照れたような表情をしつつもなにやら楽しげに話している姿だった。
「準太、気付いてなかったのか?」
「あ、はい。試合終わったら声掛けてやります」
「…そうだな」
どうやらあまり周りが見えていなかったようだ。 先程よりは多少和らいだ表情をしたが、やはりまだ硬いなと和己は息を吐いた。
こうして始まった一回表。西浦高校の先行だ。 第一打者は泉だ。ノーツーのカウントから見事、スライダーを打ち返し、ライト前のヒットになった。
それから結局、満塁にはなったものの一回では点が入らず…
だけど、二回表ではラッキーが重なったものの、西浦高校が一点の先取点を入れることに成功した。
「先取点だね」
「うん!でもさっき一塁のコーチャー、悠君だったけど花井君の走塁とスタートが同時だった気が…」
「え。ごめん。私、野球詳しくないからあんたが何言ってるかわかんないわ。正直さっきのも何が起こったのかよく分かってないし」
軽いルールくらいなら知ってるけど…というに続くように、 隣に座っていたレン君のお母さんが「私にも教えて」とに言う。
「あ、はい。えっと、つまり今の回は…」と先ほど起こった出来事の説明をする。
結局この後も、が説明をしながら回を進めていくのを見ているも、一点リードを保ったままだ。
小さな雨が降り出し時、カッパを被る。ちょっと強くなってきたかなと思い、空を見上げたその時、「おばさーん!」という可愛らしい声が響いた。
「ルリちゃん!」
「遅くなっちゃった」
「大丈夫?迷わなかった?」
「うん!レンレン、ずっと投げてたの?」
三橋の母と親しげに話をする二つ括りの女の子の姿に、は目をぱちくりとさせる。
「廉のイトコなの。群馬からわざわざ応援来てくれたの」
「あ。隣、どうぞ」
「ありがとう」
が席を開けると、笑顔で三橋の母との間に座る。
「えっと…」
「ちゃんよ。西浦のマネージャーさんなの」
「へー、そうなんだ」
「よろしくね」とが笑顔を向けると、「うん!」と言ってルリもに笑顔を向けた。
このまま互いに点が入らないまま、雨が強まる。
動き出したのは五回。表に田島が投手のモーションを盗んだ指示による盗塁と栄口のスクイズにより二点目をあげる。
だけど五回裏。桐青は徹底した左打ちにより、反撃。九番前川の犠牲フライにより、一点。
そして、六回裏に、四番青木によるバスターでツーベースヒット。五番河合の内野フライで二点目をあげた。
「これで同点…だけど…」
雨が増していく中で七回表、西浦高校は三者凡退。
七回裏…悪い予感は当たる。グラウンドの足場の悪さによる三橋のワイルドピッチが発生した。
「レン君!!」
あのコントロールの良さを持つ三橋がワイルドピッチ。雨のせいだというのが目に見えてわかった。
天候を味方に付けるように桐青はついに逆転の点数を入れた。
「審判が集まってる…」
「あー。雨、強まってきたもんね」
七回裏が終わったところで審判が集まり出す。雨の様子を伺うように試合が一時中断される。
「えっと、あの…ちゃん!お願いがあるんだけど!」
「なに?」
少しだけ頬を赤らめて興奮するようにルリがに言った。
「え、…えっと、こっち」
「ありがとう。ごめんね。無理言って案内して貰っちゃって」
「ううん。私も心配だったし。でも見つかると怒られるから…」
「見つからないようにしなきゃね!」
三橋に伝えたいことがあるから会わせて欲しいというルリの願いを聞き、 も西浦のベンチの入り口まで来ていた。 入り口の前に立ち、ルリとパンッ!と手を合わせる。
「レン君のこと、よろしくね」
「うん!」
警備の人が誰もいないのを見計らい、ルリと同時に走り出す。
入るとすぐに、三橋と阿部がシャワーの前で座り込んでいるのが目に入る。
「いた!レンレン!!」
「ルリ?!」
「え…?」
レン君も気になるけど、阿部君もルリちゃんもいる。大丈夫だ。 と判断したは、横を通り過ぎて奥へと進んでいく。
「!孝ちゃん…孝ちゃん!」
帽子を取り、ちょうどインナーシャツを着替え終えた泉をベンチに入る扉付近で発見したが 小さく泉に聞こえるように隠れて声を掛けると、泉がその声に気付いたように肩を揺らす。
「え…。は?!」
「き、来ちゃった」
「来ちゃったって…お前なんで…!」
驚きつつも泉はちらりと志賀達の方を見る。
「試合、続けてくれますかね?」
「うーん、そうだね。七回裏。ちょうどいいタイミングだからね」
そんな篠岡と志賀、そしてじっと審判の方を見ている百枝の姿を確認すると軽く舌打ちをして泉は立ち上がる。
「っ!、こっちこい」
慌てての手を引き、小声でにそう言いながらベンチ奥の角に連れ込む。
壁に手をつき、を隠すようにの前に泉が立つ。
「おい。お前なんでこんな所いるんだよ。見つかったら、怒られるぞ」
「ルリちゃんがレン君に伝えたいことあるっていうから連れて来たの」
「は?ルリちゃん?」
「レン君のイトコだよ」
笑顔でいうに、泉は息を吐く。
「なんか知らねぇけど、だからってな!」
「だ、だって私も孝ちゃんに会いたかったし…」
「え?」
「これタオル。雨ひどいし、皆にも多くてもいいかなと思って持ってきた。孝ちゃん、やっぱり結構濡れてる」
「あー…いいよ。別に」
が雨で濡れている泉の髪に手を触れた後、タオルで泉の頭を拭く。
そんなの手首を掴み、こつんと泉がに額をあわせる。
「孝ちゃん?」
「…無茶してんじゃねぇよ。見つかったらどうすんだ」
「ご、ごめ…っ!」
泉がの頬に手を添え、顔を近付ける。
「こ、孝ちゃん…」と頬を赤く染め、ぎゅっと目をつぶるとの距離がゼロになりかけた瞬間、声が響いた。
「こら!応援の人は入れないよ!」
「「っ!」」
聞こえてきたスタッフの声に、真っ赤になった泉とが目を開けてビクリと肩を揺らし、互いに体を後ろに逸らす。
「ご、ごめんなさーい!!」
どうやら見つかったのはルリの方だったらしい。泉とは同時に安堵の息を吐いた。
「わ、私ももう行かなきゃ…!頑張って!絶対勝てるよ!」
の言葉に、びりびりと電気が走るように泉に響く。気付けばの方へと手が伸びる。
「当たり前だろ」
「…!!」
そう言いながらも泉は強くを抱きしめる。
の耳元で「試合終わったらすぐ来い」と囁く。
泉の胸の中では、こくんと頷く。 はゆっくりと泉から離れると、隠れながらこっそりとベンチを後にした。
「…あれのどこがただの幼馴染みだよ」
「準太?どうした?」
「あ。いえ。なんでも」
「?」
監督達からは見えていなかったかも知れないが、 桐青のベンチからは正面になっているのでベンチに入ってきたの姿が見えていた。 まぁ、もちろん、準太自身がの存在を目で追っていて、 スタンド席にいないのでまさかと思い、偶然先ほどの光景が目に入っただけなわけだが。
「こりゃあ、ますます負けてらんねぇな」
「頼むぜ、準太。残り二回だ」
「はい!」