Memory of The First Love -消えた少女-
部屋に忘れた携帯を取りに来たは、桜吹雪から渡されていた観客席のチケットを手に握りしめて廊下を走る。
「やばっ!早く皆の所に容態確認に行かないと間に合わない!」
今日は、午前中からエキシビションマッチが始まる。
こんなところで、ぐずぐずしていられない。
選手でないは、ベンチに入ることは出来ないが、試合が始まる前に控室にいる皆の状態を確認しに行かなくてはいけないのだから…。
「もう…本当広いなぁ…。えーっと、あった!控室…っ!むぐ!」
右の角を曲がり、青学の控室に入ろうとしていたまさにその瞬間、 は後方から誰かに強い力で口をふさがれ、何か薬品らしくものを嗅がされる。
「(振りほどけない!)」
「…悪ぃな、」
「(この声…っ!)」
おそらく薬品の正体は睡眠薬だろう。
その証拠に、には急激な眠気が襲いかかり、徐々に体の力が抜けていく。
反抗するもは、徐々に意識を手放していき、手元から握りしめていたチケットが廊下にひらりと落ちた。
「大石。ちゃん、試合前にこっち来るって言ってたんだよね?」
「ああ、そういう予定だったんだが…うーん。やっぱり電話にも出ないな」
控室で何度も大石がに電話を掛けるが鳴り続けるばかりで、一向に電話に出てくれる気配がない。
「もしかしたら、もう観客席の方に行ってるんじゃないっスか?」
桃城の言葉に大石は、静かに電話を切る。
「どうする?手塚」
「うむ…もう時間だ。一先ず俺たちは会場に向かうとしよう」
控室から会場へと向かおうと皆が足を進める。
先輩達に続いてリョーマが最後に部屋を出て控室のドアを閉めようとすると、自分の足元に違和感を感じてしゃがみこむ。
「…これって」
廊下に落ちていたのは、一枚の今から始まるエキシビションマッチの観覧チケットだ。
誰かが落としたのか?と思いチケットを拾いあげ、チケットの観覧席番号を目にしたリョーマは、思わず眉を吊り上げた。
「何してんの?おチビー!」
「…今行くっス!」
菊丸に呼ばれたリョーマは、急いでポケットにそのチケットを入れて歩き出した。
「ん…いたた、ここ何処?…あ!」
見慣れない部屋で目を覚ましたが、辺りを見渡すと、一枚の大きな窓が目に入った。
「大石先輩と菊丸先輩!」
力を入れても開かない密閉された窓から外をのぞくと、コートで桜吹雪のダブルスペアと大石と菊丸が試合をしている様子が映っている。
「やった!快勝!」
スコアボードを見ると、どうやら青学は快勝の様だ。
こんな状況だが、何事もなく試合を進めている彼らには笑顔を見せた。
しかし、自分はいつまでも試合を楽しんでいられる場合ではない。
「…ここ、どこだろう?」
船内なのには間違いなさそうだが、何の家具もない部屋に開かない窓と鍵が閉められたドア。
まるで始めから誰かを閉じ込める為に用意された部屋の様だ…。
そう悟ったは、一気に恐怖感に襲われた。
その瞬間、ドアがゆっくりと開かれて入ってきたのは、最初とは打って変わっていかにもというような悪人面をした桜吹雪だった。
「やはり君を呼んでおいて、正解だったようだな」
「!あなたは…」
「ご覧の通り、うちのチームは彼らに全敗中でね」
タバコを吹かしながら部屋に入ってきた桜吹雪は、窓のそばにいたに一歩づつ近づいてくる。
「まぁ、元から奴らが素直に八百長するとは思ってなかったからね」
「触らないで!」
桜吹雪がの手を掴もうとした瞬間、は桜吹雪の手を払いのける。
しかし、そんなの態度が癪にさわった桜吹雪は眉間にしわを寄せて無理矢理、の手首を掴みあげた。
「痛っ!」
「始めからお前を使って、彼らにはわざと負けて貰うつもりだったが作戦変更だ」
は、負けじと桜吹雪を睨みつけた。
「試合を終えたお仲間も捕らえさせてもらった。これで、奴らだけでなくお前も大人しく従うしかない」
「お仲間…?」
怒りを秘めた目をして問うを桜吹雪は、楽しげに見下ろす。
「お前には、試合が終わるまでここに居て貰う」
「私の質問に答えて!あなた、何をする気なの?!」
「越前リョーマにわざと負けて貰うんだよ」
「っ!」
桜吹雪は、の手首をつかんだままニヤリと口角を吊り上げる。
「その後は…分かっているな?」
「…ただじゃ、帰してれないってこと?」
「例え勝ったとしても今回の損失は大きな痛手だ。お前にも、俺のもとで働いてもらう」
乱暴にを押し倒すように手首を離した桜吹雪は、再びタバコを吹かしながらドアの方に向かう。
「ま、待って!」
「お前は、大人しく試合が終わるまでそこで見ていることだな」
の制止の声も聞かず、桜吹雪は部屋を出て行った。
「…冗談じゃないっての」
皆が楽しみにしていた船上テニス。 それなのに、自分のせいで皆が…リョーマが負ける?
