39話 幼馴染みの夜


「あ。私、そろそろ帰らないと」

いつものように泉の家で晩ご飯を食べた後、が「おやすみなさい」と恵子達に言って手を振り、 家へ帰ろうとする。まぁ、帰ると言っても目と鼻の先な訳だが…。

「俺も行く」
「え?」
「お前の家に、漫画の続き取りに行くんだよ」
「あ、そういえば貸してたね。取ってこようか?」
「いいよ。ついでに送っていく」
「あはは。すぐそこなのに」

は、くすくすと笑いながら玄関の扉を開けて外へ出る。

「おばさんは?」
「うーん。まだ帰ってないかな。残業するって言ってたから多分、会社に泊まって朝帰ってくるんじゃないかな」
「相変わらずだな」

の母親は、とあるIT会社の重役。そして、父親は仕事で単身赴任。 両親が殆ど帰ってこないのは、いつもの事だと慣れたように言う。
本人はあまり気にしていないようだが、 もしかしたらの中で一緒に居ることが多かった泉に対する幼馴染みとしての異常なまでの依存は、 あまり両親が家に居らず、構って貰えなかったところから来ているのかもしれない。

「入っていいよ」

昔から来慣れている家ではあるが、部活が忙しくて来ることが減っていただけに少しだけ久しく感じる。

「えっと…続きだよね」

が自分の部屋に入り、本棚を指さしながら見る。

「(まぁ、口実なんだけどな…)」

家族の手前そう言っただけで、賢明に捜してくれているには悪いが正直、それどころではない。


「ちょっと待ってね。えーっと、どれだっけ…」
「あー、それは後でいいや」
「え?」
「…お前に触りたいんだよ。分かれよ」

泉が照れたようにそう言うと、は一気に顔を赤らめる。
そんなの手に泉は指を絡めて握りしめる。

「こ、孝ちゃん…」

の手を泉自身の方に軽く引き寄せるだけで、簡単にが胸の中に収ってしまう。
驚いた表情のが泉を見上げる。

「あんま長居できねぇけど、悪い」
「え。あ。ううん。嬉しい。もしかして心配かけちゃった?」
「一人だって聞いちまうとな」
「大丈夫だよ。慣れてるから。戸締まりしっかりするしね」
「お前たまに抜けてるから気をつけろよ」
「酷い!平気だよ!」
「この前も鍵掛かってなかったぞ」
「た、たまには忘れることだってあるよ」
「それが不用心なんだっつーの!」

いつものように拗ねるに、泉が息をつく。

「あんまり不用心だと連れて帰るぞ」
「恵子さんならオッケーしそうだから洒落にならないね」

冗談めかした会話で互いに目が合い、クスリと笑い合う。
泉がの両方の頬に手を添えて顔を近付けると、 戸惑いつつもの揺れる瞳が真っ直ぐに泉を捉えて、好きだと訴えかけてくる。

「…キスしたくなるな」
「えっ?!」
「いいか?」

はなにか言いたげな様子で口を開くも、言うのを止めて小さく頷く。 そんなに思わず泉の頬が緩むも、の唇に触れるだけのキスを落とす。 照れるが恥ずかしげに泉の腰に手を回して抱きつく。

「…このままだと私、孝ちゃんに帰らないでって我儘言っちゃいそう」
「まぁ、出来るなら聞いてやりたいけど。流石にまずいな」
「それ朝早いし、孝ちゃん帰らないと恵子さん心配しちゃうよね」
「いや、この場合、むしろお前の心配だろ」

「うん?」といまいち分かっていない様子のに泉は息を吐いて言う。

「お前が俺に襲われてないかっていう心配だよ」
「……!」

先ほどの出来事と泉から受けた行為の数々を思い出すようにの顔の熱が一気に上昇するも、ある思考に至る。

「私、孝ちゃんならいいなぁ」
「っ!馬鹿!そういう問題じゃねぇんだよ!それに今、お前に肯定されるとややこしい話になるっつーの!」

一体どこまでが本気なのか分からない。と泉は心の中で思う。
「えー?そう?」とクスクス笑いながら言うに軽く目を逸らすも、 いつものように抱きついてくるに泉は何かと葛藤するように頭を掻いた後、ゆっくりと手を伸ばして抱きしめ返した。


「俺が出たらすぐ鍵締めろよ」
「わかってるよー」
「ん、じゃあな」
「うん」

しかしそう言いつつも、泉の服の裾を掴んでいるに、 「こら」といつものように軽くの頭をこつく。

「だってー!」

というの言葉に仕方ないと言った様に、 の手を引いて自身の方に引き寄せるとそのままの額に軽く口づける。

「わっ!」
「さっさと寝ろよ」

赤い顔で、こくこくと頷くの頭をぐしゃぐしゃと撫で、 泉は「あ。あと鍵な!」と釘指すようににそう言い、の家を出た。

「は、わぁ…」

ペタンと力抜けた様にはその場で座り込む。

「(どうしよう…好きがすぎるよ…!孝ちゃん!)」

はぁ…ドキドキした。とは息を整えつつ、玄関のドアの鍵を掛けようと手を伸ばした。

「ギリギリ…。いや、アウトだな…」

泉は、ずるずるとの玄関の前で座り込む。

「(なんだあれ。すっげぇかわいい…!)」

流石にあの状況は理性がギリギリだった。 の手前ではああ言ったが、幼馴染みという枷がなければ、確実に手を出していただろう。
だけど全部、さっきまでの行動はの気持ちを知っていたからこそ出来たものだった。
もし、付き合っていれば…枷は無くなる。だけど同時に我慢する必要もなくなる。
どんどん欲が深くなる前に、早くこの曖昧な関係をどうにかしなくてはいけないなと思いつつも、 ようやく治まりだした自身の熱に息をつき、から借りた漫画を一冊手にして自分の家へと戻った。