Memory of The First Love -少年の覚悟-
「(よし…誰も居ない…)」
おそらくリョーガがこっそり入れたのであろうポケットに入っていた鍵で部屋からようやく脱出できたは、辺りを警戒しながら廊下をこそこそと歩く。
「(とにかく、逃げなくちゃ!)」
桜吹雪達に見つかってはいけない。
そこからどうにかして、桃城達になんとかして連絡をつけなくては…。
が、ひとまず隠れる場所を探していると、何処かからの名を呼ぶ声が聞こえてきた。
「ちゃん、はっけーん!」
「あ…菊丸先輩!」
は、ようやく会えた桃城や海堂、そして先輩達に安堵の表情を見せる。
しかし、それは一瞬の出来事でしかすぎなかった。
「逃げろ!!」
「…にげ…え?!」
走ってきた桃城は、の手を掴むとスピードを落とすことなく走り続ける。
「どうしたのよ?!桃!」
「追われてんだよ!」
「え、ぇえ!」
が桃城の言葉で後ろを振り返ると、船内にいた何人ものスタッフが追いかけてくる。
「どういう事?!」
桃城に手を引かれて走りながらが尋ねると、隣を走っている英二が言いづらそうに答える。
「俺達も人質にされてたんだけど…」
「乾先輩の乾汁使って部屋から抜け出してきたんだよ!」
「はぁあ?!」
「でも、ちゃんが無事でよかった!」
「ありがとうございます!大石先輩!」
お互いの無事確認は出来たものの、今は無駄話をしている時ではない。
「待て!お前ら!」
「おい!女も一緒だ!そいつだけは絶対に逃がすな!」
「やばっ!」
どうやら、が抜け出したこともバレてしまったらしい。
「お前!逃げだすならもっと上手く抜け出せよ!」
「それは桃達でしょ!」
追いかけてくる追手に、達は全力で逃げ続けた。
「俺、連れて越前達に脱出したこと知らせに行ってきます!」
「ああ!頼んだぞ!」
「いくぞ!」
「ええ!ちょっと、待ってよ!」
二手に分かれた桃城に無理矢理手を引かれて、はデッキの方面へと連れられる。
「さ、先にいって!私、早すぎてついていけないから!」
「馬鹿!お前が居ないと意味ねーんだよ!」
「え?」
桃城は、の手を強く掴んでスタンドまで走り続けた。
「時間稼ぎもここまでか…」
囚われた仲間たちの為にずっと試合を引きのばしていた不二だったが、ゲームはすでに5-4。 もう後がない。グッと歯を食いしばったその瞬間、リョーマはあるものを視界に捉えた。
「…あ」
多くの観客を掻き分けて、スタンドから目立つように大きく手を振っている。 そして、そんな桃城の隣には、膝に手を当てて息を切らしている。
「桃先輩……」
小さく呟いて目を大きく見開いたリョーマの視線の先を見ると、桃城は頭の上で大きく丸を作っている。
それは試合中の不二にもはっきりと見えた。
「…脱出したんだ」
桃城との安否を確認すると不二は、再びボールを握りしめた。
「いくよ」
そこからの不二先輩は、押さえていたものを解放するかのように技をさく裂させるのだった。
「でたー!不二先輩の羆落としー!」
追われているという状況をわかっているのか…試合を楽しむ桃城にはため息をついた。 しかし、そんなもコートの方を見る。
「…リョーマ」
すると、ベンチに座っているリョーマがはっきりとこっちを見ているのが分かる。 そのリョーマの視線は、どこか優しげで温かかった。
「な?お前が居なきゃ、意味ねーだろ?」
「ありがと、桃」
桃城は、優しく微笑むを見て試合が始まる前、リョーマに言われたことを思い出していた。
「桃先輩…」
「あ?なんだよ」
「しっ…。これ」
静かにというように合図を送るとリョーマは、ポケットから出したチケットを桃城に差し出す。
「これって…今日の試合の観覧チケットじゃねーか。落としもんか?」
「問題はその上の文字。特別招待の観覧座席番号…多分、のっスよ」
冷静にそういうリョーマに桃城は、驚愕したように目を大きく見開く。
の観覧席のチケットがここにあるということは、はスタンドまで行っていないということだ。
つまり、考えられるのは一つしかない。
桃城は、なにごとも無いように立っているリョーマの胸倉を掴む。
「お前っ!なんでそんな冷静なんだよ!乾先輩が言ってたろ!攫われる可能性が高いのはあいつだって!」
「…本当に冷静だったら、桃先輩にこんな憶測だけの話しないっスよ」
「越前…」
桃城は、そっとリョーマの胸倉から手を離す。そう…あの時はまだ完全に憶測の話だった。