「やだ…」
それにこのままいけば、もう家にも、リョーマの元にも帰れないかもしれない。
「…リョーマ」
帰りたい。リョーマに…皆に会いたい…
あいつなんかの下で働かされるなんて…ご免だ!!
「こっちはまだやりたいことがいっぱいある中学生なのよ!それに、この私が選手の足を引っ張ることになるなんて…」
ふつふつと湧いてきたの怒りは頂点へと達する。
「ふっざけんな!!そもそもこんなの青春学園男子テニス部マネージャーの名折れよ!」
は立ち上がりグッと拳に力を込める。
「なめんじゃないわよ!ぜーったい、逃げだしてやるんだから!!」
見てなさい!と桜吹雪が出て行ったドアに向かって叫び、は、一つの決意を固めるのだった。
「なんとかして、ここから脱出しないと」
「このままじゃ、まずいっすよね」
と同じく人質となってしまった午前中の試合を終えた大石達は、 ドアの前で包丁を持ち立っているシェフの身なりをする大徳寺を倒して脱出する方法を考えていた。
「早くちゃんを助けに行かないといけないのに…」
桜吹雪に、のことを知らされた桃城達は心配そうにの名を呟く。
「越前の奴、多分相当無理してるっすよ」
「ああ…分かってる」
桜吹雪にが人質となっている話を聞かされた時も、平然といつもと変わらない態度でリョーマは立っていた。
だけどが捉えられて気が気じゃないのは桃城達も同じ。
平然としていられるはずがないのだ。
「…船酔いか」
「乾?」
「さぁ、早くを捜しに行くとしようか」
「「え?」」
ドアの前で気持ちが悪そうにするシェフの格好をする大徳寺を見て、乾はニヤリと笑みを浮かべるのだった。
「はぁ…やっぱダメか…」
強気で意気だったものの、どんなに引こうが押そうが叩こうが…の力では、ドアは開く気配がない。
なにかないのか…と辺りを見渡すが、机一つ見当たらない。やっぱりここは最初から監禁するために作られた部屋のようだ。
策がつきたは、おもむろに何か持っていないかと自分のポケットの中を探る。
「うーん…さすがに取り上げられちゃってて、何も…って、あれ?」
なにか冷たい金属の様なものがポケットの中に入っている…。
覚えのないものには、恐る恐るポケットから取り出す。
「鍵?」
一体どこの…とは、思わず考え込む。
そんな時、ふと鍵を見ると鍵にはがリョーガに奪われていた赤いリボンが付いたヘアゴムが括りつけられてあった。
紛れもなく、鍵についているヘアゴムは、のものだ。
「…これって、まさか」
は、「そんなバカな…」と思いつつも恐る恐る、身に覚えのない鍵をドアの鍵穴に刺す。
ガチャ
「……」
いとも簡単に部屋の鍵は開いてしまった。
「何考えてんのよ…あの人は…」
自分で、閉じ込めておいた人質に鍵を渡すだなんて…理解が出来ない。
女好きかと思えば、どこか真が通っていて、をからかってきたり、それなのに何処か優しいんだ…。
は、読めないリョーガの行動に深くため息をついた。 でも、今はそんなことを考えている余裕などない。
「よーし…」
は、リョーガから返ってきた赤いリボンがついたヘアゴムを鍵から解き、自分の頭の高い位置で髪を一つ結びにして括りつける。
「やっぱり、こうじゃなきゃ気合入んないよね」
は髪をポニーテールにして結び直し、決意を固める。
帰るんだ。愛しい人の元に…。
ぐっと力を込めてドアノブに手をかざすのだった。