40話 崎玉戦


「あの…」
「はい?」
「落としましたよ。タオル」
「あ。す、すんません!ありがとうございます!」
「いえいえ。あ。崎玉の佐倉君、だよね」
「え。なんで自分の名前…」
「だって前の試合、格好良かったから!ホームラン!」
「…!!」
「今日は試合、宜しくお願いします」

ぺこりと頭を下げると、「!」と呼ばれる声の方に制服を着た少女が走って行く。

「……」
「なぁ…大地の奴、どうしたんだ?」
「そういえば、えらく静かだな」
「(可愛い人だったな…。名前は、さん。であってるのだろうか?いや、でも明らかに下の名前…。見ず知らずの自分なんかが呼んだら気持ちが悪いよな!というかまた会えるかも分からないし!)」

「あああ!」とベンチで頭を抱える佐倉に、「どうした?!」と皆が詰め寄る。

「先輩…あの、実は、自分…」
「お、おう。なんだ?言ってみろ」
「それが、その…気になる女性が…」
「「はぁああ?!」」

「女ぁ?!」「試合前に何言ってんだ!お前は!」と皆が銘々に心配して損したというように佐倉を蹴り上げる。
事情を聞きながらも、市原が呆れたように尋ねる。

「そんで誰だよ。お前のタオルを拾った女ってのは」
「いや、それが名前くらいしか…。あああ!」
「っ!うっせ!なんだよ!」
「ああああの人です!」
「「…え」」

顔を赤らめる佐倉に対して、「敵校のマネージャーじゃねぇか…」と他の部員達が息を飲んだ。


ベンチに入ると広がる球場の光景に、は目を輝かせる。

「(今日はベンチだから皆の事が近くで見れる!)」

よいしょ。とベンチでドリンクの用意を終えて息をつくと、 は、試合楽しみだなぁとニコニコとした表情でグラウンドを見ていた。


「…確かに可愛いかもな」
「うん…ちょっと遠くてハッキリとは見えねぇけど…」
「って、何言ってんだよ!お前ら!試合前だぞ!ましてや敵校のマネージャー相手に…」
「そ、そうだ!佐倉、一端忘れろ!今は試合に集中!」
「は、はい!俺、顔洗ってきます!」
「お前らも準備!」
「「はい!!」」

「でも、そうは言っても気になるよな」と小さな声でメンバーの面々が呟いていると、 「こら!そこ!」という小山の声でビクッと肩を揺らし、「はい!!」と答えた後で気持ちを抑えながら崎玉の面々も準備へとついた。


バシッ!

「あいたっ」

叩かれた帽子を軽く手で押さえる。が顔を上げると、ニッと笑う泉の姿があった。

「なにぼーっとしてんだよ」
「あ。お疲れ様、孝ちゃん」

試合前の練習を終えた泉がの隣に腰掛け、準備を始める。

「…やっぱなんか楽だな」
「え?」
「お前がベンチいると試合前だろうと何も考えなくてもいいからさ」
「へ?どういう意味?」
「まぁ、俺は緊張するの基本一打席目だけだし。今日は先頭打者でもねぇからかもだけど…。今日は気が楽なんだよなぁ」

さらりとそう言うと泉はベンチの上にあるの右手の上に手を乗せる。

「お前にこういう事出来る余裕もあるし」
「っ!わ、私、そんなこと初めて聞いたけど…」
「初めて気付いたんだよ」
「本当に思ってる?」
「思ったから言ったんだよ」
「そ、そっか」
「顔赤いな。どうした?」
「っ!もう…!」