いくら特別招待のチケットだと言っても、幅が広すぎる上、の座席番号まで流石に覚えていない。
気にかかったのは、リョーマ達の控室のすぐ前にこのチケットが落ちていたというくらいだ。確信なんて無いに等しい。
だけど…それでも、姿を一度も見せていない彼女のものだとしたらと思うと、いてもたっても居られないんだ…。
眉を下げて、一瞬だけ不安げな目をしたリョーマだったが、すぐに顔を上げて真っ直ぐな瞳で桃城を見る。
「桃先輩の試合が終わるのって、午前の部っスよね?」
「ああ、海堂とのダブルスだからな」
「のこと…頼んでいいっスか?」
口調は普段と変わらないのに、熱い目で桃城に懇願を求めるリョーマ。
あのリョーマが人に頭を下げるような台詞をいうなんて珍しい。
しかし、そんなリョーマの言葉の意図を察した桃城は、息を飲むも、ニヤリとした笑みでリョーマを見る。
「わーったよ!そのかわり!お前は、ちゃんと試合に勝てよ!この野郎!」
桃城は、リョーマの肩を抱く様に頭を乱暴に撫でる。
「痛いっスよ!桃先輩!」
「(越前…頑張れよ)」
ベンチからの方を見るリョーマに、桃城も願うように視線を送るが、 ここにじっとしていられる時間など、達には無かった。
「やべっ!もう来やがった!」
「捕まえろ!」
「逃げるぞ!!」
「う、うん!」
達は、再びやってきた追手を振り払うかのように逃げだすのだった。
「なに?!両方とも逃げられただと!」
「…すみません」
「しかし、あの女、一体どうやって…。くそっ!捕まえたら唯じゃすまさんぞ!」
「まぁ、いいじゃねーかよ。おっさん」
「リョーガ…分かっているのか?これは私の一世一代のビッグビジネスなんだぞ!」
「だからよ、最後の試合で俺が勝てばいいんだろ?」
桜吹雪は、眉間にしわをよせながらタバコを吹かす。
「お望み通り、勝ってやるぜ」
「良かろう…しかしお前まで負けるようなことがあれば、許さんからな」
「俺を誰だと思ってんだ?俺は、越前リョーガだぜ」
リョーガは、堂々とした強気な態度と視線でそう言ってのけるのだった。
「皆さん、しっかり儲けましたか?」
達が追手から逃げる中、桜吹雪のアナウンスが船内中に響いた。
「ここで一気に越前への賭け金をあげておいて、今までの負け分を取り返そうって魂胆だね」
「うむ…」
コートベンチにいた不二と手塚は、最後の試合控えたリョーマの背中を見つめる。
「この試合は、あいつら自身が望んだことだ」
「…手塚」
本来なら、戦うのは部長である手塚だったが、リョーマは、兄である越前リョーガとの戦いを望んでいた。 また、それと同じくらい弟の対決を望んでいることに手塚は気付いていたのだ。
「桃達は、大丈夫かな?」
不二は、心配そうに逃げだしたという合図を試合中に桃城から受け取ってからは、一切音沙汰がない彼らの身を心配しながら、空を見上げた。
「えらく人気もんじゃねーか。ここの客の殆どがお前に賭けてるぜ?」
ストレッチを終えたリョーガは、立ち上がるも隣り合うリョーマのことを一切見ずに皮肉を言ってのけた。
「あんたも俺に賭けといた方がいいかもね」
「そういうベタベタなジョークは、笑えねーな…けどよ、チビスケ」
リョーガは、一度瞳を閉じて真っ直ぐな視線をリョーマに送る。
「ここらで本当に負けねーと、を含めてお前ら全員大変なことになるぜ」
「…ふーん」
リョーマは、リョーガの方を一切見ずにコートの中へと足を踏み入れる。
「言っとくが、奴はマジだ…今も手下が全力でお前の仲間を追いかけてる」
「……」
「奴は、この賭けテニスに全財産をつぎ込んでる。俺にを部屋に閉じ込めさせたように、勝つためなら何でもするぜ」
「最初からのこと狙ってたんだ」
「この船に招待するのがお前達に決まった時からな。だから、俺はずっとあいつの隙を狙ってたってわけ」
たしかに、リョーガはなにかと最初からに構っていた気がする。
しかし、それは弟である自分に対する当てつけだと思っていただけに、桜吹雪の策略だったとはリョーマも考えなかった。
「でも次は、閉じ込められるだけじゃすまねぇぞ」
「…何が言いたいわけ?」
「大事な彼女とお仲間を守りたいなら、この試合、負けるんだな」
「実力じゃ俺に敵わないって…はっきり言えば?」
視線を揺るがすことなくリョーマは、リョーガの方を鋭い視線で睨みつけた。
「兄貴の忠告は、聞くもんだぜ」
こうして本日最後の試合が、行われようとしていた。