分かっていて敢えてそういう言い方をする泉に対して、 スコアボードで顔を隠すに泉が可笑しそうに笑った。

「よし。調子出てきたし。いくか」
「が、頑張って!」
「おう」

そう言って目を細めて得意げに微笑んだ泉にが思わず胸を締め付けられる。

「(ど、どうしよう…。孝ちゃんが格好よすぎる!)」

だけど今は、ときめいている場合じゃない。というように首を左右に振り、気を引き締めるグラウンドを見つめた。


「ナイス!セカンド!」
「(わ、ぁ!栄口君ナイスキャッチ!)」

いよいよ試合が始まり、一回戦表は無事に何事も無く0点で終わった。
もベンチでパチパチと手を叩く。

「さぁ攻めるよ!初回は2点以上!」

監督の声に皆が大きく返事をする。今回はコールドゲームを狙っている以上、多く点を取ることが必須になる。
先頭打者は、右手怪我をしている田島。守備の位置を確認すると田島は上手くセーフティーバントを狙い、セーフになった。 次は見事の安定感で栄口君がバントを決めて、ワンアウト二塁。

「(孝ちゃんの番だ!)」

点が入るチャンス。監督の指示もバントの指示は無い。打っていいということだ…。 がドキドキと緊張しながらもバッターボックスに入る泉を見ていると、 一瞬パチリと泉と目が合ったような感覚に落ちいる。

「…?」

いや、でも今日はベンチにいるんだし、なにより自分の傍には監督がいる。 だからそちらの方を見たのだろう。目が合ったのは気のせいかな。とは思い直す。


「(やっぱあいつ見てるのが一番気が抜けるな…)」

と泉は心の中で思う。昔から傍に居たし、中学の時まではずっとベンチにいた。 自分以上に緊張しているの表情が手に取るように分かり、面白いというのもあるが、 完全に無意識だったし、今まで自分はそこまで緊張するタイプでも無いとは思っていたが、 どうやらいつの間にかこれがいわゆる緊張を解す条件付けになってたかと改めて思わされる。

「(まぁ、なんにしろこの3番はオイシイな。ランナーが田島で、後ろには花井がいるし)」

いつも以上に気楽というか、前向きになれる。泉はそんなことを思いながら、真っ直ぐにピッチャーを見つめてバットを握った。
すると少し遠く外した一球目の球を見事打ち流し、長打コースとなり一点が入る三塁打となった。

「やった!」
「やっぱ泉、足速いね」
「でも栄口君のバントが決まったから確実に点入ったんだよ。守備でもナイスキャッチだったしね」
「あはは。ありがとう。ちゃん、本当いつもよく見てるよね」
「マネージャーだもん。あと今日はスコア係ー!」

冗談めかしたように栄口と笑いながら戦況を見守っていると、花井が見事スクイズを綺麗に決めてみせ、三塁にいた泉が見事帰還して一点が追加された。

「あ。帰ってきた。花井、ナイバン」
「おー、外されなくてよかったよ」
「孝ちゃんもお帰り」

栄口と一緒にも戻ってきた二人を出迎えると、 からかうようにが被っていた帽子を泉にペチンと手で軽く殴られる。

「あいたっ。な、なに?」
「次も頼んだ」
「うん?」

なにが?と思いつつも、ヘルメットを戻しに向かった泉の背中を見た後、はバッターボックスに立つ巣山の方に目を向けた。 結局、一回戦裏はこのまま二点止まりとなりこのまま二回戦へと突入した。
しかしここから4番の佐倉にも回ってくるわけで、事前の打ち合わせ通り敬遠の策を取ると当然崎玉の観客席からはヤジが漏れた。

「レン君、大丈夫かな?」

が心配そうに呟くと、「大丈夫でしょ」と百枝がそういう。

「集中力切れてないし。投げるのが好きな子だから敵のヤジを気にするタイプじゃないよ」
「そうですね」
「まぁ、でも戻ってきてあげたら、ちゃんはいつも以上に笑顔で声掛けてあげて」
「はい!」

百枝と一緒にクスリと笑う。結局、崎玉の攻撃を無事に0点に抑え、二回戦の裏は残念ながら二塁にいた水谷は沢村の好判断により、 タッチアウトとなってしまったが、三塁にいた阿部をセーフティバントで田島が返し、3点目を入れることに成功した。
続く三回表も崎玉は三者凡退。栄口、泉、巣山の連続ヒットで阿部の待球の策が見事に決まり、押し出しで4点目が追加となった。